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2006年02月の日記
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●2006年02月20日(月)


… 最終更新 - 2/22 PM. 11:17 …


これも、劣等感や自己肯定感に関する話だから、
些細なことだけど、書くね。 o(- -;o
本当に些細なことなんだけど、かなり心に残ってるので。

親の言葉だけじゃなくて、ちょっとした態度も、
子どもの自己肯定感に影響するよね。
親にしたら、なんの気になしにやってても、
その人の生き方や 心のクセって、態度に出ちゃうから、
仕方ないんだよね。

小さな子にとっては、親は絶対的な存在だけど、
本当は、親だって私たちと同じ、ひとりの迷い人なんだし。



母親は、いつも いそがしそうにしてたから、
小学生の私は、何度か、洗濯物を干すのを手伝おうとした。
母親の洗濯物の干し方を真似て、私なりに考えて、
母親の隣で 洗濯物を干すんだけど、

母親は必ず、私が干した洗濯物を 5o とか 1p とか、
ほんのちょっとだけ、ずらしちゃうのね。 すぐに全部。 o(- -;o
そんなちょっとだけ 洗濯物を位置をずらして 何が変わるのか、
私が干した洗濯物の 5o や 1p の位置の差のどこが悪いのか、
よく分かんなかったんだけど、

とにかく、私が干した洗濯物の場所を、母親は何も言わずに
全部ずらしていっちゃうから、私は、自分のしていることを
いちいち否定されてるような気がして、嫌だった。
ほんの些細なことなんだけどね。

それでも別の日に何回か、母親が洗濯物を干すのを手伝おうとして、
今度こそ 母親に直されないようにって、考えながら、
洗濯物を干すんだけど、やっぱり、私が手伝うたびに、
また全部、洗濯物の位置をずらされちゃうから、
私のすることは、みんなダメだって言われているようで、
洗濯物干しの手伝いは、やめてしまった。

それに、母親が全部やり直してたら、
手伝ってることにならなくて、悲しいし。



母親にしてみたら、たとえば、
きちんと等間隔に洗濯物を干した方が 気分が落ち着くとか…、
なんとなく そうしたいとか…、
なぜか、そうしないと気がすまないとか…、
そういうようなこと だったんだと思う。

私のすることに、いちいち ケチつけようなんて、
思ってなかったと思う。 なんの気なしに やってただけだと思う。

でも、子どもにしたら、そんなことは分からないから、
日常のいろんな些細なことで、母親から、自分のすることに
いちいち ケチをつけられてるように、たびたび感じてると、

そのうち、自分で自分の行動に
いちいち ケチをつけるように なっちゃうのかなぁ。

自分で自分の行動に いちいちケチをつけるっていうことは、

ひとつ一つのケチは 小さくても、回数が増えると
自分のすることを、いちいち責めたり 否定することにも繋がるし、
自分を信用しないことにも繋がるよね。


だから、母親は単に
母親の気分や心のクセ?で 行動してただけで、
私に行動に いちいちケチつけようなんて、大袈裟なことは
考えてなかったよ…って、自分の中に インプットし直さなきゃね。

PM.11:13

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●2006年02月17日(金)


… 最終更新 - 2/19 PM. 10:43 …


2月12日の日記の続き。

昨日、女であることの劣等感に気づいた前と後での、
自分の心の中の変化を もう一度振り返ってみると…、

気づいてなかった劣等感に気づけて、
それが要らん劣等感だと思えるようになったら、
「許せない」 っていうような気持ちが 弱まったような気がする。




劣等感に気づく前は、

…仮にもし、世の全ての男の人が 「自分より下には女が居てるから、
…自分は一番下じゃない」 って思ってたとしても、私も そう思う?

