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2004年05月の日記
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●2004年05月28日(金)

… まぼろしの欠片 …


夢の中。 校舎? クラスメート?と写真を撮る。
私は、抱いていた小さな男の子を机に座らせて、
その子も私も、みんなと一緒に写真を撮ってもらった。
男の子の小さな足だけ覚えてる。
その男の子は、タローニャンコ?

ずっと以前から、
どっかに出かける時、タローニャンコが心配で、
タローニャンコを 一緒に連れていく夢をよく見てた。
行き先は、たいてい校舎っぽい場所。

あの小さな男の子は、タローニャンコ?

PM.10:17
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●2004年05月21日(金)

… まぼろしの欠片 …


5月19日の日記には、本当は、夢の話を書きたかった。
タローニャンコの夢を見ると、書き留めておきたくなるの。
自分の心の状態も、夢の中に現れてるし。



5月19日の朝の夢。

タローニャンコが入院してることになってて、
なぜか夢では、人間の病院のような動物病院で、
大部屋の病室っていう設定になってた。

私は、家で タローニャンコのことを心配 してた。
他のネコに ご飯をとられてないかな…とか、
ちゃんと お医者が診てくれてるかな…とか。
「タロー、大丈夫かなぁ、大丈夫かなぁ」 って
一生懸命 思いながら目が覚めた。
起きた瞬間も、まだ 「大丈夫かなぁ」って思ってて…、
あっ…? 夢だったんだ…。

深夜 26:05

●2004年05月19日(水)

… まぼろしの欠片 …


隣の家から聞こえてくる 赤ん坊の泣き声。
この世に生まれてきたことを嘆いて 泣いているかのように、
私には聞こえる。 いつも、そう聞こえる。 o(*^∇^)o



うつ度チェックをやってみたら、
やっぱり、「重症うつ病の疑い」 だったー。 o(*^∇^)o
ただの目安だけどね。 昨日も、母親から、相当攻撃されたしなー。
ははー。 o(*^∇^)o

AM.6:42


母親が父親と喧嘩したみたいで、
今日は一段と、母親の機嫌が悪い。
「固定資産税も払わなあかんのに 水道代、ガス代、電気代…」
と母親。 私が一人で使ってるのとちゃうわっ。

電気代なんて、私は たいして関係ないっ。
PCはするけど、TVなんか 一年に1〜2回しか見ないし、
音楽も、今は週一回くらいしか聴いてないし。

一方、母親は、TVを長時間みてる。
父親は、長時間、大音量で音楽きいてる。
でも、私は、母親のTVや、父親の音楽を減らせなんて、
言うつもりなんてない。 実際、言ってないし。
そんなの、人の勝手だし。

ガス代だって、親の方が使ってるかもしれないわっ。
私は、この季節になっても、お風呂を3日以上我慢してるし。
私がお風呂に入ると、ガス代と水道代とティッシュ代とせっけん代
かかるから 節約してる。 だいぶ違ってくるから。

一方、母親の方は、さっさとお風呂に入らず、
お湯がさめてから、沸かし直してるじゃん。
他の家族は、毎日、入ってるじゃん。
でも、そんなの個人の自由だから、
もちろん私は、文句なんて言わない。



ただ、自分たちのことを忘れて、私にだけ文句言うなよなっ。
まぁ、私が無収入で 使うばっかりだから、
こっちに、矛先が来るんだけろうけど。
でも、父親の昔の借金の方が、はるかに桁違いだぞ…。
だから、年金だって、すずめの涙なんだろっ。



「意識改革しろ」 と母親。
誰も 好きで手を洗ってる訳ないだろっ。
嫌で嫌で仕方ないのに、すごく苦痛なのに、止めたいのに、
不安に強く迫られて、神経すりへらしながら 洗ってるのっ。

