…もう、終わったんじゃかったのか?
…ずっと 気にしてたのか?
…そうだよ。私は、ずっと、嫌われるのが怖かった。
…ある日突然、ひとりぼっちになって、
…どうしたらいいのか、わかんなくて、
…きっと、私が悪いんだ、と思い込んで。
<1993年頃のメモから抜粋↑>
みんなにとっては、きっとゲームみたいなもんだった。
「ポーの一族/小鳥の巣」で、ロビン・カーを
底なし沼の際まで、追い立てたクラスメートたちのように。
でも、集団から追い立てられる方は、ゲームですまない。
私は本気にした。 小学5年のときの集団無視を。
本気で、本当の私は嫌な奴なんだと思い込み、
数ヶ月で終わった集団無視を、自分の中でずっと続けてた。
無視っていうのは、存在の否定。
追い立てるみんなは、もういなくなっても、
私は、みんなの影と一緒になって、
いえ、率先して、まるで「集団無視ゲームの続き」を、
「私の本当の気持ちを隠し、押し殺し、認めず、拒否し、
っていう存在の否定」を、私一人でやり続け、
自分を追い詰め続けてた。
<2006/07/10.の日記から抜粋・加筆↑>
小学5年のあの時、
私は、自分の怒りに気づかないまま、
怒りの感情を、封じ込めてしまっていたのだろう。
そしたら、自分が悪いっていう方に心が向かって
そこに囚われてしまい、心が身動きとれなく
なってしまっていた。長い長い間。
でも、とうとう、心が動き出してくれた。
怒りの感情が、表てに噴き出してきてくれた。
もしかして、ひょっとして、
小5の私は、みんなへの怒りを抑圧してしまったのか?
って思いながら、昔の日記を読み返しつつ、
振り返ってみたら、そしたら怒りが。
だから、怒りにまかせて、ここに吐き出してしまおう。
身勝手な感情も。きたない感情も。愚かな私も。
心の中をさっぱりさせるんだ。歩き出すために。
ネット上だけど、今回は私のために書く。
2月16日にやっと、10才頃からの長年の呪縛が解け始めた。
「私が生きてきた年月」マイナス「10年間」もの、長い長い呪縛が。
呪縛を解かなかったのは私だけど、
どうしても、ずっと自由になることができないでいた。
小学5年、ある日突然の集団無視から。
<2003/04/02.の日記より抜粋・加筆↓>
…私は、本当は嫌な奴なんだ。
…そうに違いない。
…みんなが、無視するんだもの。
…みんなは、ほとんどが善い子だもの。
…だから、悪いのは私の方なんだ。
…でも、どこが悪いんだろう。よくわからない。
…とにかく、本当の私を出してはいけないんだ。
…出したら、嫌われるんだ。
…本当の私は、嫌な奴に違いないから。
…本当の私を隠して、その間に、
…みんなに好かれる性格に、自分を変えなくちゃいけない。
そう、本気で思い込んだ。
一緒になって無視する方も卑怯だと、気づかなかったから。
みんなのほとんどが善い子、なんだっていうのが、
私の中で、なぜか前提となっていたから。
クラスには、いつも誰かを
いじめていないと、気のすまないS子が居た。
S子が中心になって、年中、女子の誰かがイジメにあっていた。
私の場合は、数ヶ月、クラス中の女子から、
集団無視されただけだった。
たいしたことないやん…って、思うかもしれない。
でも、私の心の中には、
母親のこの決まり文句があったから、きつかった。
「おまえは、きっと、おばあちゃんに似て気ぃきつい子なんや」
「きっと、おばあちゃんに似て意地の悪い子なんや」
封建的な家風の中で、
直接、祖母や父親に言えない母親のうっぷんが、
毎日のように、私に回ってきていたのだ。
心のうわっつらでは、
母親のお決まりの文句を、否定していたのに、
否定しきれなくなった。だって、集団無視いじめが、
その言葉の証明のように思えてしまったから。
それに、あの状況で育った私がベースに持っていたのは、
そのままの私は、両親や祖母から受容されないという感覚
だったから、きつかった。
それから、もう一つ。
私には、嫌いな子って少なかった。
嫌いなのは、陰湿いじめをするS子と