…私は、そうは思わない。
…でも、そういう考え方って 嫌だな…。
…人それぞれ 事情があるから、仕方ないけど。
…そう思って自己肯定感の足しにしてる人って、不幸だよな…。
…「男より女の方が下」 っていうのは正しいと思う?
…私は、正しいとは思わない。
…まぁ、私は 私の考えでいくけどさー。

「男より女が下」 って考えてる人に対して、
非難めいた気持ちを かなり持っていた。
もちろん、その人の全てを非難してたんじゃないよ。
他はいいけど、そういう考え方をするとこは嫌だ、っていうこと。

心のどこかで、そこんとこは 「許したくない」 って感じてたと思う。
そう考える人に 敵対心を覚えるときもあったし。
普段は、その人に対して敵対心がなくても。



劣等感に初めて気づいて、混乱してたときは、

…仮にもし、世の全ての男の人が 「自分より下には女が居てるから、
…自分は一番下じゃない」 って思ってたとしても、私も そう思う?

…私は、そうは思わないけど…、でも…。
…「男より女の方が下」 っていうのは正しいと思う?
…私は、正しいとは思わないけど…、でも…。

私は、その考えに賛成してないのに、正しいとは思わないのに、
それなのに、私の意思に関わりなく、その考え方が押し寄せてきて、
心が自由になれなかった。



要らん劣等感だって思えるようになってからは、

…仮にもし、世の全ての男の人が 「自分より下には女が居てるから、
…自分は一番下じゃない」 って思ってたとしても、私も そう思う?
…私は、そうは思わない。
…「男より女の方が下」 っていうのは正しいと思う?
…私は、正しいとは思わない。

…じゃあ、それでいいじゃん。
…誰がどう思っていようと、人は人、私は私。
…私が思うように、思っていればいいじゃん。
…たとえ、女の方が下って思っている人が多くても、関係ないじゃん。
…私の考え方には関係ないじゃん。 合わせる必要ないじゃん。

劣等感に気づく以前よりも、
「誰がどう思っていようと、人は人、私は私」
っていう気持ちが、はっきりしたような気がする。
そのことについて、心が すっきりした感じ。

そして、「女の方が下」 と考える人に対する
非難めいた気持ちが弱まったというか、どうでもいいや…っていうか、
どうでもよくはないんだけど、以前より気にならなくなったような…。

女も男も生きやすくなるように、ほんの小さなとこから
社会を変えていく、さざ波のひとつになれたら…って
思ってるのは、以前と同じなんだけど、
必要以上には、周囲の反応が気にならなくなった感じかな…。

自分の中に 気づかぬ劣等感があると、
それに関することには 過敏になっちゃって、
人の言動が気になっちゃって、

そして、人に対しても、自分に対しても、
非難めいた気持ちや、許せないっていう気持ち、
嫌悪感が 強くなりやすいような気がする。
嫉妬心や猜疑心も、生まれやすくなるような気がする。

PM.11:42

●2006年02月12日(日)


… 最終更新 - 2/17 PM. 10:25 …


2月10日の日記の続き。

私の中に 思いも寄らず、女であることの劣等感が
潜んでいるのに、気づいたとき、
どうしたら その劣等感を克服できるのか、
なぜか 見当がつかなかった。

父親や母親の女性観が 全てじゃないのに、
そんなこと、昔から知ってるのに、
なぜか その日は、両親の女性観が 私の中で力を増し、
強く迫ってきて、それが全てのような気がして、
心が自由になれなかった。

その日と翌日は、強迫の不安感も強かった。



翌日、友人に、女であることに劣等感に気づいた話を
聞いてもらった。 そして、友人の意見も聞かせてもらった。
自分だけで考えてても、「どうしよう」 ばかりだったし、
父親じゃない男の人の考えを 知りたかった。

その友人は男の人だけど、当然、父親と考えは違っていた。
すごく違ってた。 友人のおかげで、少しおちついたけど、
まだ 心は ぎこちなかった。 友人の考えは もっともだと
思うのに、心が、なかなか ついていけなかった。

その後、劣等感一般についての文章も読み返した。
そうこうしてるうち、翌日遅くに、あぁ…、やっぱり、
あれは根拠のない劣等感なんだって、思えるようになってきた。



たとえば…、私は以前から、大抵の男の人は、
「自分よりも下には 女が居るから、自分は一番下じゃない」 って、
心のどこかで 思ってるんじゃないの? って思ってた。

