<7月15日、天からの力>
私は、私を信頼しているのか、
信頼していないのか、よくわからない。
根本のとこで、信頼してるような気がしてるんだけど。
強迫って、不安が消えない病気。
不安が出たって、消えてくれたら問題ない。
そうじゃないから、かなん。
で、強迫の不安が消えないと、
「大丈夫」っていう自分の感覚に、
確信が持てなくなってしまう。
消えない不安が、大きくなっていって、
私自身の感覚への疑いを募らせる。
そんなことが、長い長い間、
日常茶飯事。
----内↓は、昔の日記より抜粋
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まだですだ。
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天から降りてくる大きな手、救いの手。
強迫になってから、何回も感じてきたんだろ?
だったら、その大いなる手を信頼すれば?
生かされてきたことを信頼すれば?
自分への信頼が「?」なら。
ある事が、ある事につながり、
そのある事が、次のある事に、
そして、また次のある事に、って
不思議なくらい、どんどんタイミングよく
つながって、何回も助けられてきただろ?
そのなにか大きな、うねるようなエネルギーを、
出来事のつながりを、信頼すれば?
強迫で「執着と囚われの極み」状態、
未熟な精神の私にさえ、
強迫で「にっちもさっちも行かない」状態、
当たり前の衣食住さえままならない、
役立たずの私にさえ、
降りてきてくれる、大きな救いの手。
きっと、万人に降りてきている救いの手に、
万人につながっている大いなる力に、
気づかせてもらっていること、
生かされていること、
そのことに感謝を新たにして、
その力を信頼していけば?
<7月21日、タイの「気づきの瞑想」>
熊野宏昭さんの『実践! マインドフルネス
―今この瞬間に気づき青空を感じるレッスン』
を読んでいて、プラユキさんを知った。
その人の本の『「気づきの瞑想」を生きる
―タイで出家した日本人僧の物語』。
まだ買ってないけど、誰かがレビューに、
プラユキさんが「気づきの瞑想」について、
わかりやすくポイントを書いてくれている箇所を
抜粋してくれていた。
----内↓は、レビューより抜粋
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この作業において、私が大事にしていることは、
心身に生じてくるあらゆる現象を明晰に自覚し、
感じ尽くし、洞察し、慈しむことである。
このときのポイントは、
心を大きく開いておくことである。
すなわち最初から「考えてはいけない」
「感じてはいけない」「怒ってはいけない」
などといった価値判断による構えを作らない
ということが大事である。
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「慈しむ」っていうのが良いなぁ。
「心を大きく開いて」「構えを作らない」が良いなぁ。
今やっているマインドフルネスにも、
そのことを心がけてみよっと。
って言っても、たぶん無意識に
不安が出てほしくないって
構えちゃってると思う。
はぁ…。
<7月23日、お腹一杯、次へ>
近況の説明にちょうどいいから、
7月23日に書いた文章から抜粋。
文体は変えてますだ。
----<ここより抜粋>--------------------
今年の4月から、
ヨガや気功の少なーい経験をヒントにして、
なるべく力を抜いて体を動かしては、
動きの感覚を味わい、
その後、しばらく力を抜いて静止しては、
動きのあとの体の感覚、スーってする感じや、
指先に血が流れ込む感じを味わい、
そして次の別の動き、静止、次の別の動き、静止…、
と繰り返していって、
体が感じている感覚に丁寧に注意を向けることで、
途中で不安が出ても、ほっといて戻る、
考え事してるのに気づいたら、考え事をやめて戻る、
っていうのを、1セット15分×1日2〜3回、
やり始めたけど、今も続けてる。
6月5日に、やっと、マインドフルネスについて
軽く紹介したTV番組に出会えた。
「今、ここ」に生きたいと思っていた頃。
6月は、ネットの情報をもとに、
マインドフルネスもどきをやってた。
7月になってから、やっと本を買えた。
一方で、過去と自分の捉え直しもやってた。
ここ半年ほど、感じ方や考え方が、
かなり変わってきてたので、
10数年ぶりに、私の中で、
過去の捉え方を大きく変えることができた。
過去が書き換わった。
過去から今に至る、自分や周囲に対する
捉え方も変わった。
でも、私の場合、それだけでは
症状に大きな差はないみたい。
やっぱり、パブロフの犬状態、
不安に関係する条件反射を
なんとかするしかない、よなぁ。
それより、なにより、まず、基本の睡眠。
でも、それが今の私には、とっても難しいのよね。
とにかく、過去のことはもうお腹一杯。
過去を振り返るのにも飽きてきた。
もういいやって感じ。
自分を好き、嫌い、許してる、許してない、
認めてる、認めてない、信頼してる、信頼してない、
についても、もういいやって感じ。
お腹一杯。
--------------------<抜粋ここまで>----
<7月27日、だから、もういい>
ウチの家族の大人たちは、それぞれみんな、
不安の中で一生懸命生きてきたんだろう。
自分を守るために、無意識に問題から逃げたり、
誰かをたまった鬱憤の吐け口にしたり、
なんてことも、しょっちゅうだったんだろうけど、
悩んだり、模索したりも、してたんだろう。
多額の借金に追われ続けながら。
祖母と父親の不安の吐け口は母親で、
母親の不安の吐け口は私だった。
だから、みんなの不安を、感じやすい私が、
背負い込んでしまったことになるんだけど、
でも、そのせいで、大人たちの精神は保たれ、
子ども3人は、とりあえず無事に育った。
あんなにもお金なかったのに。
どうやって、あんなに多額の借金を
低収入のウチが返せたのか、不思議なくらいだ。
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