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2004年12月の日記
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●2004年12月30日(木)



… まぼろしの欠片 …


本当は、書くこといっぱいある。
書くことありすぎて、何を書こうか迷う。
でも、悩むエネルギーなんてない。 疲れてる。

さっき、HPに抜粋した過去の日記に、補足を書いてた。
↓ 過去の日記と補足に、ここでも また補足。



「陽のあたる〜」 のBBSへの、みぃカキコシリーズ。

2003/09/02. Tue. 04:01 - みぃ
心の病気になった原因は、人それぞれだと思いますが、
私は、 この病気になったとき、なんでこんなことに
なってしまったのか考えてみて…、

ちゃんと生きれてないから、なんじゃないか…。
本当に、自分が生きたい生き方が
できてないからじゃ、ないのか…。

って思いました。
ある程度、自分の生きたい生き方が できてると、
それまでは 思ってました。 子どもの頃の辛かった事は
乗り越えられたと 錯覚してました。
でも、やっぱり違ってました。
心の奥が、抑圧されたままだった。
だからキッカケが重なると、 心の病になってしまった。

心の病は 本当に辛いですよね。 ほんと身に浸みてます。
でも、私たちは、 自分の心を解放するために、
心の病になったんだと思うのです。
辛くて危険な試練というか、賭け。

心の病で、たくさんのものを 失う代わりに、
たくさんの大切なものも 得られます。
それは、 きっと、その人が必要としてたものです。
本当に生きたい生き方をするために。

私たちは、生きなおすために、
心の病になったんだと 思います。
生まれ変わるために、 なったんだと思います。
その力を秘めてる人が、 心の病になるんだと思います。



↑ 補足。
これも、本当の気持ち。
その一方で、何度もマジで死を考えるほど、苦しいのも本当。
昨夜も、死にたくて泣いてた。 でも、まだ死ねない。
人生の真ん中を強迫にとられて、これから先も、
ほとんど何もできないかもしれない。

それでも、私も、やっぱり 「それでも人生にイエス」 と言うよ。
V.E.フランクルのように。
でも、生きていたくない。 それでも、人生にイエスと言うよ。
イエスと言うけど、生きていたくない。
でも、イエスと言う。

PM.10:06
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●2004年12月25日(土)


… まぼろしの欠片 …


昨夜、12/24 の 24:30〜27:30頃、
3時間かけて、布団を一枚足すのを 無事に成功した。
布団を足すのは、念願だった。 ずっとずっとずっと。

この前の冬は、たろーにゃんこと 温め合って寝てたから、
薄々布団2枚でも、なんとか耐えれたけど…、
…たろーにゃんこ。 o(*- -)o

疲れてたから、無事にできて ほっとした。
ありがとうございます。 (*- -)人
たろーにゃんこ、守ってくれて ありがとうね。



布団に入ったのは、28時を過ぎてたけど、
あったかいなぁ、しあわせだなぁ、
あったかいなぁ、しあわせだなぁ、
あったかい〜、あったかい〜、あったかい〜、
**** ほわぁ〜ん **** (*’ ’*) **** ほわぁ〜ん ****

これだけ あったかかったら、生きててもいいか…、
なんて思いながら、寝入った。

たろーにゃんこと一緒に、新しい布団で寝たかった。 o(*- -)o
ごめんね。 たろーにゃんこ…。

PM.10:24

●2004年12月24日(金)


… まぼろしの欠片 …


昼になっても、部屋の中のホホバオイルが 固まったまま。
ウチの家の中は、昼間も冷蔵庫温度ってことよね。 o(- -;o
まだ12月なのにぃ〜。 いちおう。

PM.9:28

●2004年12月21日(火)


… まぼろしの欠片 …


お風呂の話の続きを 書くつもりだったけど、
書いたら、よけいに悪循環から 抜け出せなくなりそうな
気がするから、書くの止めときます。 o(*- -)ゞ



今朝の夢の話。 ごめんなさい。

桜の大木。 その桜は、普通の大木の何倍もの大きさ。
その木が、一つの宇宙を成してた。

木の下には、何人かの人もいてたし、その人たちの荷物もあった。
木の枝は、道にもなっていた。
木の枝の道を、バイクでらせん状に駆け登ったら、
路肩がボロボロで、地面に落っこちた。
怪我はしなかった。

数日間、昔の会社の行事かなんかで、
みんな 出かけることになってた。
昔の上司が、帰ってくるまで、その木は保たないだろうと言う。

老木だけど、上の方の枝には、桜の花が咲いている。
もう木が保たないと聞いて、悲しかった。

私は、桜の木の下で、たろーにゃんこに添い寝しながら、
たろーにゃんこを想って泣いていた。
たろーにゃんこは、生きてるようでもあったし、
生きてないようでもあった。