女であることの劣等感に気づいた日と その翌日は、
その気持ちがパワーアップして、世の全ての男の人が
「自分よりも下には 女が居るから、自分は一番下じゃない」 って、
思ってるような気がして、強くそんな気がして、心から離れなくて、
ただただ 「どうしよう…」 だった。

でも、根拠のない劣等感なんだって思えるようになってからは、

…仮にもし、世の全ての男の人が 「自分より下には女が居てるから、
…自分は一番下じゃない」 って思ってたとしても、私も そう思う?
…私は、そうは思わない。
…「男より女の方が下」 っていうのは正しいと思う?
…私は、正しいとは思わない。

…じゃあ、それでいいじゃん。
…誰がどう思っていようと、人は人、私は私。
…私が思うように、思っていればいいじゃん。
…たとえ、女の方が下って思っている人が多くても、関係ないじゃん。
…私の考え方には関係ないじゃん。 合わせる必要ないじゃん。

劣等感に気づく以前と、考え方自体は同じなんだけど、
以前より、すっきり割り切れたというか、開き直ったというか…、
考え方だけじゃなくて、心もついてきてくれてるような感じかなぁ。

そして、要らん劣等感だと思えた次の日には、
強くなってた強迫の不安感も 弱まってくれた。

長くなりそうなので、続く。

PM.11:01

●2006年02月10日(金)


… 最終更新 - 2/11 PM. 10:52 …


2月8日の日記の続き。

女=劣ったもの、女=汚らわしいもの、っていう感覚が、
私の心の奥に、気づかぬうちに根を張っていた。

女=劣ったもの、っていう感覚なんて、
子ども時代から 感じてない!って思ってたけど、実は感じていて、
しかも、大人になっても続いていたことに、
先月はじめて気づいて、驚いたし、困惑した。

女=汚らわしい、っていう感覚は、
思春期あたりで終わったと思ってたけど、終わってなかった。
そのことに初めて気づいたのも、先月。

性=汚らわしい、っていう感覚の方は、
大人になっても残ってるのを 意識してたけど。



女…劣ったもの、 女…汚らわしいもの、
私…女、 私…劣ったもの、 私…汚らわしいもの、
そんな、女であることの劣等感が、

私の強迫の不安の大元となっている 他の要因と、
絡み合って、心の奥に根を張っていたことに気づいたとき、

驚いただけじゃなくて、
…どうしよう、どうしたらいいんだろう、
…この劣等感から、どうやったら解放されるんだろう、
…分かんない、分かんない、ほどけない、ほどけない、だった。

なぜか、「どうしたらいいんだろう」 で 一杯になって、
心が 前に進めなかった。
少し落ち着いてから、自分に言い聞かせるように、

もう、終わったんだよ。
…父親から、毎日、聞かされるのは、もう終わったんだよ。
いつまでも、私の心の中で “こだま” させなくていいんだよ。
…父親が 母親をおとしめてたのは、父親の劣等感のせいだよ。
それって、父親の問題だよ。
…いつまでも、私が心の中で “こだま” させなくていいんだよ。

…もう、終わったんだよ。
…母親が、女性の性を蔑視してたとしても、それは母親の問題だよ。
…私まで、母親の考えに染まらなくていいんだよ。
…いつまでも、私の心の中で “こだま” させなくていいんだよ。

でも、その日と翌日は、心が 言うことを聞いてくれなかった。



本当は、とうの昔に終わったこと、過ぎたこと。
言った本人たちも、わすれてるようなこと。
それを、いつまでも 終わらせてなかったのは、
他の誰でもない、私自身なのだった。


続く。

PM.11:01

●2006年02月08日(水)


… 最終更新 - 2/9 PM. 10:33 …


2月7日の日記の続き。

母親も、女なのに 女を軽んじてるようなとこがあった。
私に初潮がきて、びっくりして、母親に言いにいった朝、
母親は、いつものように 祖母に気を使いながら、
いそがしくしていて、機嫌が悪かった。