一番よくいじめられていた、E子くらいのもんだった。
私は、E子のどっかに、
見たくない自分、認めたくない自分を
感じてたような気もする。それで、E子を好きに
なれなかったのかもしれない。
E子はいつも体中から、みんなへの
憎しみの敵意を、うわーっと放っていた。
いじめられてばかりだから、無理もないと思いつつ、
私は、E子の敵意のエネルギーが、不快で嫌だった。
それに、E子からは、いじめっ子に言えない分、
やつあたりされたような…、で、E子が嫌いだった。
嫌いなE子が、一番よくいじめられてる
っていうことは〜、って考えたら、
「いじめられる=嫌な奴」
「いじめられる=嫌われている=恥」
なんていう確信が、私の中に居座ってしまった。
それは、私とE子の場合にだけ限られた確信だった。
そして、またまた、私の頑なな思い込み↓に繋がっていった。
今、無視されている私も、きっと、
「E子のように、嫌な奴なんだ」
「やっぱり本当に、私も本当は嫌な奴なんだ」という。
E子の中に認めたくない自分を
感じてたような気もしてたから、よけいに。
私の好きな子だって、時々いじめられてたのに。
善い子だって、いじめられてたのに。
それなのに。
悪い方にしか考えられなかった。
これ以後、私は自分を隠さなきゃって、一生懸命になった。
自分は嫌な奴だ、と確信してしまったから。
人に好かれるために、本当の自分を押し殺そうとした。
そして、自分の性格を変えることが、一番の目標となった。
無視、それは存在の否定。
私が、いてもいなくても同じ。いてもいなくてもいい存在。
幼い頃から家で、自分をちゃんと
受け入れてもらってる気がしてなかった私には、
そのことを、心の中に封印していた私には、
無視はきつかった。
<2003/04/02.の日記から抜粋・加筆はここまで↑>
小学5〜6年、中学1〜3年、高校1〜3年の8年間、
私は意識的に一生懸命、本当の自分を押し殺そうとした。
大学になってからも、無意識のうちに押し殺そうとしていた。
社会人になっても、無意識のうちに押し殺そうとしていた。
決心して頑張ってやめたつもりが、やめられていなかった。
強迫になって振り返ってみると。
強迫になってから、やっと、
みんなにも、悪いとこがあったと思い始めた。
ただ、それより前、中学の時、
主犯のS子だけは憎らしくなり、
小学校の卒業写真から抹殺した。
中学になって、顔も合わさなくなったのに、
いつまでも小学時代の私の悪口、しかも全くウソの悪口を
まき散らしていることが分かったから。
話を戻すね。o(* - -)ゞ
みんなにも悪いとこがあった、と思い始めても、
…でも、「私の正体は嫌な奴だ」は、抜けきらない。
…物語や漫画や歌から、ヒントをもらっても、抜けきらず、
…自分を嫌な奴だと思わなくなっても
…嫌いだと感じなくなっても、抜けきらず、
…もう嫌いじゃないだろ?って
…自分をなだめるように言い聞かせても、抜けきらず、
…強迫になった一因でもあり
…強迫をこじらせた一因でもある、母親との諸々のこと
…不思議と、ぜーんぶ水に流せて、母親を心から
…愛しく思えるようになっても、抜けきらない。
なんでなんだー?
きっと、怒りを押し込めていることに、気づかなかったから。
でも、やっと、やーっとだよ。
2月16日に、私は別に悪くない、みんなの方が悪いって、
初めて思えた。心の封印がとけだした。
やっと、怒りの感情を噴き出せたんだから、
こんな時ぐらい、言いたいことを言う。
自分勝手でもかまうもんか。
感情的でもかまうもんか。無様でもかまうもんか。
心から吐き出してしまうんだ。新たに踏み出すために。
小5の奴ら、あいつらが善い子なわけない。
普通のくそがきだ。ここで言ってる、あいつらとは主に、
S子・S子と手を組んだクラスの女子の中心グループのこと。
普段のあいつらを思い出したら、すぐにそんなこと分かるのに、
普段のあいつら、ときどき思い出してたのに、
なんで、今まで気がつかなかったんだ?