PM.9:35

●2004年12月12日(日)


… まぼろしの欠片 …


どうやったら、悪循環から抜けられるんだろう…。

お風呂で 服を洗濯するたびに、冷えて風邪をひき、
風邪の熱で 不安感が高まり、次の日も 熱があるのに
お風呂で服を洗濯する羽目になって、風邪が ひどくなる。
昼過ぎや夕方まで寝て 風邪が少しマシになっても、
お風呂で、すぐに ぶり返す。

風邪がふり返したら、不安感が高まり、
また お風呂で冷えて、しんどくなる。



強迫のせいと、ウチのお風呂の環境のせいで、
お風呂に入った時に 服を洗濯するたび、体が冷える。

お風呂の横の部屋で、親がTVやラジオを大きな音でつける。
音を小さくしてと言うのが嫌だから、
親が寝てから、お風呂を沸かす。
静かになってから 準備を始めると、すぐに夜中の2時になる。

ウチの脱衣所の気温は、外と同じ。
ガス管を家に引き入れるのに、誰がやったのか、
壁を20cm×50cmくらい、ぶち破ってあって、
その部分は網戸の網が貼ってある。 外の空気が入り放題。

ウチのお風呂は お湯が出ない。 シャワーもない。
お風呂の排水溝からは、外の冷気が上がってくる。
横の川の上に、直接 繋がってるから。



強迫のせいで、お風呂を沸かす前に湯船を洗う。
途中で失敗して、洗濯する服が増えたら嫌だから、
冬の夜中でも、服を全部脱いでから、
冷たい水で湯船を洗う。 素足の下のタイルも冷たい。

外気と同じくらい冷たい お風呂の空気の中で、
何も着ずに、さらに 冷たい水に手足を冷やされながら、
湯船を洗う。 冷えてこわばった神経では、
湯船を洗うのは、一回では成功しない。
凍えながら、何回か やり直す。

風邪もひいてるから、
よけいに 寒いし、よけいに 不安感も強くなるから、
よけいに やり直しが増える。



神経集中で、必死でやっと、湯船を洗い終わったら、
湯船に水を入れる。 お湯は出ない。
お風呂を沸かせるギリギリの水量になったら、沸かしスタート。
沸くまでのかなりの時間、寒いお風呂で、何も着ずにいる。

寒いから、床のタイルを洗ったりもする。
水を流すと、足が冷たいけど。

お風呂の表面だけが、少し温かみがでてくると、
表面のぬるま湯を 少しすくって、石けんを泡立てる。
以前に使ってた お風呂用のタオルが すり切れてから、
強迫的に安心して使える 新しいタオルを確保できなくて、
もう何年間も、両手を泡立て器にしてる。
腕に筋肉つくくらい、チカラ要る。
両手を 猛スピードで動かしてる間、寒さは紛れるけど。

石けんが泡立ったら、お風呂の表面のお湯を少し足して、
泡を少し ぬくくする。 石けんの泡も 冷えちゃってるから。

続きは、今度…。

PM.11:59

●2004年12月09日(木)


… まぼろしの欠片 …


昔の話。
本格強迫になってから数年くらいは、
服は洗濯機で洗えてた。 自分の分も、家族の分も洗ってた。

その時は、洗濯機は勝手口の外だったし、
時代遅れの、全 「手」 動の二槽式の洗濯機だったから、
当時の不潔恐怖の中で洗うのは、すごく大変だった。
勝手口の外には、ウチのゴミ箱もあったから、
洗濯物を、洗濯槽と脱水槽に 何回か移し替えるたびに、
ゴミ箱にすれないか、気になって気になって仕方なかった。
1〜2m離れてるくらいじゃ、もちろん、気になるからね。

私にとっては、神経を使う大仕事だったけど、
不安を振り切る練習も兼ねて、頑張って洗ってた。



でも、近所で家の外壁を塗り替えるのが流行って、
ウチも お金ないくせに、家の外壁を塗り替えることになった。
家の中はボロボロなのにー。
ウチの親は、見かけだけ良くしたがるのよねー。
でも 親はお金なくて、妹に頼んで出してもらったような…。

10日間?ほど、外の洗濯機が使えなくなった。
強迫は、やらないとできなくなる。
当時、強迫が ひどかったから、洗濯できない間に、
洗濯機を使うのも不安になって、使えなくなってしまった。
他の方法で 服を洗濯するのも、不安でできなかった。