「そんなん、学校で習ったやろ!」
「タンスに要るもの あるから、自分でしっ!」
不安がる私に、それだけ。

そりゃ、学校で ちらっとは習ったけど、
女の子には、そのうち 生理というものが来ます…程度だよぅ、
細かいことなんて、全然 習ってないよぅ。

それに、知識として聞いてはいても、
実際に突然、自分から血が出て、不安だった私に、
母親は、突っぱねるように言ったんだよなぁ。
私は、泣きたいような気持ちで、使い方もよく分からないまま、
なんとかナプキンとショーツをつけて、学校に行った。

でも そのことよりも、一番わすれられないのは、
「血が出てるよぅ、なんで? これって生理?」 って、
母親に 言いに言ったときの、母親の表情。
母親は、なにか汚らわしいものを見るような目で 私を見た…。
少なくとも、私には そう感じられた。

それ以来、女=汚らわしいもの、
女性の性=汚らわしいもの、っていうのが、
私の心の奥から 抜けなくなってしまった。

突然、自分から血が出たときの不安感、
生理の不快感、 母親から 突っぱねられた不快感、
母親から 汚らわしいものを見るような目で見られた不快感、

それからの何年間か…、毎月の生理が来るたび、
それらの不快感が合わさって、よみがえってきたから、
生理が来るのが、すごく嫌だった。

続く。

PM.10:55

●2006年02月07日(火)

… 最終更新 - 2/8 PM. 10:30 …


2月4日の日記の続き。
4日の日記の後の方をこっちに+書き足し、ですぅ。 o(- -;o



小さな子にとって、両親は、世界の男の代表、女の代表でもあるし、
子どもは、「私のお父さんって すごい〜」
「私のお母さんって すごい〜」 って思いたい。

でも、父親は 「すごいけど、すごくない」
「賢いことも いっぱい言うのに、ずるいし、なんかヘン」

母親に対しては、男尊女卑に反発し、母親を敬いたいんだけど、
その一方で、どうしても 心の底からは敬えない
気持ちの存在も 意識していた。



幼い頃から 毎日毎日繰り返し、父親や祖母から
母親をけなす言葉を 聞かされ続けてきてたから、
それらの言葉の持つ力、それらの言葉を発する人の気持ちが、
私の心に 強く作用していたんだと思う。

あっ…、言葉だけじゃないよね。
祖母や父親、そして母親の、日々の些細な表情、仕草、声音、態度…、
そういう言葉以前のモノも、繰り返し感じるたびに、
私の中に浸み込んでいってたと思う。

幼児期はともかく、小学生にもなると、
母親に対する祖母や父親の言動に 反発を覚え、
おかしい、不当だ、不公平だと反感を持っていたのに、それなのに、
私の顕在意識は拒否してるのに、それなのに、

潜在意識には、やっぱり浸み込んでいたし、
さらに、浸み込んでいってたと思う。

男女差別なんて大嫌いだし、母親を敬いたいのに…、
なのに、どうしても 心の底から敬えない…、
小学生の私は、それら両方の気持ちを 自分の中に意識しながら、
母親を心から敬えないのが 嫌だと思いながら、
どうすることもできないでいた。



世界の女の代表・象徴である母親を 敬えないということは、
女を敬えないことに繋がり、女である自分に誇りを持てない、
劣等感を持つことに繋がる。 自分でも気づかぬうちに。

だって、私は、女が劣った存在だなんて、
全く思わないで、ずっと やってきたんだもの。
そんなこと、意識の上では、これっぽっちも思ってなかったもの。

つい最近はじめて、自分に心の奥底に、
女であることの劣等感が 巣くっていたことに、
初めて気づいて、驚き、戸惑ったんだもの。
その劣等感の原因は、これだけじゃないんだけどね。

続く。 o(- -;o


関連日記 ↓
2003/04/10 子どもの頃の、母親に対する感情
心の底から 母親を敬えなかった理由には、
…母親から愛情を感じられなかった、
…私自身も母親を好きではないと、うっすらと感じていた、
っていう側面もあると思います。