相手の方をチラチラ見ながら
悪口を電柱にたかって落書きできる神経、
中学の更衣室に、でっち上げのウソの悪口を書ける神経、
あきれるほどの邪推ができる神経、
親の都合で、しばらくアメリカにいたというだけで
その子をいじめることができる神経、
かわいくて性格も成績も良かった子の陰口をたたける神経…、
書き出してみたら、これって、みんな嫉妬が元じゃん!
小中学校時代の私には、理解不能だね。
私は子供の頃、嫉妬の感情が分からなかったから。
なぜか、嫉妬したことがなかったから。
いろんなこと思い出したら、あいつらはみんな、ただの悪がき。
人の気持ちなんて、まるっきり考えてない。
人の心を傷つけようが関係ない。
自分が楽しければいい。
おもしろければいい。
私は人の嫌がることなんて、すすんでしなかった。
私より、あいつらの方が悪かったと思う。
少なくとも、集団無視に関して。
今日やっと、私の心が認めてくれた。
ずっと後になってから聞いた、無視のわけ。
高校生ぐらいの時だったかな…。
…私の成績が気にくわなかったから…だそうだ。
どうしても信じられなかった。なんで?.そんなことで?
自分は嫌な奴なんだ、と信じ切ってしまっていた私には、
嫉妬心がなかった私には、どうしても信じられなかった。
きっとウソだ、って思った。
高校の時から、嫉妬が原因と聞いていたのに、
どうして、大人になってもイマイチ信じられなかったんだ?
なんで今日まで、信じられなかったんだ?
心が言うこと聞かなかったんだ?
10才の頃から私に呪縛をかけやがって、くそがきどもめ。
人の人生を奪いやがって、くそがきどもめ。
家での事情がベースにあったけど、
小5の集団無視がなかったら、
強く意識して自分を押し殺すこともなく、
強迫で人生を棒に振ることも、なかったかもしれない。
あいつらはいじめのことなんて、何一つ覚えていない。
あいつらにとっては、たった数ヶ月間のゲームだったから。
家でのいろんな事情が絡まっていたから、
小5の集団無視は、私にはきつすぎた。
でも、私の場合も、
他の多くのケース同様、悪いのは、
無視される方よりも、無視する方だった。
みんなの方だった。
なーんていう、当たり前のことを
やっと、当たり前に思えるようになった。
「今日までの私」マイナス「10年間」もの呪縛から、
やっと自由になれた!
3月13日、追加。
そういえば、集団で無視するみんなへの不満、
確かにあったよな…。小5の時も。
少なくとも、不満は感じてた。
理由も教えてもらえずに、
いきなり、「無視=存在を否定」され、
屈辱と怒りも感じてたと思う。
抑え込んでて、気づかなかっただけで。
でも、「クラスのみんな=子ども社会」
の中で生きていくために?私は、
みんなを否定する代わりに、
自分の方を否定した。
なんで?.どうして?って尋ねても、
もちろん無視して教えくれないし、
直接、悪口も言われないから、
反発も反論もできない。
そして、私の中には、母親のあの言葉、
「おまえは、きっと、おばあちゃんに似て気ぃきつい子なんや」
「きっと、おばあちゃんに似て意地の悪い子なんや」
そして、私の中には、
ほとんどの子が善い子、だっていう前提も。
私はみんなに「無視=否定」されたうえ、
それをキッカケに、私自身も、私を自ら否定してしまった。
私はみんなへの不満や、悔しさや、怒りを封じ込め、
悪いのは自分の方なんだ、って思い込んだ。
集団無視って、なんて卑怯な手口。
3月17日、追加。
一人だけ、「みんなと一緒に無視しないと、
私も無視されちゃうから、ごめんね」って、
こっそり言いにきてくれた。
その子のおかげで、少なくとも一人は、私の味方
だって思えて、それが、せめてもの支えだった。
無視のわけは、その子からも聞いてない。
口止めされてたか、知らなかったか、
どっちかだろう。
とばっちりが嫌で、集団無視に追従していた子が、
