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2003年11月の日記
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●2003年11月27日(木)


… まぼろしの欠片 …


書く気力なし…。
もっともっと、自分を追い詰めたくなるのを、 なんとか、こらえてる…。


PM.4:29


●2003年11月26日(水)

… また、逃した …


今日は、本当は、通販の服を受け取るはずだった。
11月は、3回しか、そのチャンスがなかったから、貴重な一日だった。
でも、一週間くらい前、注文する段階で 不安感が強すぎて、
注文できなかった。 それでも、ムリに注文したけど、
やっぱり怖くなって、次の日、キャンセルした。 o(*- -)o

こないだも、貴重な一日を逃したような気がする…。
寒くなればなるほど、注文が厳しくなる。
寒さで、不安感が増すから。
寒さと不安感が増すと 睡眠不足になって、さらに不安感が増すから。
朝方、布団の中でも、寒いもんな…。

先が思いやられる…。


PM.9:05


●2003年11月24日(月)

… 「自分育て」 の期間 …



これは、私の勝手な感覚なんだけど…、
心の病を抱えてる人は、その間、「自分育て」 をしてるんじゃ
ないのかな…。 まぁ、人それぞれ だろうけど…。



幼い頃に、親から 無条件の愛情を得られず、
自分や 自分を取り巻く世界に対する、基本的な肯定感を
得られなかった者は、その後の人生で、自分で、
その肯定感を獲得していかないといけない。

ある程度、無条件の愛情に近いものを得ていた者は、
心の病なんて、危険な賭けをしなくても、
普通の生活の葛藤の中で、それを獲得することはできると思う。



でも、無条件の愛情を ほとんど得られなかった者は、
心の病という危険な試練を 通り抜けないと、それを獲得できない。
中途半端な状態からは、基本的な自己肯定感なんて得られないから。

徹底的に自信をなくし、いろんなモノを失い、身ぐるみ剥がれないと
中途半端な自己肯定感しか 得られない。
その中途半端な肯定感を、いったん失わないと、
その人の根幹となるような肯定感は、得られないんだと思う。




そして、その基本的な肯定感は、生きていく上で、すごく大切。
その人が、その人自身の価値観でもって、その人自身と世界を捉え、
自分の人生を生きるために、必要なもの。


基本的な肯定感を 得られないままだと、
どっかで、親の価値観から 抜け出せない部分が残ってしまう。
たとえ、親を憎んでいたとしても、親を否定していたとしても、
親の価値観から、完全に自由になれていない。
憎みながらも愛情を求める呪縛から、解放されていないから。

無条件の愛情を受けずに育つと、
親から独立した、自分の価値観による世界を 築きにくい。




だから、そのままの自分を 受け入れらえずに育った者は、
心の病の中で、自分育てをする。 親の代わりに、自分で自分を育てる。
もちろん、いろんな人に 助けてもらいながら。

もう一回、育ち直すんだから、時間もかかるんだろう。
いったん、心と体のバランスを崩しているから、
基本的な肯定感を 得られてからでも、
心の病の回復には、もう少し 時間が必要なんだろう。



でもねー、こっちは、あんたらの代わりに
心の 「自分育て」 をしてるんやから、それを邪魔すんなよなっ。
あんたらとは、両親のこと。


PM.8:13


●2003年11月20日(木)

… まぼろしの欠片 …


なんだかんだ言っても、
みんな 外の世界で生きてる。 広い世界で生きてる。 外に出れる。
よっぽど、重症でない限り。

私だけ、自分で作った オリの中。
もう10年近く、 ほとんど、オリの中。 珍しいよ、きっと。
一生懸命、オリから出ようと してきたけど、なかなか…。

家族以外の人と接するのは、 今は、ほとんど、ネットのみ。
リアルの友人たちが、まだ 若くて、いそがしくなかった頃は、
よく電話してたけど、だんだん、みんな 家庭を持って、いそがしくなる。

男友達は、結婚したら、まず無理。
女友達は、仕事と家庭の両立で、いそがしすぎる。
それに育児がプラスされる人も いてるから、迷惑かけれない。

私だけ、まぼろし。 ネットの中だけの まぼろし…。
なんだかんだ言っても、 ただの、まぼろし…。


PM.4:19


●2003年11月16日(日)

… まぼろしの欠片 …


ほとんど 外に出れないほどの強迫が、どんなに辛いものか、
際限なく 始終やってくる 強迫観念が、どれだけ恐怖か、苦痛か、

不安が形を変え、回復具合の見当がつかない 焦りと不安、
強迫に振り回されてるうちに、過ぎ去る季節の残酷さ、取り残され感、
社会に出ていく年代なのに、計画や目標を立てられない 焦燥感、