それに、母親が ののしって不安を煽ったりしなければ、
手を洗う時間は、たぶん 半分に減る。
母親が不安を煽ってるくせに、意識改革しろだってー。

そもそも強迫は、意識改革でなんとかなるような甘いもんじゃないし
不安を煽るから、洗いたくない手を 倍も洗う羽目になるんだろっ。

罵倒を一切やめてくれと 言うつもりはない。
言いたくなる気持ち 「だけ」 は、分かるから。

母親もストレスたまってるから、仕方ないと思う。 そういう人だし。
父親の昔の借金がひびいてて、ずっと お金ないから、
母親も、おしゃれや 買い物や 旅行で
ストレス発散することなんて できないし。
私の病気も ストレスの元だし。

でも、せめて、私が 「お願いだから、そっとしといて」 って
必死で訴えてるときくらい、大声で執拗に罵倒 し続けずに
そっとしといてほしいわっ。

それだけで、だいぶ 違うんだから。



見苦しい愚痴ばかりで、ごめんなさい。
吐き出す場所がないので、ごめんなさい。
母親に抗議したら よれいに不安を煽られて、
苦痛な強迫行為をする羽目になるし、ますます 死にたくなるから。
ただでさえ、生きてるの嫌なのに。

PM.4:35

●2004年05月17日(月)

… まぼろしの欠片 …


ごめんなさい。 ニャンコの話の続きです。
書き留めておきたいので。



タロニーャンコがしんでしまった日、
病院に行く前、タローニャンコは、いい顔してた。
しんどそうな顔じゃなくて、すきっとしてた。
もしかしたら、元気になってくれるかも…?
って、希望を持った。



私は、気づかぬうちに、
良い兆候ばかりを 見ようとしてた。
悪い兆候には 目をふさぎがちだった。
水も飲まなかったタローニャンコが、栄養を混ぜた水を
飲んでくれるようになってきたから、もしかしたら、
少し回復してくれるのかな…って思ってしまった。

毎日の病院から帰った後、前の日より、しばらくしんどそうに
していても、よくなった面にばかり目が いってた。
悪化してると思いたくなかったんだと思う。
どうしても、奇跡を信じてしまってたし。



私が 病院に連れて行ってあげられなかったから、
状況が、もひとつ よく分かってなかったのよね。
母親が病院で聞いてきたた説明は、要領を得なかったし、
医者によって、言うこと変わったし。

一番タローニャンコといてる時間の長い私が
タローニャンコの状態を 直接 医者に伝えられなかったし、
母親に言っても、伝わる途中で話が変わっちゃうし。

医者に尋ねてって頼んでたことでも、
「医者は いそがしいのに、そんなこと聞いたら
医者に迷惑や。 医者は 注射するだけやのっ」 とか言うし、
それって、タローニャンコのことより、母親自身が医者に
良い印象を持たれるかどうかを、まず
気にしてたってことじゃん…?

私が、タローニャンコを連れて行きたかった…。
そもそも、私が連れて行けなかったからだ…。
強迫のせいで出れなくて、一番大切な存在も守れない。
そんなので、生きてる価値ある?



タローニャンコは いい顔してたのに、
しんで帰ってきたから…。
そんなこと 思ってもみなかった…。
タローニャンコは、生きて再び帰って来れないかも…って悟って
出かける前に、お別れの挨拶の顔をしたのかもしれない。
気がつかなくて、ごめん…。 ごめん、タロー。

…あの日、病院に連れて行ってもらわずに、
ニャンコを ずっと 家にいさせてあげればよかった。
でも、もし 病院に行ってなかったとしたら、
連れてってもらえばよかった…って、逆の後悔をしてたと思う…。
どっちにしても、後悔したと思う。 でも、でも…。

タローニャンコは、ひとりで静かな方が よかったのかも
しれないけど…、わからない…。
でも、私は、タローニャンコに 「さよなら」 も 「ありがとう」 も
言えなかった…。 タロー、ごめん…。

PM.4:56


怒鳴りたくなる気持ち 「だけ」 は、分かるよ。
でも、重度の強迫にプラスして、中度の?うつ状態が続いたまま、
必死で踏みとどまって 生きてるのに、
さらに不安を煽る罵声を 浴びせないでっ。
うつ状態が混じってるんだから、今までのように、
追い詰め続けてたら…。
あ…っ、そうだ…、私が生きてても、
家族には メリットないんだった。 o(*^∇^)o

