カウント
2004年06月の日記
[HOME] [過去の日記] [前略プロフィール & 日記の索引] [管理モード]
●2004年06月30日(水)

… まぼろしの欠片 …


以前の みぃBBSでの、みぃレスから抜粋します。
この二つは、別々の友人へのレスですが、
少し関連するので、続きに載せます。 o(*- -)ゞ



Re: みぃ - 2003/04/01. Tue. 22:17

過去は 変えられないけど、
もう一度、向き直すことで、過去を 捉え直すことができれば、
あなたも言ってはるように、心の中が変わりますよね。

要は 捉え方次第ですものね。
過去は 変えられない。
自分のおかれてる状況も なかなか 変えられない。
でも、それを どう捉えるかは、その人の自由。
それって、すごく大切な自由ですよね。

強迫って、不自由の連続でしょー。
だから、この自由に気がついたとき、すごくすごく嬉しかった。
私にも、まだ自由が残されていたんだーって。

そして、その自由があるから…、
エヴァ風に言うと、各人が、それぞれの世界を認識する中心となり、
各人の心が、それぞれ 自分の世界、現実を
つくっていけるんですよね。


かけがえのない存在の 根幹を支えている自由…。



Re: みぃ - 2003/05/03. Sat. 18:17

中島みゆきの 「歌姫」 の歌詞。
>さみしいなんて、口に出したら
>誰も みんな、うとましくて、逃げ出してゆく

これって、みんな、本当は さみしいからなんだろうね。
それは私も…。 本当は、ひとりは さみしい。
でも、さみしいのは、 自立の代償。 個人の独自性の代償 だよね。
さみしいから、繋がりたいって思うんだよね…。
うまく いかないことも、多いけど…。o(*- -)o



↑ この考え方自体は 変わってないけど、
しんどいときは こう思う気力が出ないよね。

でも、自分の根っこに この考え方があれば、
いつも そう思えなくても、別にいいんじゃないかな…、
打ちひしがれて こう思えない時期が長くても、
なんとか 這って行けるんじゃないかな…、
っていう気がしてます。

PM.10:08
←Top

●2004年06月28日(月)

… まぼろしの欠片 …


ついさっき、部屋の網戸の表側から、
イモリが貼り付いてた。 ヤモリかな? 嬉しかった。
イモリの かわいく動く 胸とお腹と喉と足の裏を 窓まで見に行った。

PM.9:37

●2004年06月26日(土)

… まぼろしの欠片 …


インナーチャイルドについてなので、
「今さら エヴァ」 シリーズに、加えちゃいます。
またもや、友人のBBSに、以前 私がカキコしたものです。 o(- -;o
何回か レスのし合いをしてるんだけど、
友人が書いた分は 載せれないので、
分かりにくかったら ごめんなさい。 修正しながら書きますが。



投稿者 : みぃ - 2003/07/30. Wed 18:22

私も、幼い頃から、スキンシップに飢えてたなぁ…。
幼い私、小さい私を、今の私が抱きしめてるイメージを
何回も描いたことがあるよ。

誰にも抱きしめてもらえなかった 小さな私を
代わりに、今の私が、思いっ切り抱きしめてあげるの。
私の中の小さなあの子は、私自身に向かって
泣いていると思うから。

[間 に友人のレス]

Re: みぃ - 2003/07/31. Thu. 11:52

そっかぁ…。 私の中の 泣いてる小さな子を
私が抱きしめるのは、再生ってことなんだ…。
でも、私、再生してないなぁ。 o(- -;o
何回も何回も繰り返さないと、ダメなのかな…?
あっ、でも、そうなのかも…。

よく言われてる潜在意識の活用を、応用すればいいのかも。
潜在意識のチカラが大きくなっている 目覚めて直ぐとか、
寝入る前とか、お風呂で ボーっとしてる時とか…、
そういう時に、毎日、イメージすればいいのかな…?
ただの思いつきだけど、試してみよ〜。 o( ^ - ^ )o


Re: 追加 . みぃ - 2003/07/31. Thu. 12:48

昔の みぃ日記に書いてたので…。↓ この日記、使いまわし すぎ。 o(- -;o
--------
…「誰も 僕を わかってくれないんだ」 と シンジ。
…「本当に あなたの苦しみを わかってあげられるのは、
…「あなた自身しかいないのよ」 と リツコ。

