『小さな木の実』 について、私が感じること。
私は以前、この日記で長々と、
客観的には、一つの世界が存在してる訳だけど、
その世界の認識の仕方は、ひとり一人違うんだよね。
同じ世界に生きてても、捉え方によって、その見え方は違ってくる。
だから、世界を認識する人の数だけ、世界は存在するんだよね。
そして、自分や 自分を取り巻く世界に対する
自分の姿勢、捉え方によって、
世界=現実は、違って見えてくるし、変化するんだよね。
生まれたとき、まずは 親の価値観から出発するけど、
その後、親という他人の価値観・世界観から自由になって、
自分自身の価値観で、物事を見れるようにならないと、
本当の自分の世界には、ならないんだよね。
他人の価値観に依存せず、束縛されず、
自分自身の価値観で、自分や世界を捉えられるようになると、
本当の意味で、自分の人生を生きられるようになるんだよね。
…っていうようなことを 書いてきたけど、
『小さな木の実』 の詞は、それをひと言で 言い表してる。
“坊や、強く生きるんだ。 この広い世界、おまえのもの”すごいよなぁ。 このひと言に全部、込められてるんだもんなぁ。
この広い世界=おまえが感じている世界は、おまえのものだ。
おまえが、自分で感じたことや 思ったことを大切にし、
自分の目と耳で物事を捉え、考え、行動していくとき、
この世界は、他人の借りものではなく、本当に おまえのものになる。
おまえが、おまえの人生を生きれるようになる。
おまえの心が、おまえの世界をつくっていくんだ。
おまえが、いろんな人から学ぶことは、たくさんある。
いろんな人の感じ方や考え方を知ることは、とても大切なこと。
でも、おまえが、どういうふうに感じ、どういうふうに考え、
どういうふうに行動するかを決めるのは、おまえ自身だ。
決めるだけの力を、人はみな持っているんだ。
おまえも、その力を持っているんだ。
おまえは、おまえの思うように生きるんだ。
そして、おまえの世界を 本当におまえの世界にするんだ。
続く。
『小さな木の実』 作詞:海野洋司
小さな手の平に ひとつ ふるぼけた木の実 握りしめ
小さなあしあとが ひとつ 草原の中を 駆けていく
パパとふたりで拾った 大切な木の実 握りしめ
今年 また秋の丘を 少年はひとり 駆けていく
小さな心に いつでも しあわせな秋は 溢れてる
風と よく晴れた空と あたたかいパパの思い出と
坊や 強く生きるんだ 広いこの世界 おまえのもの
今年 また秋が来ると 木の実はささやく パパの言葉
PM.11:59