深夜 24:02

●2004年05月12日(水)

… まぼろしの欠片 …


自分のために書きます。 ごめんなさい。
書き留めておきたいから。



タローニャンコ、幸せだったかなぁ…。
でも、最後の最後まで、幸せでいさせてあげたかった。
病気で苦しくても、幸せでいさせてあげたかった。
せめて私の腕の中で、タローニャンコをしなせてあげたかった。

タローニャンコは、たぶん、病院から家に着いた途端か、
家に着く寸前にしんでしまった。
たぶん、生きて家にたどりつこうと 頑張ってたのに…、
タローニャンコをひとりぼっちで しなせてしまった。
タローニャンコを連れて行って帰った母親も、
タローニャンコの変化に 気づかなかった。

まさか、タローニャンコが
しんで帰ってくるとは、思わなかった…。
帰ってきた母親とタローニャンコを 玄関で迎えたとき、
もちろん タローニャンコは、生きてると思ってた。
無事に帰ってきてくれてよかった、と思ってた。

いつものタローニャンコに会えると思った。
はるばる病院に行って注射をして 疲れたタローニャンコを
温めてあげて、やさしくしてあげようと思った。



タローニャンコを 出してあげようとしてた母親の、
「おまえ、どしてん?」 っていう怪訝そうな声と様子に
慌てて、私が タローニャンコを抱き上げたとき、
タローニャンコの体が ふにゃふにゃで、ふにゃふにゃで…、
思い出すたび、大泣きしてしまう…。

温かかったよ…、タローニャンコの体。
でも、表情が止まり、
ふにゃふにゃになった タローニャンコの体を
抱き上げた感触は、もう生きてないことを 私に実感させた。
タローニャンコが、もう二度と戻らないことを。



私は、タローニャンコがしんでしまったことを 認めたくなかったし
タローニャンコに いつもの通りにしてあげたかったから、
ふにゃふにゃのタローニャンコを 私の布団に連れて行って、
タローニャンコに添い寝した。

タローニャンコの柔らかい毛に、顔をぴったんくっつけて、
泣いて泣いて泣いて…、
タローニャンコの毛が、涙で びしょびしょになって、
「こんなに 濡らしちゃって ごめん」って
タローニャンコに謝りながら、濡れた毛を拭いても拭いても、
後から後から すぐ 悲しみと後悔で、びしょびしょになって…。

タローニャンコに ぴったりくっついて、泣きながら、
タローニャンコの手足を 優しく握るようにして、温めた。
タローニャンコが、だんだん冷たくなっていくのが 嫌で…。

でも、タローニャンコが どんどん冷たくなっていく…。
私の胸で タローニャンコの背中を温めても、
私の手で タローニャンコの手足を温めても、
どんどん、タローニャンコが冷たくなっていく…。
ピンク色だった耳や 手足の裏が、色を失っていく…。

悲しくてたまらなくて、後悔が溢れてきて、気が動転して…、
ごめん、愛しいタローニャンコ、ごめん…。
タローニャンコが 一番苦しかったとき、一緒にいれなくて ごめん…。

PM.9:17

●2004年05月11日(火)

… まぼろしの欠片 …


タローニャンコが、夢に出てきてくれた。 o;T T)o
タローニャンコと話してた。
声は なにも聞こえないのに、なぜか言葉が分かるの。
気持ちが、言葉として分かるのよね。

小型飛行機に タローニャンコと乗って 空を飛んでて、
私は、タローニャンコに窮屈じゃない?って尋ねてた。
タローニャンコは、大丈夫って答えてたんだけど、
その気持ちだけが、言葉として伝わってきた。
「にゃーん」 も 「うんにゃ」 も 「うーん」 も言わなかったし。
人の言葉も言わなかったし。 ← 『みかん絵日記』 とちゃうし