もともと 理解されにくい強迫神経症、家族との衝突、
長期に渡ると、家族も限界になり、 さらに衝突して悪循環、
病気の他に、偏見、疎外感、孤独感、無力感とも、闘わないといけない、
ありのままを否定されつつ育った者が、自己肯定感を得ることの難しさ…、



症状は違うけど、私と同じように重症の強迫の こんな友人の苦しみが、
手に取るように わかる気がしたから、 痛かったから、

友人には、絶対に 幸せになってほしいと思った。
友人は若い。 未来がある。 絶対に、私の二の舞は してほしくない、
そう思った。 一生懸命、私ができることを探した。



私が 強迫の闇の中で掴んだものを、全て伝えようとし、
友人の ありのままを、受け入れようとした。
でも、ネットと電話では、限界があった。
特に、友人の症状の場合は。

結局、私は、何の力にも なれなかった。
でも、私がしなくても、 友人の入院先で出会った人たちが、
みんな、してくれた。 私は、友人には 必要なかったけど、
入院時の経験が、友人の未来に繋がれば、それでいい。

私の望みは、友人が 少しでも早く良くなり、
制限だらけの強迫から脱出して、自由を得ること。
友人の夢が叶うこと。



私は、すでに、友人から、たくさんのものを与えてもらった。
友人の中の弱さを 認めることは、自分自身の中の弱さを 認めることに、
本気で誰かを好きになることは、自分自身を好きになることに、
繋がっている。 本気にさせてくれて ありがとう。



この日記も、ある時期は、
半分は、友人に伝えたいことを 書いていたようなもんかな…。
主に それを書いてた時期は、この日記を読んでくれてる人は、
日に、せいぜい 30人くらいに 減ってたし。

ちょうど、過去の自問自答の話や、私自身の考え方や、
エヴァから得たものや、そのへんのことを書いてた時期。
そういう抽象的な話題や、自分を見つめ直す話題は、
当時のヒノアタルでは、不評だった。



でも、その過去の日記を、新生ヒノアタルになってから、
わざわざ 読んでくれた人たちが いてくれて、感激した…。
当時は、友人に伝えたくて 書いてたんだけど、
本当は、心の病に苦しむ人、みんなに伝えたかったから。

読み手が少なかったから、友人を意識して書いていた。
プラス、わかってくれる少数の人を 意識して書いていた。
まさか、過去の日記を 読んでくれる人たちが、
後から 現れてくれるとは、思ってもみなかった。
泣きたいくらい 嬉しかった…。



友人のためと思って してたことが、他の人のためにも?なって、
それは、私自身のためにもなった。

不調になった友人のために、
セロトニン関係やら、いろいろ ネットで調べた。
その時に得た知識が、 今、ヒノアタルでのレスに役立って?る。
そして、それは、 私のためにも なっている。

外に出れない私が、今、できることは少ない。
でも、この10年間に得たことが、誰かの参考になってくれたとしたら、
それは、私にとって、大きな喜びだから。

だから私は、すでに、友人から、たくさんのものを、与えてもらったの。



10年の歳月の重さが、気力を失わせていき、
治るのを諦めかけていた私に、治って外に出て会いたいと、
強く思わせてれたのは、友人。
もともと 外に出たいって言う思いは、強かったけど、
強迫の不安の方が、遙かに勝っていた。
10年間で一番強く、外に出たいと思わせてくれたのは、友人。

友人から、優しさや 楽しい時間も、もらったし、
20歳頃に 私が考えてたことや、その頃のパワーも思い出させてもらった。
その他にも、私から私へ、たくさんのものが返ってきたの。
上に書いたようなことが 返ってきた。

だから、これでいいの。 絶対に、幸せになって…。
友人は、あれだけ 辛い思いをしてきたんだから、幸せにならなくちゃ…。


AM.4:20



さっき、妹のデジカメで 写真を撮った。
デジカメの修理できてからも、なんやかんやで 撮れなかったけど、やっと。

30過ぎてるのに、全くのノーメイク、
髪は 自分で適当に切ってるし、あわてて撮ったから、ボサボサ。
眉の手入れもしてない、 服だって 似合う色じゃない。
ずっと家にいるから、 街ゆく人のように お洒落じゃない。

でも、顔が見えないネットの限界を 少しでも減らしたくて、
写真を載せることにした。 お世話になったし。
それに、顔が見えない方が 怒りが増すって聞くしー。

いくらなんでも、日記に直接 貼るのは、嫌だから、
HPスペースを確保して、リンクさせるつもりだけど、
HPの作り方、わかんないー。 手打ちで メモ帳を使って
作る場合でも、FTPとか要るのかな〜?