…そうなのだ…。 私の心の中で泣いている 「幼い頃の私」
…の辛さを、本当に わかってあげられるのは、私だけ。
…あの子は、私に わかってほしくて 泣いているのだ…。
…私に向かって 泣いているのだ…。

…母親や父親が、わからなくても、
…一番、わからなきゃいけないのは、私なのだ。

…幼い頃、押し込めてしまった心を…、
…感じることが嫌で 隠してしまった感情を…、
…もう一度 味わい直したら、私の中で 何かが変わるだろうか。
…真正面から 向かい合って、味わい直すことが、
…心を癒すことに 繋がるのだろうか。

…そうだとしたら、私が ここ何年間かで 味わった
…悔しさ、悲しさ、怒り、憎しみは、無駄じゃなかったってこと。
…昔、感じるはずだった感情を、今、感じ直してるってことだ。
…宿題として残ってたんだよ。
…昔、隠してしまった分、感じるのが足りなかった分、
…その分の精算だよ。
…隠すの自体も 辛かったはずだから、利子ついてるよ。
--------

今のあなたが感じてる孤独…、すごく辛いと思う。
でも、その孤独を感じる事は、
インナーチャイルドと、より深く共感できる事に繋がって、
そして それは、小さいあなた=インナーチャイルドを、
もっと しっかり抱きしめられる事に繋がって、
そして、再生に繋がるのかもしれない、
っていう気がする…。

[間 に友人のレス]

Re: みぃ - 2003/08/03. Sun. 10:03

大人のあなたも、寂しい…、孤独…って泣いてても、いいと思うの。
泣きながら、共感しながら、小さいあなたを 抱きしめてあげたら、
いいんじゃないのかな…?

PM.9:26

●2004年06月25日(金)

… まぼろしの欠片 …


今朝も、たくさん夢を見たんだけど、このことしか覚えてない。
ある夢の中の場面で、2〜3才の男の子が
私の周りを ちょこまかしてたこと。
あっ、タローニャンコだな…って
思って 嬉しかった。



タローニャンコは、私の子どもだと思ってる。
そして…、私は、子どもを育てる代わりに 自分を育ててたんだけど、
タローニャンコに 育ててもらったとも 言えるのよね。
タローニャンコを育てた?し、タローニャンコに育ててもらったの。

PM.9:25

●2004年06月24日(木)

… まぼろしの欠片 …


人の夢の話なんか読んでも、おもしろくないんだけど、
私の心の奥の動きを知りたいので、書き留めます。



今朝の夢。 なんか危機的状況の中にいた。
夢の中で、「いつもなら ピンチの時には 目が覚めたりするけど、
今回はダメ。 とうとう終焉だなぁ」 って悟ってた。
でも 終焉は来ず? 場面が変わって、

ネコのような動物が 赤ちゃんを産もうとしてた。
そういう動物が たくさんいて、それぞれ人間がついてて、
お産のために、医者待ちの列ができてた。
そこは建物の中じゃなく、草の生えた地面の上だった。

お産と言っても、元の動物と同じくらいの大きさの動物が、
一匹出てくるの。 分身?

私が連れてたネコのような動物が、産気づいたので、
他の人には悪いけど、列の前の方へ行った。
でも、医者は手があいてなかったので、
その時、医者にかかってた動物を連れて来てた人が、
生まれた動物の子を取り上げてくれた。

その人は、中学の時に、私に萩尾望都を教えてくれて、
当時までの 萩尾望都の全作品を貸してくれて、
私にすごく影響を与えてくれた友人だった。

生まれた動物は、いつの間にか 5才くらいの男の子に変身してた。
私は、なんの不思議も感じず、後ろから男の子を守るように
私の手を男の子の前に回して、「おうちに帰ろうね」
って言ってた。 穏やかな気分だった。



あの子は、タローニャンコだったんだろうな…。
夢の中でも、たぶん、そう思ってたような気がする。
男の子を 後ろから優しく抱いた感触が、今も残ってる。

深夜 24:47

●2004年06月20日(日)