タローニャンコが 夢に出てきてくれると、嬉しい…。
すごく嬉しい…。 o;T T)o



動物とは 人のように言葉が通じないから、いいらしいよね。

言葉が分からない分、言葉以前のコミュニケーションによって、
お互いがお互いの気持ちを 伝えようとするから、いいんだって。
言葉以前のコミュニケーションの方が、
コミュニケーションの基本で、大切らしい。

相手の気持ちを、精一杯 推しはかろうとするし、
また、言葉以外のもの全てを使って、自分の気持ちを、
相手に分かるように伝えようと 工夫するものね。
そういう心が 大切なんだろうな…。

ニャンコの体を触ったときに お互いに感じるものもあるし。
人は、つい言葉に頼ってしまうんだよね。

それに 特に私は、子どもの頃から、
親との間に、言葉以前のコミュニケーションが 不足してたと思う。
代わりに タローニャンコが教えてくれたの。

PM.3:51

●2004年05月09日(日)

… まぼろしの欠片 …


私が殺した。 私が、タローニャンコの死期を早めてしまった。
私の責任。 私が悪い。 私は生きてていいのか?
タローニャンコは しんでしまったのに、
私だけ、のうのうと生きてていいのか? 死ななくていいのか?
どうやったら償える? どうやったら償える?
永久に償えない。 償えない。
私は 幸せになってはいけない。



こないだの冬、私は 体を冷やさないよう、必死だった。

長年、私の強迫の症状と 家の事情のせいで、
極端に体を冷やし続け、体があちこち おかしくなり、
痛いほどの寒さと体調不良が 不安感を更に強め、悪循環になって、
強迫をこじらせてしまっていた。 だから12年間も…。

だから、こないだの冬も、もう冷やしたくないって必死だった。
これ以上、体を冷やし続けたら、生きてる間に
強迫が治らないと思ったから。

でも、去年の11月頃、すごく不調で、
安心して着れる冬服の確保に 出遅れてしまった。
寒くなってしまったら、もう遅い。
寒さで不安が強くなって、確保が ますます難しくなる。



すごく寒くて、すぐに不安が募って…、
それでも、エネルギーの要る服の確保に 何度もトライした。
悪循環から脱したくて。 でも、すでに不安が強くなってるから、

どれを注文するか考えてる時、注文する時、
注文してから服が届くまでの期間、
注文した服を受け取ってから 無事に着れるまでの間…、

その間、一回でも 耐えれる限界を超えた不安に
襲われたら、注文が おじゃんになってしまう。
何度も、そんな不安に襲われ、注文さえ できなかったり、
やっとの思いで注文しても、泣く泣くキャンセルしたり…、
そんなことの繰り返しだった。



なるべく 不安を刺激したくない時期だったから、
ネット本屋は 見ないようにしてた。
ネット本屋に限らず、どこで刺激を受けるか 分からないから、
なるべく 見るサイトを減らしてた。
TVも見なかった。 刺激されたくなくて。
だから、知識が不足してた。
昔、読んだ知識だけじゃ、足りなかった。

でも、体を冷やしたくなかったから、とか、
体を温めて、強迫が治りやすい環境にしたかったから、とか、
その環境をなんとか整えるために 刺激を避けてたから、とか…、

それが なんだって言うの?
そんなこと、どうだっていいじゃないっ。
タローニャンコが 元気に長生きしてくれることの方が、ずっと大事。
冷えて、強迫が ひどくなったとしても、体が やられたとしても、
タローニャンコが 気分よく長生きしてくれることの方が、
ずっと大事だったのに…。

自分の病気が治ることばかり考えて、
タローニャンコのことを 一番に考えなかった
自分が許せない。
自分の辛さに気をとられて、タローニャンコを優先
しなかった私が許せない。



油断してた私が許せない。
タローニャンコは 年だったんだぞ…。
いくら タローニャンコが 元気そうに走り回ってても、
もっと早くから、注意しないと いけなかったんだ…。
もっと早くから、知識を仕入れとかないと いけなかったんだ…。

