中島みゆきの「糸」。
結婚式でよく歌われる。
でも、この歌が私に一番しみてくるのは、
大切な人や存在と別れるとき。
もう二度と会えなくなるとき。
…なぜめぐり逢うのかを 私たちはなにも知らない…
…いつめぐり逢うのかを 私たちはいつも知らない…“糸”より
もう二度と言葉を交し合えない悲しみ、
心を交し合えない悲しみ、
伝えるはずだった言葉、
聞くはずだった感想、
かき消えてしまった未来、
突然の幕引き、
ふらつく足元、
うず巻く悔しさに悲しみに後悔…。
そんな私に、この歌は
でも、あなたはその人にめぐり逢えたんだよ…って、
この世でその人に、3年前のあの時
出会えた不思議を、幸運を、
混乱する私に改めて気づかせてくれる。
あの先生にあの時、出会っていなければ、
私は今、どうしていたんだろう。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
悲しみの涙と感謝の涙が、入り混じる。
…縦の糸はあなた 横の糸は私…
…織りなす布は いつか誰かを 暖めうるかもしれない…“糸”
先生からもらった幸せな気持ち、大切なことを、
私の中の先生と一緒に、
今生きている人たちの中に、拡げていきたい。
先生が生きてきた証を、どこまでも拡がる水の輪のように。
…逢うべき糸に出逢えることを…
…人は仕合わせと呼びます…“糸”より
先生は私の理想、憧れ。
今から思えば、私にとって父親の代わり。
その先生が私を認めてくれた、私の存在を。
もういない父親の代わりに、しっかり認めてくれた。
先生と、もっと話したかった。
先生から、もっと聞きたかった。
先生に、もっと聞いてほしかった。
先生の専門は外科。
でも、内科的・外科的な不調に加えて、
メンタル的な不調も診ておられた。
私が知っているどんな精神科医よりも、
ちゃんと話をしてくれた。聞いてくれた。
普通の人扱いしてくれた。
せっかく良い先生、良い医院なのに、
先生の体調不良でしばらく休診した後、
患者の数がかなり減ってしまった。
先生は悩んでおられた。
私は、立地条件の悪さをカバーするために、
HPを充実させることを提案してみた。
先生は今のHPについて、「わしも気になってたんやー」
「よう言うてくれた!」って、2回も。話が進むうち、
先生の医院のHPを、私が新しく一から
作成し直すことになった。
「あなたほど、この医院の存続に
一生懸命になってくれる人はいない」
先生は、とてもうれしそうだった。
私も、とてもうれしかった。
「○〇君に期待しよう!」って
初めて名前で、しかも君づけ。
病気でだるそうだった先生が、生き生きされていた。
私も生き生きしていたらしい。
私が医院から出るとき、
先生は、受付まで出て来て、
高く手を挙げて見送ってくれた。
それが、最後にお会いした時の先生の姿。4月の初旬。
その日、先生と私の心の中の手が
しっかり握り合えた気がした。
いい日だった。とても…。
先生は私にとって、最高の精神科医だった。
私の心を解きほぐしてくれ、
最後にしっかり私の存在を認めてくれた。
「すごい」「なりたい」って、思っている人から
自分の存在を認めてもらえること、
…それは最高の治療だと思う。
注)2/24の日記に書いた薬の処方をした
やぶの精神科医と、5月の日記の先生は、
まったく別のお医者です。
5月の薬はこんな感じ。
4月にワイパックス0.5錠をレキソタン0.5錠に切り替え、
レキソタンを0.5錠から1錠にしていた。
5月の10日過ぎに、そのレキソタンを1/6錠減らした。
ルボックス 25mg × 0.13錠
ワイパックス 0.5mg × 6錠
レキソタン 1mg × 0.87錠
メイラックス 1mg × 30時間で1錠
半夏厚朴湯 2.5g × 2包
加味帰脾湯 2.5g × 1包
加味帰脾湯 2.5g × 1包
5/28(日)夜中にうたた寝した後、それから、
5/29(月)3時間ほど夕方に寝て起きたとき、
久しぶりに強めのむなしさ、さみしさ、焦りを感じた。
やたら、むなしくて、むなしくて、
うつがひどかった頃の感覚を思い出した。
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