たろーにゃんこは、
もちろん自分自身のためにも 生きてたと思うけど、
私を守るためにも 生きてたような気がする。
それが、たろーの意思なのか、
目に見えない大きな存在の導きなのか、分からないけど。
たろーとの日々を振り返ると、そう思える。
春から ずっと、そう思ってきた。
たろーは、自分の命を使って 私を守ってくれたのに、
私は、たろーを守りきれなかった。
たろーが 一番苦しいときに、たろーを守りきれなかった。
それが、私の後悔の中でも たぶん一番大きい…。
ずっと そうだった。 今でも そう。
たろーが一生懸命、私を守ってきてくれたのなら、
私は、その想いを継がないといけない。
たろーが守った私を、私が守らないといけない。
『ポーの一族』 の中の大老?ポーのセリフ、
「それが あれの望みなら、わしは継がねばなるまい」
そのワンシーンが静かに 私の中でよみがえる。
信念のようなものとともに。
私は、このまま 死へと流されて行っては いけない。
私は、たろーが守りたかった私を守らないと いけない。
私は、たろーの想いを継ぎたい。 心を継ぎたい。
想いを継ぐことは、私の務めでもあるし、私の望みでもあるから。
ところで、
今朝の夢 - 1昔のバイク友達が、バイクでレースをしてた。
オンロードと モトクロスと トライアルのコースが、
ごっちゃに入り混じってた。
友達は、競って抜いていったのではなく、
他のバイクが転倒していって、友達だけが残り、
最後に90度の壁、つまり普通のまっすぐの壁を、
バイクで、25mくらい?一気に駆け登り、完走した。
誰かと競って、目的を果たしたのではなく、
障害となるモノと争って、目的を果たしたのではなく、
自分のペースで頑張ってるうちに、
障害となるモノが消えていったっていうのが 印象的だった。
障害となるモノは、私の心の中の いろんな部分を
象徴してるような気もした。
今朝の夢 - 2妹とバイクで走ってた。
現実には、妹は バイクに乗らないんだけど、
経済的に妹に助けてもらってるから、妹と走ってたのかな…。
だから、妹が前を走ってたんだ…。 o(- -;o
私は、FZ250じゃなく、
CBX125か、50ccのバイクに乗ってた。
乗ってたら、だんだんスピードが落ちてきた。
ガス欠だぁ〜。 ガソリン入れなきゃ。
この辺にスタンド、あったよなぁ。
へんだなぁ、ないや…。 もっと、あっちだったかなぁ。
でも、途中でバイクを降りて 歩いてた街は、
太陽の光が さんさんと降り注いでいて、心地よかった。
ある建物がガラス張りで、外から中が丸見えだった。
なぜか共同の台所で、数人の女の人が料理をし、
なぜか 何台もある洗濯機の前で、数人の女の人が洗濯をしてた。
「その家・その人のやり方があるのに、
共同で炊事洗濯をやってたら、気疲れしない?」 って尋ねたら、
「いえ…、みんなでやった方が 楽しいよ〜」 って
答えが返ってきた。 楽しそうだった。 うらやましかった。
その女の人の楽しそうな様子が、やたら 心に残ってる。
そういえば、学生の時や働いてた時の
共同作業は、楽しかったもんなぁ。
共同で炊事洗濯っていうのは、長屋とか 近隣で助け合う
人間の本来の暮らし方のような気もした。
ガス欠で、進むのを中断したから、
光が降り注ぐ街で、大切なことに出会えたんだよね。
PM.10:08