他にも、結構いてたのかもしれない。
ほとんどだったりして…。
そんな、ちょっと考えたら、分かりそうなことを、当時も
これまでも、なぜか私の場合に限っては、
全く考えられなかった。
それほど、あの時の「本当の私は、嫌な奴に違いない」は
強固だったってことだろう。
もしかしたら、集団無視を楽しんでいたのは、
S子とS子と組んだ数人だけだったのかもしれない。
その数人がクラスの女子の中心にいたから、
S子らの無視が、クラスの女子の間中に広がった。
もしかしたら、他の子は、自分まで無視されないために、
我が身を守るために、無視に逆らわなかった
だけかもしれないのだ。
でも、こっちからは区別がつかない。
無視と「見て見ぬフリ」は、同じに見える。
私は、ほとんど全員がすすんで無視していると
信じ込んでいた。
今になって思えば、
S子のいじめ・悪口の発端は
みーんな、執念深い嫉妬。
私の知る限り、
S子が他の子をいじめてた時、
もっともな理由があったことなんて、一度たりともない。
S子の悪口の内容がもっともだったことも、一度たりともない。
っていうことは、私の場合だけ、
もっともな理由があったっていうのは不自然。
私にはなんの落ち度もなく、嫉妬深いS子の
餌食にされてただけかもしれないのだ。
やっと、自分から、そこまで思い至って、
じゃあ、私の人生は…、って悔しくてたまらなくなった。
無視についての本当のことは、わかんない。
けど、私が自分を押し殺す必要は、全くなかったのだ。
受け止めるよ。今の私が、これまでの私を。
…悔しかったね。よく頑張ったね。
…つまんなかったね。悲しかったね。
…さみしかったね。よく頑張ったね。
…私は、なんて馬鹿なことをしてたんだろう…、って
…高校卒業の頃から思ってたけど、自分を責めなくていいよ。
…それより気がついてくれて、やめようと決心してくれて
…ありがとう。
3月22日、追加。
「一緒に無視しないと、私も無視されちゃうから、
ごめんね」って、言いにきてくれた子のような
いじめられる痛みを知る子、
他人の痛みをおしはかれる子って、
やっぱ、少数派だろうなぁ、って気がしてきた。
集団無視に追従してた子のほとんどは、
とばっちりくったらアホらしいとか、
巻きこまれたくないとか、
わざわざ反対するのは面倒くさいとか、
自分は痛くも痒くもないんだし、とか…、
ちゃっかり派が多かったよーな気がしてきた。
みんなで無視って、優越感あるのかなー。
だったら、いじめの原因が嫉妬なら、
みんなで無視するのが一番だよねー。
日頃、相手に感じてた
劣等感を優越感に変えれるんだものー。
一番?手っ取り早くー、手を出すこともなくー、
自分も傷つかずにー。
相手をののしるより、相手と言い争うより、
ずっと、優越感かんじられるしぃ、
相手を言い負かすより、無視の方が
ずっと簡単!
集団無視に追従してた子だって、一部の子をのぞいては、
お手軽に優越感をかんじられる恩恵に、あずかってたってことね。
そして、自己肯定感の足しにしてた…。
3月24日、追加。
あらためて、みんなのこと思い出してみたら、
みんなの笑顔しか出てこないなぁ。
責める気なんて起こらないぞ。
腹も立たないし。
誰が、どーした、こーした、なんて、
もう、どーでも、いいや。
とっくの昔にすんだことだし、
「私の心の中でも」終わったみたい。
悪口もいっぱい書いて、吐き出して、心のおそうじして。
やっぱり、みんなは、私の友だち。
まあ、S子のことは嫌いなままだけどね。
嫌いだけど、もう、どーでもいい。
終わったんだもーん、
私の中でも!
これ、2月の日記だけど、
まだ更新中なので…
3月1日、今日は
かけがえのない、たろーにゃんこの日。
たろーちゃん、いつもありがとう。(*- -)人
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