… まぼろしの欠片 …


昨日、アマゾンで、本巡りをしてて、
『脳のはたらきのすべてがわかる本』 John J. Ratey 原著
のレビューの中に、興味深い言葉があった。

それは、この本からの引用なのか、
そのレビューを書いた 「カスタマー」 さんの考えなのか、
ちょっと分かりにくいんだけど…、
だから、ここに書いてもいいのかどうか 分からないんだけど…、

「心はやっぱり、全身にある。末梢神経との連携でこそ、
心は生まれるのです」 っていう言葉。


私も、そう思う。
体が心地いいと感じることをするのは、
心の回復にとっても、大切なんだろうなぁ。

でも、強迫が それを邪魔するのだ…。 o(*- -)o
体にとっても 心にとっても、すごく不快なことを
私に 否応なしに 押しつけてくる。

でも、強迫による多すぎる制限の中で、
すこしでも、快適と思えることが できるように
自分で 工夫していかないと、仕方ないんだろうなぁ。

PM.6:08

●2004年06月19日(土)

… まぼろしの欠片 …


昨日も 死にたかったなぁ。
最低限の日常生活をするにも、
人の手を借りないと 生きられないのは、もう嫌なの。

外に出れないから、
生活必需品は 買ってきてもらわないといけないし。
ティシュや石けんは、強迫の私には 必需品中の必需品。



最低限の日常生活をするにも、
なにかと 安全な時間帯まで待たないと
いけないのは、もう嫌なの。

父親が庭で、ガサガサと半日以上 うるさい。
その音が気になって、薬も飲めなかったりする。
不調の朝一に 薬が飲めないと困るから、
しばらく音を止めてもらったり、とかもする。

強迫の中、必死で何かしてるときに
不意に物音がすると、不安が湧くのよね。
強迫のせいで、ほとんど何するにも必死だし。

そんなの嫌なの。 他人の行動まで制限したくないの。
自分自身の行動の制限に比べたら、何千分の一くらいだけど、
それでも、もう こんなことを続けるの、嫌なの。



金銭的には、全面的に家族に頼ってる。
ウチお金ないし、強迫はお金かかるし、
しょっちゅう 必需品を買わないって おどされるし。
足元の地面がなくなるような思いをするのは、もう嫌。

ペン、紙、ノート、はさみ、ナイフ、輪ゴム、セロハンテープ…、
そんな当たり前のモノも、強迫のせいで、なかなか調達できなくて、
何年間も我慢し続けるのも、もう嫌なの。

もう12年だもの。 うんざりを とっくに通り越してる。

PM.11:59

●2004年06月17日(木)

… イグアナの娘 …


『イグアナの娘』 は、萩尾望都の原作を読んだんじゃなくて、
ドラマ化されたのを 観ただけです。 o(*- -)ゞ
『エヴァ』 の本放送が終わってすぐ、イグアナが放送されたし、
テーマも似てるから、「今さらエヴァシリーズ」 に
付け足しちゃいます。 未熟です。 o(- -;o

以前のみぃBBSでの、みぃレスより ↓



Re: みぃ - 2003/04/25. Fri. 21:05

イグアナは母親の方なんだよね。
たぶん、イグアナは、母親が自分でも気づいていない
自分の嫌いな部分の象徴だと思うの。

自分の嫌な部分と同じものを、娘の中に見て、
娘に嫌悪感を覚える。 どうしても愛情を注げない。
でも、自分がイグアナだと気づいてないから、
自分のことは、普通に見える。

娘のリカも、初めは、自分が人間に見えてたけど、
途中で 母親の価値観に中に取り込まれる。
そして母親が言う通り、自分がイグアナに見えだす。

実は、母子分離ができてない。
愛情枯渇状態では、母子分離が難しいのかもね。

だから、リカが母親から 精神的に自立できた時、
リカは、自分が人間に見えるようになり、
代わりに、自分がイグアナだと自覚した母親の方は、
自分がイグアナに見えだす…。

私の母親も、子どもを心底 愛せなかったからね…、たぶん。
でも今でも、母親は、自分は悪人の住む家に 知らずに嫁にきた、
不運な善人で、不幸な被害者だと思ってはりますー。
逃げてて自覚してはりませんー。