AM.10:58


●2003年11月15日(土)

… まぼろしの欠片 …


あまりにも立て続け、このごろ…。

不調で、食べれない、寝れない、冷えが続いてて、
やっと、マシになってきて、
やっと、服を二枚、増やせたと思ったら、
その日の晩から、 トラブルに巻き込まれて、消耗して逆戻りするし、

やっと、トラブル関係の気持ちの整理が、できかけてきたと思ったら、
また、その日の晩に、 また、別の件が…。
覚悟はしてたけど、ショックはショック。
それに、 ずっと、立て続けなんだもの。 9月頃から。
これは、死ねということか…?

今から、やっと寝れる・みぃ。
睡眠不足で、明日は地獄の予定。 いや、今日だな…。


AM.6:00


デスクトップの背景を
「優しい祈り」 を、思い出させてくれる イラストに変えた。
優しさに包まれてるような 妖精のイラスト…。
それを介して 伝わってくる優しさが、 今の私を支え 守ってくれてる…。
ありがとう…。 (*- -)人


PM.5:07


でも、なんか熱っぽいな…。 上を向いて寝ころぶと、
そのまま 奈落の底に、 真っ逆さまに 落ちてくような気がしてくる…。


PM.6:45


●2003年11月14日(金)

… まぼろしの欠片 …


気持ちの方は、少し落ち着いてきた…。
みんなの 思いやりのおかげ…。 ありがとう。
優しさが 包んでくれたおかげ…。 ありがとう。

でも、注意力散漫、気力なしだから、 なるべく 用心してたんだけど、
その注意力散漫のせいで、 強迫の用事が、
3時間プラスされちゃった…。
強迫行為には、集中力が要るのに できるのかなぁ。
でも、やらないと、寝れないや…。

体の方は、まだまだで、
相変わらず、食べれないし、 無理して食べても、吸収されないけど、
ちょっとずつしか、無理だもんね。 強迫で行動制限が多いから、
体の方のケアも、 なかなか できない。
冬支度も しばらくストップ…。 あーぁ…。


PM.8:18


●2003年11月12日(水)

… まぼろしの欠片 …


どうか、このまま…、どうか、このまま…、
優しい声の記憶を 耳に残したまま、 もう目覚めなければ、いいのに…。
どうか、二度と 目が覚めませんように…。
寝る前、つい祈ってしまった。
でも、優しい声の主や、心配してくれてる みんなのことを思ったら、
そんなこと考えちゃいけない…。 みんなの好意を 無にすることになる。
わかってるのに、わかってるのに、 祈ってしまった…。 ごめんなさい。



やっと、食べれるように なりかけてたのに、 食べれないのが復活した。
眠れないのも、復活した。 すぐ目が覚めてしまうも、復活した。
寒かった覚えないのに、なぜか 風邪っぽい。



次の服の準備の電話をしたいのに、 不安感が強くてできないよ…。
今日を逃すと、 月末まで、私の強迫の関係上、無理だ…。
売り切れちゃうだろうな…。
私の症状の場合、 選べる服も通販先も 限られてるから…。

昨日、 注文の電話をするつもりだったのに、
フラフラで、不安感が強すぎて、 注文の電話すらできなかった。
不安感の強いとき、無理に注文しても、後でキャンセルする羽目になるの。
今日、まだ こんなんで、 できるんだろうか…。 まず、無理…。



なんで、こんな目に遭わなくちゃ、いけない…?
私は、ただ 苦しんでた ある人に、 手を貸しただけ…。
レスやカキコの話じゃないよ。


AM.10:30



●2003年11月11日(火)

… まぼろしの欠片 …


Kill me! Kill me! Kill me! Kill me! Kill me!

AM.1:47


Kill me! Kill me! Kill me! Kill me! Kill me!

AM.3:21


Kill me! Kill me! Kill me! Kill me! Kill me!

PM.2:30


Kill me! Kill me! Kill me! Kill me! Kill me!

PM.3:30


Kill me! Kill me! Kill me! Kill me! Kill me!

