2010年10月から12月までの、まだ書けてない日記は、
2010年12月の日記に全部書くことにしますだ。 昨年の話だしぃ。
で、書けたら最新の日記にリンク貼って、すぐ飛べるようにしますだ。
で、先に今書きたいことを書きますだ。
ありきたりの言葉たちなのに…、
それらが、エレカシの宮本から発せられると、
一変してパワーをもつ。 私の心深くに命中する。 強迫の不安と闘う力をくれる。
私を生へと駆り立てる。
「逃げられない」「そのままでっ!」「生きていけるさ」 まわる、まわる、エレカシの宮本の言葉が歌声が。
私の中でまわる、まわる、まわる、まわる。
まわれ、まわれ、もっとまわれ、
私の中にしっかり根づくまで。
「世の中にあるもの全てがメッセージ」
「感じてるだろう? 心の奥の真実の声を、それがメッセージ」
「やめるなっ、闘えっ、もう一度出かけてゆけっ」
「デタラメでいい、そいつが力だ」 そして、宮本の叫ぶようなこの歌声も、
まわってる、まわってる、私の中で。
しっかり根づけ、私の中に。
こないだ、YouTubeで観て聴いた、
あるライヴでの宮本の
あの気迫、あの勢い、あの歌声、あの叫び、あの表情、あの動き…
を思い返しながら、
自分の場合に勝手におきかえて
「逃げられない」「そのままで」「生きていけるさ」
って自分に言い聞かせると、少しの不安が残っていても、
えいや!って思い切って、先に進みやすくなる。
宮本じゃなく他の人なら、こうはいかない。
宮本でもライヴじゃなきゃ、こうはいかない。
強迫の不安は甘くない。
それなのに、少しの不安をもちこたえたまま
先に進みやすくなる。
それほど、ライヴでの宮本は、
私にとって説得力がある。
「逃げられない」「そのままで」
とっくにわかってる、けどまだまだ甘い、
そんな私の心深くに改めて、宮本のエネルギーが届き、
もっとできるだろ?って、せなかを押してくれる。
もちろん、宮本は強迫の不安のことなんて歌ってない。
けど、私に命中した言葉を断片的に切り取って、
勝手に私の場合にあてはめる。
元の意味からずれたって、かけ離れたって、
意味が変わっちゃったりしても、
いったん宮本が言葉に宿したエネルギーは、私から消えない。
この不安からは「逃げられない」「そのまま」行くしか仕方ない
「そのまま」進んで逃げない練習
気休めに、やり直さなくていい
不安を打ち消そうとして、
考えすぎないで
さっと状況確認したら、さっと次へ次へ、止まらないで
止まらないで、不安がくすぶってても「そのままでいい」
不安を「そのまま」にして進んでも「生きていける」
不安をそのままにして進んだら、生きてける
不安から「逃げなくても」「生きていける」
不安から逃げ続けてたら、生きてけない
「感じてるだろう? 心の奥の真実の声を、それがメッセージ」
そう、不安と同時に感じてる。 心の奥のもう一つの声
たぶん、大丈夫なんじゃ…っていう
「感じてるだろう? 心の奥の真実の声を」
そう、不安だけど感じてる。 微かでも大丈夫、止まらないで
「そのまま」進んで、不安で落ち着かなくても
…ただ「そのまま」進めない状況の時だってある。
でも「世の中にあるもの全てがメッセージ」
「そのまま」進めない時って、じっと待ってないとあかん時。
だから、じっと待ってる時って不安が膨らみやすい。
次へ進むことによって、不安をかわすことができないから。
関心の焦点を、不安から別のことへ移しにくいから。
目覚めてすぐの不安定な時間帯に、
親の都合や機嫌によって、不安を煽られながら、
じっと長く待ってなあかん、厄介な時がある。
そんな時は、いつもよりハードな修行を
させてもらってるって思うしかない。
これも、私への「メッセージ」の一種だと。
そんな時は、
強い不安が湧く前にまず心の準備。
そして不安がきたら、瞬時に大丈夫だとさっと状況確認。
不安が湧くたびに、瞬時にその場その場で確認。
次から次へと不安がやってくるから、後から思い返してると
こんがらがって分かんなくなって考えすぎちゃって
不安を募らせてしまうから。
不安が湧いた瞬間の確認は、必要な分だけに。
多すぎてはダメ。 少なすぎてもダメ。多すぎても、少なすぎても、不安が膨らむから。
そして、不安がってる私、
私に対して大丈夫って言ってる私だけじゃなく、
大丈夫って言ってる私を意識してる私にも、注意を向けて。
3人の私を意識して。 これも瞬時に。 目覚めてすぐは、ちゃっちゃ、ちゃっちゃと
不安に対応していくのは、キツイけど
そんな厄介な時も、わすれないで
「感じてるだろう? 心の奥の真実の声を」
2010/12/24の早朝、YouTubeで元曲とはだいぶ違う
エレファントカシマシの「ガストロンジャー」の
あるライヴを見つけた。
それ以降、元曲にはない歌詞の
「そのままでっ! そのままでっ! …いいんだよ」etc.が
エレカシの宮本のエネルギーとともに、
私の中でまわりだした。
2011/01/01の朝、同じくYouTubeで
エレファントカシマシの「クレッシェンド・デミネンド」
2002年のライヴを見つけた。
宮本はいつもよりまして、心の奥から叫び歌っていた。
憑かれたように。
それ以降、このライヴでの宮本のエネルギーとともに
「好むと好まざるに関わらず、逃げられない」
って言う歌詞も、まわりだした。
そしたら、
その日の夜を越えた未明服の手洗い5着、1回もやり直しせずに耐えれた。
とても不安の出やすい用事?なんだけど。
次の日もやり直しなし。 そしてそれ以降、滅多にやり直ししてない。
服の手洗いは、毎日やってる神経疲れる
時間の無駄づかい用事。
時間とれなくて、ほぼ1日1回、o;T T)o
その2曲のライヴを観て聴くようになった。
そしたら、他の歌詞も私の中でまわりだし…、
昼のいろんな用事のやり直しも、以前より少なくなった。
確認も早くなった。 ティシュの使用量も減ってきた。
もちろん波はあるし、ふつーの生活なんて
気が遠くなるくらい彼方だけど。
本文中の「」内の歌詞で、
「そのままでっ! そのままでっ! …いいんだよ」
「生きていけるさ」「デタラメでいい、そいつが力だ」は
YouTubeにアップされてた
エレファントカシマシ「ガストロンジャー」の別バージョンライヴより。
どれも、元曲にはない歌詞。 たぶん、2006.06.27.のライヴ。
「世の中にあるもの全てがメッセージ」
「好むと好まざるに関わらず、逃げられない」
「感じてるだろう? 心の奥の真実の声を、それがメッセージ」
「やめるなっ、闘えっ、もう一度出かけてゆけっ」は
同じくYouTubeで、
エレファントカシマシ
「クレッシェンド・デミネンド」2002.11.02.のライヴより。
歌詞だけ見てると、ピンとこないでしょ…。
私だって、こないもの。
だから、すごいのよねぇ。
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