私も、自分への嫌悪感を残したまま、自立できたと錯覚してた。
もし、自分への嫌悪感を封印したまま、子どもを産んでたとしたら、
リカの母親と同じ道を行ってたかもしれない。
結婚する気、なかったけど。 ( ^ - ^;

で、両親と似てる部分を はっきり自覚して、
自分への、ものすごい嫌悪感を改めて持った段階で、
心の身動きが とれないほどの憎しみを
自分と両親に覚えたけど、
自分が 封印していた憎しみや嫌悪感から 自由になるためには、
必要な心の過程だったのかな…、って思ってるの。

↑ と去年、書いてました。

PM.5:41

●2004年06月16日(水)

… まぼろしの欠片 …


今朝の夢。 豪雨と強風の中、私は 高い建物の屋上にいた。
…こんな場所に、タローニャンコを一人にしておけない。
…タローニャンコが飛ばされちゃう。 雨風を避ける場所ないじゃん。
…タローニャンコを連れて、家の中に入っちゃうからね。

すると母親が 「家の中にネコを入れたら、ネコが腎不全になる」
「ネコは、家の外でないとダメ」
「ネコを 建物の中に囲ってしまうと、腎不全に…」って言う。

…じゃあ、屋根はあるけど、壁はあるかないかのような
…薄い壁の上下に 壁と同じくらい隙間があるような
…タローニャンコ用の 家を作っちゃうからね。
家の場所や形を決めて、その案をスケッチして、
なぜか 父親に見せに行ったような気がする。

PM.6:50

●2004年06月15日(火)

… 今さら エヴァ 4 …


今でも、私の心のベースには、『エヴァ』 があるの。
だから、エヴァから学んだ私の過去の文を集めて
「今さら」 シリーズを…。 o(- -;o

以前、友人のBBSにカキコしたものです ↓



投稿者:みぃ 投稿日: 2003/01/03. Fri. 20:07

親から きついこと言われると、すっごく ひびくよね…。
悔しいけど、すっごくショックだよね…。
私が ものすごく落ち込む時も、決まって そういう時。

それは 心の奥に、
親に 自分の価値を認めてほしい
っていう願いがあるからだと思う。
私は、そのこと自体、悔しかったよ。

でも、幼い頃って、
自分の価値感で 世界をつかまえられない頃って、
判断の基準は、どうしても 親の目を通したものに、
なってしまうよね。
自分自身に関する判断も…。

それが、幼い子に耐えられない不快なものだと、
心の底に抑えこまれるよね。
でも それは、そのままだと消えずに、
大人になっても、くすぶり続けてる…。

人は、自分ひとりでは、自分がわからないよね。
他人と比較することによって、
初めて、自分という存在が認識できるよね。
他人と接することによって、自分というものを認識するよね。

生まれた時に 初めて接する他人は、母親。
だから、お母さんが あなたに感じた感情が、そのまま、
幼いあなたに 取り込まれていく。
あなたの心に、すごく影響する…。
だから、親に認めてほしいっていう感情が、
心の奥で くすぶり続けてしまうんだと思うの。

でも それは、お母さんの価値観であって、
あなたの価値観じゃないよね。

AM.10:56

●2004年06月14日(月)

… まぼろしの欠片 …


今朝、目覚めてからも 布団の中にいたとき、
タローニャンコが、私の寝ている上を 布団の上を
歩いていく感触がした。

はっきりとした感触だったから、すぐ布団の上を見たけど、
もちろん タローニャンコは見えない。
見えないけど、タローニャンコの感触がしてる。
タローニャンコが私の上を横切った後、
タローニャンコが台所の方に歩いていく 小さな足音がした。

タローニャンコは、家ネコだから 爪をじゅうぶん研げなくて、
ネコのくせに 歩くと音がしてたの。
タローニャンコの爪は、深く切らないようにしてたし。

もしかしたら、タローニャンコが、
まだ ここにいてくれてるのかな…、って思うと嬉しかった。
タローニャンコを感じたいって、ずっと思ってたし。

PM.6:39

●2004年06月10日(木)