そして、その後、服を なかなか洗えず、
安心して着れる新しい服も なかなか確保できず、
夏は、汗づいた服の不快・不快・不快に耐えるしかなく、
冬は、体を突き抜ける冷気に耐える生活が 始まったのだ…。
もちろん 強迫にも、めちゃくちゃ悪影響だった。
何年間、耐えてたんだろう…。 きつかったなぁ。
過酷な状況に耐えてる間に、心も体も 相当やられちまった。

PM.9:49

●2004年12月06日(月)


… まぼろしの欠片 …


たろーにゃんこは、
もちろん自分自身のためにも 生きてたと思うけど、
私を守るためにも 生きてたような気がする。

それが、たろーの意思なのか、
目に見えない大きな存在の導きなのか、分からないけど。
たろーとの日々を振り返ると、そう思える。
春から ずっと、そう思ってきた。

たろーは、自分の命を使って 私を守ってくれたのに、
私は、たろーを守りきれなかった。
たろーが 一番苦しいときに、たろーを守りきれなかった。
それが、私の後悔の中でも たぶん一番大きい…。
ずっと そうだった。 今でも そう。



たろーが一生懸命、私を守ってきてくれたのなら、
私は、その想いを継がないといけない。
たろーが守った私を、私が守らないといけない。

『ポーの一族』 の中の大老?ポーのセリフ、
「それが あれの望みなら、わしは継がねばなるまい」
そのワンシーンが静かに 私の中でよみがえる。
信念のようなものとともに。

私は、このまま 死へと流されて行っては いけない。
私は、たろーが守りたかった私を守らないと いけない。
私は、たろーの想いを継ぎたい。 心を継ぎたい。
想いを継ぐことは、私の務めでもあるし、私の望みでもあるから。



ところで、今朝の夢 - 1
昔のバイク友達が、バイクでレースをしてた。
オンロードと モトクロスと トライアルのコースが、
ごっちゃに入り混じってた。

友達は、競って抜いていったのではなく、
他のバイクが転倒していって、友達だけが残り、
最後に90度の壁、つまり普通のまっすぐの壁を、
バイクで、25mくらい?一気に駆け登り、完走した。

誰かと競って、目的を果たしたのではなく、
障害となるモノと争って、目的を果たしたのではなく、
自分のペースで頑張ってるうちに、
障害となるモノが消えていったっていうのが 印象的だった。
障害となるモノは、私の心の中の いろんな部分を
象徴してるような気もした。



今朝の夢 - 2
妹とバイクで走ってた。
現実には、妹は バイクに乗らないんだけど、
経済的に妹に助けてもらってるから、妹と走ってたのかな…。
だから、妹が前を走ってたんだ…。 o(- -;o

私は、FZ250じゃなく、
CBX125か、50ccのバイクに乗ってた。
乗ってたら、だんだんスピードが落ちてきた。
ガス欠だぁ〜。 ガソリン入れなきゃ。
この辺にスタンド、あったよなぁ。
へんだなぁ、ないや…。 もっと、あっちだったかなぁ。

でも、途中でバイクを降りて 歩いてた街は、
太陽の光が さんさんと降り注いでいて、心地よかった。
ある建物がガラス張りで、外から中が丸見えだった。
なぜか共同の台所で、数人の女の人が料理をし、
なぜか 何台もある洗濯機の前で、数人の女の人が洗濯をしてた。

「その家・その人のやり方があるのに、
共同で炊事洗濯をやってたら、気疲れしない?」 って尋ねたら、
「いえ…、みんなでやった方が 楽しいよ〜」 って
答えが返ってきた。 楽しそうだった。 うらやましかった。
その女の人の楽しそうな様子が、やたら 心に残ってる。

そういえば、学生の時や働いてた時の
共同作業は、楽しかったもんなぁ。
共同で炊事洗濯っていうのは、長屋とか 近隣で助け合う
人間の本来の暮らし方のような気もした。

ガス欠で、進むのを中断したから、
光が降り注ぐ街で、大切なことに出会えたんだよね。

PM.10:08

●2004年12月01日(水)


… まぼろしの欠片 …


私の魂を、あの日に飛ばすことができたらいいのに。

そしたら、たろーにゃんこが 家を出てから、
たろーの側に ずっと ついてて、見守り続け、
少しでも たろーが安心できるように、ずっと ついてて、
動物病院でも、たろーに ずっとついてて、
家への帰り道も、ずっとずっと、たろーのすぐ側で、
たろーに ありったけの想いを、注いで注いで注ぐのに。

心の中では、精一杯、私の想いを
あの日に飛ばしてるけど、あぁ…、届けばいいのに…。
届けばいいのに…。 私が死ぬときは、どうか
私の魂をたろーのところへ 行かせて…。

さみしい想いをさせて、ごめん…、たろー。 (*- -)人

PM.10:11


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