PM.10:19

●2006年02月04日(土)


… 最終更新 - 2/7 PM. 10:31 …


「受け入れること=許すこと」 なのかもしれない
「自己肯定感を得ること=自分を許し、人を許すこと」 なのかもしれない
今日の日記の下書きメモをした後、用事をしてて、ふと そう思った。
その話は、また今度。



2月2日の日記の続き。

祖母が君臨していた頃、
あの家には、元農家の封建的な家風、男尊女卑的な家風、
厳格な家風、「許さない」 が充満した家風、
優しい笑顔のない家風が、ピーンと張りつめていた。

家の中はいつも、緊張感でいっぱいだった。
そういう家風の中で生きてきた 祖母や両親の緊張感、
そんな空気を吸い込んで育つ 子どもの緊張感。

でも、「どこの家も、そんなもんなんだろう」 って思ってた。
小学生の頃、「大人って、諦め主義なんだなぁ」
「大人になっても、つまんない世界が待ってるんだなぁ」 って思ってた。
遊んでても、楽しいんだけど、楽しくなかった。 楽しいんだけど。
でも、「みんな、そんなもんなんだろう」 って思ってた。



母親は、嫁を犠牲にして成り立つ 封建的な家風の中で、
軽んじられ、ひとり 多くの労働を強いられ、そのうえ、
祖母と父親から 文句ばかり言われていた。 当たり前のように。

私が生まれる前に、農業をやめ、
家から数分の場所で 店をしてたけど、
共働きで、母親も父親も 店の仕事をしてたのに、
母親だけが、店の仕事プラス家事で 大いそがし。
祖母の機嫌を損ねないよう 注意を払いながら、大いそがし。

そんなだから、母親は、大抵いつも機嫌が悪かった。
「お母さんは、怒ってばかりだ…」 って、幼稚園くらいの頃かなぁ、
私が言ってたって、父親が 嬉しそうに話してたっけ。

父親は、そんな働きづめの母親を
馬鹿にして、いつも自慢の種にしていた。
そんな時、母親は、いつも黙りこくっていた。
口答えすると、祖母と父親から猛反撃をくらうから。
母親にたまった鬱憤の 身近な吐け口は、子どもしかいなかった。



「なんで、お父さんもお母さんも、店で働いてるのに、
家では、お母さんだけが すごく働いてるの?」
「なんで、お父さんは、お母さんの半分も働いてないのに、
働いてて大変なお母さんのことを、毎日、悪く言うの?」

「二人とも店に行ってるのに、不公平だ…」
「男だから…?」
「男だったら、働かなくて威張ってても いいわけ?」
「お父さんって ずるい。 男って ずるい」
「お母さんは損だ。 女は損だ」

小学生になった頃からかなぁ、そう思いはじめた。
世間の男女差別にも、たぶん、他の子より過敏になった。
子どもにとっては、父親は男の代表で、母親は女の代表だし。

続く。

関連日記 ↓
2003/03/30 元農家の封建制が残る家風
2003/03/31 嫁の苦労 ・ 母親の事情

PM.11:07

●2006年02月02日(木)


… 最終更新 - 2/4 PM. 10:37 …


1月27日の以下の日記の続き ↓

私の強迫の不安の大元には、自分が女であることの劣等感が
深く大きく 根を張っていることに気がついた。

幼い頃から 家で薄々感じていた存在感の否定、さみしさ…、
小学5年の 無視いじめによる否定感の強化、疎外感…、
自分の正体は 嫌な奴に違いないと思い込み、
さらに自分を抑圧し 押し殺していたこと…、
強い自責の念…、

強迫の不安の大元は、それらだけじゃなかった。
それらに、女であることの劣等感が しっかり絡みついていた。
その劣等感は、私の中に 巧みに刷り込まれていたから、
不安の大元に、しっかり居座っていたなんて、思いも寄らなかった。

女だから…、って親から 言われたことはなかった。
その点では恵まれていたと、ずっと思っていた。
でも、実は違っていた。
幼い頃から、封建制の残る家風の中で、
女であることの劣等感を、巧妙に日々 インプットされ続けていた。



