<8月9日、テカムセの言葉>
アメリカ先住民の英雄テカムセの言葉。
森井啓二さんのブログ
「ひかたま(光の魂たち)」より抜粋。
「朝起きたら、太陽の光と命と
自分に与えられた力に感謝しなさい。
食べ物に、生活の喜びに感謝しなさい。
感謝する理由が見つからないのであれば、
あなたの中に落ち度があるはずだ。」
<8月11日、熊野宏昭・マインドフルネスの戦略>
熊野宏昭(著)『実践! マインドフルネス―
今この瞬間に気づき青空を感じるレッスン』より、
覚えておきたいことを少し抜粋しながら、
まとめさせてもらいますだ。
マインドフルネスの戦略
・基本は、
「自分の体験に気づいて、
反応を止めることによって、
いつものパターンから抜けること」
・詳しく言うと、
「今この瞬間の身体感覚・思考・感情などに
気づいて、それに後続する反応を止めて、
さらにその体験を見つめ続けることによって、
自然とピークアウトするまで待つ」こと。
・その一連の行動によって、
過去の学習歴によって形成された反応パターン
である症状や問題行動を消去
することが可能になる。
・反応を止めて、いつものパターンから抜ければ、
次の瞬間から自分で選ぶことができるようになる。
自分の価値に基づいた次の行動を。
ヴィパッサナー瞑想では、
同時に様々なことに気を配って、
それらを感じ取り続けることによって、
すなわち、注意を分割することによって、
自分をつくり出す「思考」にまで
気がまわらなくなるようにする。
そしたら、雑念は出にくくなるし、
出ても、反応せずにほっとき、
そのまま、いろんなことに気づいて、
感じ続ける状態をキープしやすくなる。
この時の雑念の、盛り上がっては消えていく、
盛り上がっては消えていくという体験は、
いつもの反応パターンの消去に役立つ。
<8月11日、空の雲>
「〜でなければならない」
「〜しなくてはならない」
というような固定観念や信念が強いと、
その思考が、常に自分自身や状況を裁くことになる。
それってジャッジメンタル。
そんな時は、ロックウォーター。
「まあいいか〜」と許せてしまうように。
ロックウォーターが性質的な傾向としてもある場合、
「〜でなければならない」
「〜しなくてはならない」と
「思ってはいけない」というふうに、
更にコントロールする思考が
出てきてしまうことがあるらしい。
以下は、藤岡千鶴さんのブログ
「心が楽になる!花の療法で望む人生を創る」より抜粋。
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出てきちゃいけない思考も
出てきちゃいけない感情も一切ない。
思考や感情が起きてくるのって
誰のせいでもなくて、
空の雲みたいなものなのです。
だからただ、観ていてほしいのです。
ご自身の思考・感情を見守っていて下さい。
ああ、〜でなければならないと思っているな〜
ああ、〜しなくてはならないと感じているな〜〜
と、そんな感じで眺めているだけ。
あとはフラワーレメディにおまかせして。
ここは他力が必要なのです。
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<8月17日、風のない夏>
今日は急に涼しい。
一時的なもんらしいけど。
それにしても、今年の夏はきついよね。
7月はじめに、もう梅雨あけたもんね。
そして、7月と8月上旬は、連日38℃・39℃。
なのに今年は、
換気扇が壊れて一回使ったきり。クーラーはなし。
私の強迫の症状の関係で、
部屋の扇風機、洗えないうちわ使えず、涼しいカッコできず、
窓からの風も、無風か微風のときが多くて、
風よりも、隣家の壁に反射した日差しの照り返しの熱と
隣家の子の大声が入ってくる。
体温を超える蒸し暑さでも、
少しでも風があったら、
一週間に一回でもお風呂に入れたら、
自由に着替えられたら、
すごーく楽なんだけどなぁ。
よく熱中症にならなかったもんだ。
でも、お盆が終わった頃、すっかり夏バテ。
<8月23日、崖っぷち>
追い詰められてる。
心も体も、生活状況も、金銭状況も。
私の心も、妹の心も、母親の心も。
私の体も、妹の体も、母親の体も。
私の生活も、妹の生活も、母親の生活も。
うちの金銭状況も。
そうなると、せっかく手に入れた自己肯定感も簡単に揺らぐね。
静まってきた不安感も簡単にぶり返すね。
この悪循環、なんとかならないのかよ!
そういえば、先の見通しが立たないことが
一番のストレスだと、本に書いてあったよなぁ。
<8月31日、砂の舟>
2〜3週間前?
気づいたら、数年間は続いていた
のどの痛みと声がれがとれてきた。
低音でなら、歌えるようになっていた。
無理のない範囲でなら。
なんで、あんなにも声が出なくなってたのかも分かんないけど、
なんで、声が出るようになったのかも分かんない。
少しでも歌える人生と、歌えない人生は大違い。
プレゼント?
で、今日、中島みゆきの『砂の舟』を歌ってたら、
途中から泣き声になってしまった。
もともと絶望の歌だと思うんだけど、
この歌を泣き声のまま歌ったのは初めて。
どの歌も、気持ちを入れすぎないようにして
歌うようにしてたんだけど。
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