なんとなく不安を抱いてたくせに…。 私の馬鹿やろう。

知識があれば、親を説得して
はっきりした症状が現れる前に、
病院に連れて行ってもらえたかもしれないのに…。



一般的に ネコは腎臓が弱いってことは、知ってただろ?
たくさんのネコが、年をとるにつれ
慢性腎不全になることを知っておかないと いけなかったんだ。
腎臓に負担をかける食べ物について、
もっと 知っておくことは、私の義務だったんだ。


タローニャンコの持病に悪い食べ物だけじゃなく、
腎臓に悪い食べ物も、知っておかないと いけなかったんだ。

タローニャンコの主食は、たぶん 問題は少なかったと思うけど、
私がパンを食べてると、ねだりにくるタローニャンコに、
マヨネーズを 一舐めあげてただろ…、
時々 ベーコンが混じっちゃってただろ…、
爪楊枝の先ほどでも、ネコにしたら多いんだぞ…。

ベーコンは厳禁だったのに…。
タローニャンコは、年だから特に厳禁だったのに…。
マヨネーズだって、別の塩分の少ないのを あげればよかったのに…。
ちょっとくらい なんて、もう通用しない年だったのに…。
17歳なんだから、腎不全対策を しなくちゃいけなかったのに…。

若いネコでも 塩分がよくないことは、知ってただろ?
ちょっとくらいが許される食べ物と、許されない食べ物があるのに、
なんで、心を鬼にしなかった?
厳禁は知らなくても、禁は知ってただろ?


腎臓に負担になるのは、塩分だけじゃなかったんだ…。
たんぱく質も、だったんだ…。
たんぱく質で塩辛いベーコンなんて、最悪じゃん…。
知らなかったじゃ すまされない。 命かかってたんだから。

私の馬鹿やろう。
なんで、もっと早く知識を仕入れて、
タローニャンコを守らなかったんだっ。
自分の苦しさばかりに囚われて…、
タローニャンコの かけがえのない命は、二度と戻らないのに…。

深夜 25:47

●2004年05月05日(水)

… まぼろしの欠片 …


今朝遅く起きた時は、死にたい感はなかったのに、
夕方、うたた寝してしまって、目が覚めた途端、
死にたいーーーーって強く思ってて、ずっと 死にたいまま。
うたた寝する前、特に 変わったことはなかったのに。
なんで、目が覚めたら急に 気分がこんなに変わってるんだ…?

PM.9:38

●2004年05月04日(火)

… まぼろしの欠片 …


「魂」 って、あればいいのになぁ。
「魂」 ってあるのかな…。 ないのかな…。
「魂」 があれば、タローニャンコのたましいに向かって、
話しかけたら、タローニャンコに通じるかもしれない。
「魂」 って、あればいいのになぁ。

魂があるのかないのか、分からないのなら、
魂があると仮定して、タローニャンコに話かければいい。
なかったとしたら、タローニャンコにとったら 無駄だけど、
あったとしたら、タローニャンコにとっても 無駄じゃない。

タローニャンコのたましいに 話しかけることは、
魂の存在に関わらず、たぶん、私にとったら無駄じゃない。
そのことは、うすうす感じる。 でも今は、そんなことより、
「タローニャンコのためになるかどうか」 の方が大事。



魂があるかないか、分からないのなら…、

魂があるのかないのか、分からなくても、
「タローニャンコのためになるかどうか」 分からなくても、
それでも、私は、タローニャンコに話しかける。
タローニャンコにとって 無駄じゃない可能性がある限り。
大切なタローニャンコに話しかける。



私は、タローニャンコをさがして、
精神世界へ旅に出ることにした。 強迫だから 本読むくらいだけど。
うさんくさい話も たくさん混じってるだろうから、
そんなのには注意しながら、タローニャンコの手がかりを求めて、
少し さまよってみる。

深夜 27:07

●2004年05月03日(月)