… まぼろしの欠片 …


タローニャンコが 夢に出てきてくれた。
夢の中で、タローニャンコは もう病気だった。

なぜか、タローニャンコを会社?に連れて行ってた。
家に帰ろうとして、タローニャンコを抱き上げたとき、
タローニャンコの 表情も体の感触も しんどそうで、
前より具合が悪くなってる…って思った。 o;T T)o
タローニャンコ助かるんだろうか…、
もう長くないんじゃ…って不安になった。

タローニャンコを しっかりと抱っこしながら、

「急いで帰って 医者に行かなくちゃ…」
「あー、でも、こっから すごく遠い」
「でも、近くに動物病院ないって言われた…」
「急いで帰らなくっちゃ」
「早くタローを病院に…」

PM.10:25

●2004年06月09日(水)

… 今さら エヴァ 3 …


2003/04/28 のみぃ日記に対する友人のカキコへの
私のレスを載せます。 o(*- -)ゞ
先に、2003/04/28 のみぃ日記から抜粋します。


2003/04/28

たとえば、『エヴァ』

…「僕には価値がない」 「僕には何もない」
…「だから エヴァに乗るんだ」
…「エヴァに乗ると 誉めてもらえるんだ」

…「誉めてもらって 嬉しい?」
…「嬉しい」
…「嬉しくない」
…「どっちが 本当?」
…「どっちも 本当」

心の中には、相反する感情が 同時に存在するよね。
矛盾した感情が、同時に存在するよね。

『エヴァ』 のシンジの場合は、
エヴァに乗ると、みんなが 自分を認めてくれるから、嬉しい。
でも、認められたのは、そのままの自分じゃないから、嬉しくない。


以下は、↑ この日記の感想カキコに対する・みぃレスです。
Re: みぃ - 2003/04/29. Tue. 13:30 No.3339

あの日記の セリフの続きは、こんな感じだったのよね。

「でも、だからといって、エヴァに乗り続けていると、
それが全てになってしまって、あなた自身が
いなくなってしまうのよ」

「エヴァに乗ったから、今のあなたになったのよ。
エヴァのパイロットだった自分を否定することは、できないわ。
大事なのは、これから どうするかということよ。
それは、自分で決めなさい…」



シンジが、認められたいって 強く思ってたのは、
親から、充分な愛情を得られなかったから。

シンジに 価値がなかったんじゃなくて、
親から、自分の価値を感じ取れなくかったから、
シンジは、自分には価値がないと、思い込んでしまっていたんだよね。

そのままの自分に価値を見いだすことが、できなかったから、
シンジは、エヴァに乗ったんだよね。
エヴァに乗ることで、自分の価値を見つけようとする。
親に認めてもらいたくて、期待に応えようとする子供のように。



確かに エヴァは、シンジの心の一部となり、
シンジが 自分の心を維持していくために、必要なものとなる。
ある時期、シンジにはエヴァが必要だった。
たとえ、そのままの自分でなくても、
人から 認められることが必要だった。


でも、それを ずっと続けて、
エヴァに乗ったシンジが、シンジの全てになってしまうと、
シンジ自身が いなくなってしまうよね。

エヴァに乗って得た価値は、
他人の評価に依存した価値だから、
シンジは、それだけでは 本当には救われない。
他人に依存しない価値を見つけるという課題が、
次に残されてるよね。




確かに 誉められることによって、人は成長するけど、
そのままの自分が、誰かから認められない限り、
そして、一番 大事なのは、
自分が自分から 認められない限り、
自分の本当の心は、泣いたまま…。 癒されない…。


病気の中で、自分の価値を認めることは、
すごく大変だけど、大変過ぎるけど、
それでも、病気をキッカケに、
自分と向き合うことは、一種のチャンスだと思うの。

何か少しでも 心惹かれるものを見つけたら、
ミーハーだって なんだっていいから、
それを ずっと追っかけていくと、
なにか、ヒントに出会えると思うよ。

深夜 25:00

●2004年06月07日(月)

… 今さら エヴァ 2 …


今日のも、2003/04/30 の日記と同じように、
2003/01 に、いったん友人のBBSに 私が書いたものに、
手を加えたんだけど…、この日記にも留めておきたいから、
書かせてもらいます。 o(*- -)ゞ



