10/9(土)の夜に思ったことを書きますだ。
私は、元の世界に戻りたい訳じゃない。 元の世界…、病的な不安に支配される前の約10年間…、
楽しかったよ。 おもしろかったよ。 懐かしくてたまらないよ。
子供の頃は、とても辛かったから、
やっと楽しく生きれるようになって、
うれしかったよ。
もちろん、時間たちすぎてるから
元の世界に戻るのは無理な話なんだけど、
そういう意味じゃなく、
…世界の感じ方を変えたい。感じ方が変われば世界が変わる。 新しい世界になる。
その
新しい感覚の世界に行きたい。 ある程度治ったとしたら。
不安に支配される前の
楽しかった時期、その時期でも
私にはまだ、子供の頃からの宿題が残っていた。
心の隅で薄々感じていたけど、ついつい後回し…。
バイト・仕事・趣味・日々の生活にかまけてしまって。
宿題…私は、心の底では自分のことが嫌いだった。
自分で自分を認めていなかった。
だから、他人から認められようとしていた。
人のと関わり、バイト、仕事、バイク・カメラ・スキー、
日々のいろんな挑戦からでも、少しずつ自分を
認められるようになってきてたと思う。
でも、それだけでは足りなかった。
小学5年から高校までずっと、
自分の正体は嫌な奴だと、確信し続けていた私には。
宿題は、心の奥底にへばりついたまま。
大人になっても、どうしても自分が嫌いな自分が居た。
薄々気づいていた。 けど自分を誤魔化していた。
…不快だった。 一生、そんな心でいるのは嫌だった。
強迫になってから、
子供の頃からの一番の望みが、
「自分を好きになること、自分で自分を認められるようになること」
だと、はっきり自覚した。 強迫を治したい一心で
やっと腰をすえて、自分と向き合ったから。
人が本当に救われるのって、谷の時期でしょ…。
私が自分を、前よりもずっと認められるようになったのは、
やっぱり、何もかも失った谷の時期、強迫の時期。
それを経験せずには、私の課題は果たせなかった。
だから強迫は、私にとっては必要な試練だった。
あまりにも長すぎて、人生の良い時期すぎちゃったけど。
もし治ったとしても、今から何ができる?って感じだけど。
生きてく条件は厳しくなった。でも。
でも、条件が良くても、
自分を認められない不快感を、心の隅で誤魔化したまま、
自分と自分をとり巻く世界を感じて、生きるよりも、
自分を認めた上で、
自分をとり巻く世界を感じて、生きる方が良い。
自分を嫌いな不快感を薄々感じつつ、
人に褒められることによって、
その不快感を誤魔化そうとする…、
そんな心で感じる世界と、
自分で自分を、ある程度認められていて、
自分の中に、なにかどっしりした感覚があって…、
そんな心で感じる世界は、
違っている。
目に見える世界は同じでも、感じる世界は大きく違う。 ごく当たり前の生活ができる程度に不安が薄らいで、
そして、自分を認められない不快感なしに
自己肯定を他人に頼る不快感なしに
世界を認識できれば、感じられれば、
新しく認識し直せたら、感じ直せたら…、なんて素敵だろう。
たとえ、社会的な条件は厳しくても。
私にとって、自分で自分を認められた、
どっしりした感覚のイメージっていうのは、
…たとえば、歌うとき、
お腹からしっかり声が出てないと、
たとえ高音が出てても、なんかひょろひょろした高音に
感じるのね。 根っこが貧弱で不安定で。
お腹からしっかり声が出てると、
同じ高さの声なのに、なんか太く感じる。 声にすそ野がある感じ。
聞こえないけど、高音と一緒に低音も同時に感じられるような?
…どっしりと安定した感じ。
ちょうどそんな感じかなぁ。
自分の中にしっかりしたものがある、
自分で自分を認められている感覚…っていうのは。
…すそ野があって、どっしりと安定した感じ。
イメージを描いて感じるのは、こんな場合も良いらしい。
お腹からしっかり声を出す感覚に浸ってみませう。 どんどん厳しくなっていく未来。
そこに、なにか新しい価値でも見出さないと
やってられないー、o(* ̄0 ̄)/ うんうん!!
ということで、このイメージ浸り作戦もプラスして、
行動療法に励みますだ。
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