父親から、女を はっきり差別する言葉は
聞いたことがなかったように思う。
でも、私が幼い頃から、
父親は、毎日、何度も、子どもの前で母親をけなしていた。
子どもにとっては、世界の女の代表・象徴である母親を。

父親は、あの家で立場の弱かった母親を、
さらに おとしめることによって、自分を肯定しようとしていた。
誉めてもらいたくても、誉めてもらえないから、
子どもの前で、自慢するしかなかったんだと思う。

父親は、いつも威張ってたけど、威張っていなきゃ、自慢していなきゃ、
自分を保てないほど、劣等感が強かったんだと思う。
今も、その劣等感は たいして変わってないような…。 o(- -;o



父親は、意識や意思は、感情に勝ると思っていた。
感情は、意識によって征服すべきものと考えていた。
父親にとっては、意識・意思・思想=優れたもの、
感情・感覚=劣ったもの、だった。

それって結局…、自分の感情面での未熟さに目を向け、
それを解決していこうとはせずに、意識の力で、
感情を無理に ねじ伏せようとしてただけ…のように思える。
父親は、感情面での弱さを、意識面で補おうとしてたんだと思う。

父親は、「わしは、意識で感情をコントロールできるから、えらい」
って自慢してたけど、できると思ってるのは、本人だけで、
実際は、周囲のことを考えず、未熟な感情をそのまま、
周囲にぶつけていた。 …今でもそうかな。

自然な感情から 目をそむけて、自分の弱さから 目をそむけて、
意識の力で感情を征服したと錯覚してるから、未熟なままなんだよね。

心の奥の声に 耳を澄ますことが必要なのに、
父親は、一生懸命?逆のことをしてきたんだよね。
自然な感情を意識で抑え込むのって、良くないものね。
自然な感情に逆らうと、あとで痛い目に遭うものね。



もちろん 幼い頃は、父親の劣等感に気づけず、
単純に 「お父さんって すごいんだ」 なんて思ってたけど、

小学生になってからは、「お父さんは、すごいけど、すごくない」
「なんかずるい。 なんかヘンだ。 何がヘンなんだろう。 よく分からない」 って、
思いはじめ、一見立派なこと?を言っている父親のウソを
いつか つきとめてやるって思いながら、大きくなった。

実際、父親は、まともなことも言ってたし、
そんな、まともな考え方ができるのに、どうして違和感を感じるんだろう、
言ってることと やってることが、どうして合わないんだろうって、
子ども心には、不思議でもあった。

強迫になって 再び、自分や両親と
向き合わざるを得なくなり、やっと ここまで気づけた。
強迫は、子どもの頃からの この願いも叶えてくれたことになる…。

父親のことで、ちょっと話がそれてしまったけど、続く。

PM.11:14

●2006年02月01日(水)

.
… まぼろしの欠片 …


今日は、大切な たろーにゃんこの日。
たろーには、いつも お世話になりっぱなし。 ずっと お世話になりっぱなし。

心の中で、たろーに話しかける。
…たろーちゃん、ありがとうね。
…いつも、私を助け、導いてくれてるよね。
…今でも、私に 大切なことを教えてくれてるよね。
…目の前を、たろーがチョロチョロしてないのが、
…すごくすごく さみしいけど、でも、ずっと一緒にいてるよね。

1月29日の日記に、
「私自身、私が感じ生きてきた世界、その中での いろいろな経験、想い、
みんな いつか消える」 って書いたけど、

強い想いは、消えないかもしれないなぁ。
強い想いの持つエネルギーは、この星を ずっと巡り続けるような
気もするなぁ。 何かを伝えたり、共鳴したりしながら。

私のたろーへの想い、たろーから私への想いも、
ずっと消えずに 回っててくれてたら、うれしいな…。

そういえば、萩尾望都の 『アメリカン・パイ』 に
“全ては消え去っても、想いだけは残るのだ…”
っていうような一節があったなぁ。 ← 不正確。 o(- -;o

PM.10:33

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