PM.5:43


●2003年11月10日(月)

… 今日の日記は、なぜか攻撃的 …



今日の昼、 また、カウンターが 1 に戻ってました。
幸い、昨日の夜、 28,000 を踏んでくれた人が、
それを BBSにカキコしてくれてたので、 メールしたら、
今日の夕方、 28,000 には、戻してもらえたようです。



日記の更新をしてなかったのは、 強迫で いそがしかったのと、
ヒノアタルへのレスが 多くなるときは、それで疲れてしまうから。
ここのBBSじゃないよ。 ヒノアタルの方だよ。
身を削ってまで、ヒノアタルにレスするのは、止めよ…。



今日は、勝負の日だった。 なんとか、あと二枚、服を重ねられた。
冬には、まだまだ 足りないけど、ひと安心。

なんせ、ウチの中の温度、外と変わんないからね。
風が当たらない分、体感温度がマシなだけ。

真冬なんか、妹は、 家の中でマフラーするし、厚手の靴下3枚も履くし、
プラス、もこもこスリッパ履くし、スパッツも重ねて履くし、
セーターも 何枚も着るし、厚いジャケット着るし。
母親も、 タイツも、ソックスも、保温ロングショーツも、何枚も
重ね履きするし、 救命胴衣かと思うくらい モコモコのジャケットを着るし、
厚手のインナーも、何枚も重ね着するし、もこもこスリッパ履くし。
父親も、 外に出るのと同じくらい着込むし。



そうしないと、耐えれないような寒さなの。 家の中なのに。
なぜかって…? 父親が、昔 作った多額の借金のせい。
でも、 それは 終わったことなんだとー。

私に、軽い縁起恐怖の症状が 出だしたのは、 その頃なんだぞ…。
多感な時期に、 家の中の険悪度が 最高になって、
弱い者に ツケが回ってきたから。



↓ ここからは、昔の話
そんな寒い中で、「着ないのは、あんたの勝手や」 と言われて、

初夏用の ボロボロのロングTシャツ一枚 の冬があった。
ジーンズもショートパンツも 確保できなかった。 下はショーツ一枚。 素足。
体の中心を、常に冷気が下から、キィーーーーーンと突き抜け、
絶え間なく、寒い寒い寒い…、ひたすら、寒い寒い寒い…、
足元は、石のように冷たい。 これでも、人間の足か?

似たような冬が、何年間も続いた。
体もポロポロになった、何年間も回復しなかった。 当たり前だ。



長い間、体を冷やしすぎて、
神経もこわばって、不安感も絶え間ない。 恐怖と不安の世界。
心も体もイカれて、強迫も体の方も、悪循環。
とうとう、私は、ぶちキレたよ。 攻撃的になった。

父親と 取っ組み合いはするは…、 ドアは 何枚も蹴破るは…
怒鳴られたら、ものすごい勢いで 怒鳴り返すは…、
父親の部屋を ひっくり返すは…。

↑ 今は、こんなこと しないよ。 昔の話。


PM.9:29


●2003年11月04日(火)

… まぼろしの欠片 …


もし、私が無意識のうちに、へんなことをしてたらどうしよう…、
っていうのが、私の最大の不安…。
そんな記憶が、全くなくても関係ない。
忘れてしまってたらどうしよう、って不安になるから。
記憶が途切れた覚えは、今まで 一度もない。 それでも、怖くて仕方ない。
自分自身が、信用できないのだ…。



そのことが、私の最大の恐怖だと、 母親は知ってる。
理解してないし、理解しようともしないけど、 知っている。
知ってるくせに、 その一番の恐怖心を つつくなよ…。

耳をギューーーーって、 痛くなるほど 押さえつけても、
聞こえてくるような大声で、がなり立てるなよ…。
私は、何も言わずに耳を押さえて、ただ 必死に耐えてるんだぞ…。
なんで、いつまでも言い続けるんだ…。

こんなに弱ってるときに、やられたら、 気が狂いそうになる。



母親の嵐が 部屋を去った後、 やっぱり、死にたくなる。
でも、悲しませないって約束したから、 泣きながら耐えた。
一人だけど、一人じゃないから、 なんとか耐えれた。
私の中のその人が、助けてくれた。

その人の本当の心を、借りるわけには いかないから、
申し訳ないけど、私の中の その人の心を貸してもらった…。
ごめんなさい。 ありがとう。 (*- -)人
おかげで、その危機自体は、なんとかなった。



でも、焚き付けられた不安が、 どんどん 引火していく。
苦労して 一つの不安を鎮めても、 また次、また次…。
キリがない。 時間が どんどん 過ぎていく。

その間も、 ときどき、怒鳴りに来る。
お願いだから、そっとしといて…。 また 一人で泣く。
約束の言葉、優しい言葉を、思い出しながら 泣いては、
少し気持ちが静まったら、 また 次の強迫行為、…の繰り返し。