… まぼろしの欠片 …


私の本当の家族は、タローニャンコ。
タローニャンコが私の親で、タローニャンコが私の兄弟で、
タローニャンコが私の子ども。

私を心から信頼 し、愛してくれたのは、タローニャンコ。
私に、誰かを心から愛することを教えてくれたのは、タローニャンコ。
だから、タローニャンコが、私の親で 私の子。
その、たったひとりの私の家族は、いなくなってしまった。
かけがえのないタローニャンコを、私は守りきれなかった。
もっと もっと もっと、守りたかった…。



幼い頃から、私の周りにいたのは 偽りの家族。
私を抑圧するもの。 ありのままの私を否定するもの。
私は、子どもの頃から その家族という集団を憎んでた。
当時は、はっきりとは 意識してなかったけど。

でも、小学生の頃から ずっと
将来、絶対に 結婚なんてするもんか、
絶対に 家族なんか持つもんかって、
きっぱり 決心してたくらいだから、
子ども心にも、あの集団を嫌悪してたのは確かだ。
私の子どもの頃の 一番強い決心が、それなんだもんね。



偽りの家族が、私に教えてくれなかった 愛情のやり取りを
本当の家族のタローニャンコが、教えてくれたの。
タローニャンコが、私の家族なの。

偽りの家族は、単に 血が繋がってるだけ、
遺伝情報が伝達されてるだけ。
心が繋がってるのは、本当の家族のタローニャンコ。

深夜 28:51


●2004年05月01日(土)

… まぼろしの欠片 …


今日は、タローニャンコの日。

強迫がひどかった頃、
タローニャンコがしんでしまったら、私も死のうと思ってた。
当時の症状の強さでは、タローニャンコをなくしたら、
私は、絶対に 生き延びれないと感じてた。
何度も絶望して 死にたくなったけど、
タローニャンコが生きてくれてる間は…って耐えてた。

ネコは、人間の4倍の速さで生きる。
だから、いつか 別れがくるのは覚悟してた。
私は、タローニャンコに約束してた。
「私も 一緒に連れて行ってね」
「すぐ 追いかけるから、待っててね」
本気だった。



症状が少しマシになり、タローニャンコなしでは、
絶対に生きれない状態から、なんとか生きれるかも?っていう状態
になった頃、タローニャンコはいってしまった。
ずっと、私を見守ってくれてたかのよう。
ネコの17歳は、人間にしたら90歳くらいだとか…。

タローニャンコがしんでしまった日、私は 尋常じゃなかった。
タローニャンコの後を追うことも 考えた。
とりあえず、後を追わずに 頑張ってみることにしたけど、
いつまで 自分が耐えられるか、本当に自信なかった。
今でも 自信ないけど…。

自信ないけど…、
すぐには 後を追わなくて、よかったと思ってる。
だって、私の葬式と重なったとしたら、葬式にいそがしくなって、
家族はニャンコに対して、充分なことが、
ますます できなくなってしまうと思うから。



ニャンコがしんでしまった日、
私は、一晩中かかって、ニャンコのおしりや
しっぽをきれいにしてた。 ずっと、ニャンコに話しかけながら。
泣きながら。 ニャンコに謝りながら。
初期の不潔恐怖が治ってて、よかったと思う。
確認恐怖でも、ニャンコをきれいにするのさえ、緊張の連続で
しんどいけど、不潔恐怖だったら まず絶対できないもの…。

強迫だから、一晩かかったんだけど、
強迫でなくても、細かくて柔らかくて白い毛に びっちり
こびりついた汚れを取るのは、そうとう時間かかると思う。

私は、できる限り きれいにした。
私じゃなかったら、誰も、あそこまで
ニャンコを きれいにしてくれないと思う。

もし、私の葬式と重なってたら、それこそ
誰も、ニャンコを きれいにしてくれないと思う。
だから、私ができてよかった。

でも、ニャンコがしんでしまってからじゃ遅いんだ…。
もうニャンコは、きれいになって気持ちいいとか
感じられないんだ…って思うと
悲しくてたまらなかった。



それに、タローニャンコを想って 泣き続けてるのは、私だけ。
私が死んだら、他に誰が タローニャンコを想って、
こんなに泣いてくれる?
私が泣かなきゃ、誰が泣いてくれる?

PM.11:35



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