「もう、一人は嫌なのー」って、叫んだアスカの声が 耳に残ってる。

アスカは、求めても得られない愛情に 見切りをつけ、
自分の力で、一人で生きようとした。
でも、本当は 愛情に飢えてた。
得られないから 憎んでた。

私も、そうだった。
でも、憎しみの奥にあるものを、認めたくなかった。
私は、自分を否定する者を否定することで、
自分を肯定しようとしてた。
強迫になってから…、その心のしくみは わかったけど、
水に流すことは できないな…。

「だから、私は、ひとりで生きるの」 って言ってたアスカ。
でも、アスカの本音は、「もう、ひとりは嫌なの」
それは、本格強迫になる前の 私と重なる…。
私も、「だから、私は、ひとりで生きるの」 で、やってきた。
でも本当は、ひとりが怖かった。 すごく怖かった。



私も、母親から愛情を受けた印象が ほとんどない。
だから、母子一体化は ピンとこないけど、
母子分離は、なんとなく 分かるような気がする。

それは、愛情に飢えていたから。
求めても 得られなかったから、子供の頃から、どっかで憎んでた。
憎んでたけど、一方で求めてた。 それって、呪縛。
愛情が欲しいのに 得られなくて、
だから 憎んで、
でも 求めてしまって。
だから、分離できないんだと思う。

エヴァを観て、
愛情に飢えてるから、かえって分離できないっていう、
意外な?心理が分かったの。

でも、その呪縛を はっきり自覚した段階で、
何かが変わると思ってる。
それが、呪縛から抜け出すための、第一歩なんだと思う。
ところで私は、あれから、25・26話を初めて観た1996/03 から、
どのくらい変われたのかなぁ…?

PM.10:39

●2004年06月05日(土)

… 今さら エヴァ 1 …


続きを書こうと思ってて、ずっと書いてなかった
2003/04/30 の日記の続き。 そろそろ書いとこ…。
今日は、その前置き。
誰の参考にも ならないかもしれないけど。

私が 強迫を治す手がかりを求めて、試行錯誤を続けてたとき、
『エヴァ』 に出会った。 強迫になって、何年目だったろう…。
たまたま、25話・26話だけ観たんたげど、
私の心がグラっと揺れた。 大揺れ。

初めて見た本放送は、録画も録音もできなかったから、
聞き漏らしたくないって、めっちゃ真剣に観た。
でも、それが よかったんだろうな…。
自分なりに いっぱい 感じて考えられたから。

観た後、その時に感じたことを 薄れさせたくなくて、
カレンダーの裏に、印象に残ったセリフとか書き殴った。
思い出した順に。 実際の順番でなく順不同。

書いてる途中で、自分で思いついた言葉を、いきなり混ぜ、
混ぜた後に、また思いついたセリフを書き、
そして、何か自分の中で浮かんだら、また混ぜ、
セリフと自分の思いつきが、ごちゃまぜ、支離滅裂。
文法めちゃくちゃ。 でないと、思いに手が追っつかない。 o(- -;o

とにかく 手がかりが欲しかったから、憑かれたように書き殴った。
そうやってるうちに、自分の中で、何かと何かが繋がって…。

それを 闇にほうむり去りたくなくて、
ネットするようになってから、まとめ直したのが、
主に去年の4月下旬で、↓ この日記の続きが まだだった。


2003/04/30 みぃ日記より 抜粋

エヴァ本も読んだ事なく、 劇場版も観た事なく、
何年も前にTV版を数回観ただけの、私の勝手な感想の一部…。

シンジも、アスカも、ミサトも、アダルトチルドレン。 レイもかな?
親から 充分な愛情を得られなかったがゆえに、
そのままの自分に 価値を見いだすことが、できない。
だから、エヴァに乗る。

エヴァに乗ることで、 自分の価値を見つけようとする。
親に認めてもらいたくて、 期待に応えようとする子供のように。

確かにエヴァは、彼らの心の一部となり、
彼らが 自分の心を維持していくために、必要なものとなる。
でも、エヴァに乗った自分が 自分の全てになってしまうと、
自分がなくなってしまう。
エヴァと一体化してしまうと、エヴァに取り込まれる。