でも、まだ残ってる…。 途方に暮れる…。


PM.9:45


●2003年11月02日(日)

… まぼろしの欠片 …


11月1日の夜に、いったん 書いて消した昨日の日記 ↓
なぜ消したか…? 今日の用事を失敗したくなかったから。
刺激を減らしたかったから、消した。 でも、失敗した。


昨夜 ← すなわち おとといの夜、少しは早く寝れたのに、
寒くて、よく眠れなかった。
当たり前だよ…。 いまだに、まともな布団で寝てないもの。
でも、これでも、昔に比べたら天国なんだ…。
昔の話は、また 今度…。



畳の上に、こたつ用の使い古したマット、
ポリエステル 100%の ひしゃげた綿の厚みは 3mm ってとこか…。
その上には、布団の代わりに安物の薄い アクリル 100%の毛布を
二重にたたんで敷いてる。 模様が裏に透けるくらい薄い。 枕はなし。
あぁ…、枕が欲しい…。 10年近く そう思い続けてる。

本当は、敷き布団で 体を温め、
掛け布団で 熱を逃がさないように、するらしいね。

掛け布団にしてるのは、これも こたつ用の使い古した
ポリエステル 100% の薄〜い布団一枚。 綿の厚みは 5mm くらいか…。
もちろん、こたつは使ってない、こたつ用の布団を使ってるだけ。
布団越しに寝てるニャンコが こたつ代わり。
いつも寝てるとは、限らないけど…。



この部屋は北の端、裏はちょっとした崖。 北風が まともに当たる。
冬なんか、北風が畳の間から、冷気を吹き上げてるのが、よくわかる。



昔は、寝る時は 服を着替えてたけど、 今は 起きてる時と同じ服。
細身のジーンズのままで 寝る。 リラックスできるような服に 着替えない。
ジーンズはローライズだし、ニットとかは短いから、おへそが冷える。

服を、お風呂で手洗いするようになってから、
服の数を増やしたくないのだ…。 強迫で 服を洗うのに神経使うから。
いっぺんに たくさんの服を 洗えないから、ローテーションで洗うし、
たくさん洗うと、貴重なドライヤーにも 負担かかるし。

だから、着る服が少ないと 、寝るときも、自動的に寒くなる。
布団も確保したいんだけど、 不調の中、服の確保で 精一杯で、
エネルギーが足りない。 買える日も 強迫のせいで限られてるし。



まともな布団で寝たい…。 10年近く 思い続けてる。
好きで、こんな状態で 寝てる訳じゃない。
強迫の恐怖が、私に我慢を強いる。

まともな布団で寝れたら、回復も、マシだろうに…。
強迫で 体を冷やしてしましまい、 体も やられ、
強迫も こじらせてしまった私は、 長年、まともに服も着れず、
まともに布団も使えず、 強迫と寒さのせいで まともに寝れず、
さらに 体も冷やし続けて 悪循環に陥り、
もっと、病気をこじらせる羽目になったのだ…。

ウチは、暖房しないから、冬は いつでも寒いのだ…。o(*- -)o


2003/11/01 PM.11:51 に書いた分



そして、本当の昨夜 ← 11/1〜11/2にかけての夜、
今日に備えて早く寝たかった。 用事を早めに終われて、
早く寝れるチャンスだった。 でも、心が どんどん乱れてきて、
超睡眠不足続きなのに、ぜんぜん眠れなかった。

あの人が助けてくれて、やっと眠れた。 ありがとう。 (*- -)人
わがまま言って、ごめんなさい。 もう甘えちゃいけない。

寝たのは3時過ぎてたし、4時間くらいで目が覚めた。
相変わらず、食べれない。 体も冷える、こんな時期から。
用事も失敗した…。 寒い腕に手をやりながら、途方に暮れる。
食べれない。 寝れない。 温められない。 家族からの攻撃。

こんな中、どうやったら 回復できる?
私なりに、精一杯、手は尽くしてる。 こんなんじゃ、
消えた夢の代わりに、せめて なっとくしたいっていう願いも
叶いそうにない。 そしたら…、生きる意味ないじゃん…。
工夫を重ねても、反対に、終末に向かってる。

せめて、電話で話せたら…。 本音の声が聞きたい…。
話が複雑になると、文字だと 確実に誤解が混じる。

強迫で 体を冷やすとどうなるか…、戻すのに7年かかる。
もう、そんなに時間は かけられない。
あんな世界に戻りたくない。
今まで以上に攻撃されるのは、目に見えている。 もう治らない。

レスは要らない。 ほんとに要らない。


PM.11:17



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