それは、母子一体化の危険を 連想させる…。
エヴァは、母親の象徴だとも思う。それだけじゃないと思うけど。
彼らは、エヴァから 自立しなければならないんだと思う。



ラストの画面の 「おかあさん、さようなら」 という文字は、
母親の価値観・世界感から独立して、
自分自身の価値観で 物事を見ようとする 決意の言葉だと思う。
他人の価値観でもって、世界を認識するのではなく、
世界を捉える中心は、あくまで自分自身にある、
ということだと思う。

あそこで描かれていた世界は、シンジにとっての世界。
確かに、 客観的には、一つの世界が存在してる訳だけど、
同じ世界なんだけど、捉え方によって、それは違って見えてくる。

シンジが、 自分自身の価値観で、
自分を取り巻く世界を、認識できるようになることが、
シンジ自身を救う、ことになるんだと思う。

そのことは、シンジに限らない。 他の人にも言えると思う。



シンジにとって、 いったんエヴァに乗ることは、必要だった。
でも、エヴァに乗っただけでは、 救われなかった。
エヴァに乗って得た価値は、
他人の評価に依存した価値だったから。
他人の評価に依存しない価値を、見つけるという、
課題が残されてるから。

でも、その後、劇場版ではどうなったか 知らないー。 o(- -;o



それまでのストーリーを知らないまま、
いきなり、最終話の25・26話を観た私には、
エヴァは、 “ よい子 ” という鎧に見えたな…。

PM.11:36

●2004年06月03日(木)

… まぼろしの欠片 …


昨夜は、お風呂に入る前、浴槽を一回しか洗わなかった!
それが どしたん? でしょ…、ふつーは。
でも 私にしたら、すごいことなの。
最低でも 二度洗いしてたから。

2回ですむのは、すごく上手くいったとき。
普通は、3〜4回、浴槽を洗い直してた。
10回くらい洗い直すのも、珍しくなかった。
そんなんときは、それだけで、もうクタクタ。



昨夜は、お風呂での服の手洗いで、服を一回しか洗わなかった!
それが どしたん? でしょ…、ふつーは。
でも 私にしたら、すごいことなの。
最低でも 二度洗いしてた。 うまくいったときね。
それでも、必死で神経集中して洗うから 疲れるの。
でも、普通は3〜4回、服を洗い直してたかな。
7〜8回洗い直して、クタクタになることもあった。

服を一度洗いで すませられたのは、初めてかもしれない。



昨夜は、まぐれ だったのかもしれないけど、
でも、まぐれでも できたことには違いないから、
嬉しい記憶を 心に刻んでおこ〜。
急に コンスタントに できるようになる訳ないし。
昨日は、別に 調子のいい日じゃなかったから、
なんで 浴槽も服も 洗い直しを我慢できたのか、分かんない。

PM.4:59

●2004年06月01日(火)

… まぼろしの欠片 …


今日は、タローニャンコの日。
1日じゃなくても、毎日、タローニャンコのことを考えてるけど、
日記も、ニャンコ話ばかりだけど、まだ、書いておきたいことが
残ってるので、ごめんなさい。



タローニャンコは、捨て子猫だったから、
一日何回も、自分のしっぽを吸ってた。 10年以上吸ってた。
お母さんの おっぱいのつもりだったのかな…。

吸いすぎたら、しっぽの先から病気になっちゃう〜って心配で、
気づくたび、しっぽ吸いの邪魔をしてたんだけど、
どうしても 止めてくれなかった。

赤ちゃんネコの時に 捨てられちゃったんだろうな…。
お母さんに、ちゃんと 甘えられてなかったんだよね。
タローニャンコ に出会った時、本当に小さかったし。
だから 大人ネコになっても、そのさみしさが残ったまま
だったんだよね。

でも、私が、夜、タローニャンコと一緒に寝るようになったら、
そのクセが ピタッと止んだの。
やっぱり、さみしかったんだな…って思った。



それを思い出すと…、
タローニャンコが さみしいなって思いながら
ひとりで しんじゃったのかもしれない…って悲しくなる。
最後まで、寂しくないようにしてあげたかった。
最後まで、タローニャンコを見守っていたかった。
最後まで、タローニャンコのすぐ側にいて、
タローニャンコに ありったけの想いを 注いでいたかった。

PM.5:20


WebDiary CGI-LAND