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2004年03月の日記
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●2004年03月31日(水)


… まぼろしの欠片 …




やっぱり、悲しすぎて書けない。
ニャンコのいない悲しみも、もちろん すごく大きいけど、
ニャンコの最期の気持ちを考えると、悲しくて悲しくて たまらない。

ニャンコのいない一ヶ月、毎日、何回も声だして泣いてた。
でも、私が泣いても、ニャンコ自身の辛さは
永遠に癒されることはない…。
私は、もう ニャンコに何もしてあげられない…。

愛しいニャンコ。 愛しいニャンコ。


PM.5:41


●2004年03月28日(日)

… まぼろしの欠片 …




ずっと感じ続けてる後悔や悲しみの気持ち、 後悔や悲しみの内容も、
ニャンコからもらった大切なモノの中に 入ってると思う。

この たくさんの後悔や悲しみは、ニャンコが命とひきかえに
私に伝えてくれた 大切なことのように思える。

もちろん、他にも大切なことを たくさん伝えてくれたけど、
これは格が違う。

ニャンコが 命とひきかえに伝えてくれたこと…、
それらは、ニャンコの命、魂にも思える。
だから、私は ニャンコの苦しみ ・ 気持ちを想像して、
これからも、いっぱい後悔して、いっぱい悲しむ…。
心が 潰れそうになったりするけど、それでも 後悔も大切にする。
大切にしたいし、大切にしなくちゃいけないと思える。

私は、ニャンコの命を引き受ける。

楽しい思い出、優しい思い出、愛情のやりとり、信頼感のやりとり、
言葉以前のコミュニケーションで 分かり合おうとする気持ち、
存在自体に感謝する気持ち…、だけじゃなく、



ニャンコに 充分に気を配れなかったことへの後悔、
強迫のせいで、ニャンコにしてあげられなかったことへの後悔、
それらのたくさんの後悔を通じて、ニャンコが私に教えてくれたこと、



それらも全部、私は引き受ける。
ニャンコが 自分の命を使って伝えてくれたことは、
ニャンコの命のようなものだから。

そして、ニャンコ自身の苦しみ、悲しみも、
私自身の苦しみ、悲しみとして、受け止める。
私が想像できる範囲内でしか 無理だけど。

そう思ったら、私の心の中に
ニャンコの心が、まるごとストンと入ったような感じがした。



深夜 26:08


●2004年03月25日(木)

… まぼろしの欠片 …




生きてたくない。 生きてたくない。 生きてたくない。
苦しい。 苦しい。 苦しい。

ニャンコがしんでしまってから、
心も体も重たくて、なかなか動けないし、気力でないし、
かといって、強迫の不安は、しっかり襲ってくるし、
ニャンコが苦しかった時の ニャンコの気持ちを
考えたら、たまんないし、
罪悪感と 悲しみと 後悔と 無力感と…
あとなんて言っていいか 分かんないけど、…叫び出したくなる。

苦しい。 苦しい。
でも、ニャンコも 苦しかったんだ…。
私も 苦しまないと。 苦しまないと。 苦しまなくちゃ。

でも 生きてたくない。 でも 苦しまないと。
でも 生きてたくない。 でも 苦しまなくちゃいけない。


PM.11:10


●2004年03月24日(水)

… まぼろしの欠片 …




あの日から毎日、声だして泣いてる。 日に何回も泣いてる。
ニャンコに 申し訳なくて、申し訳なくて、申し訳なくて。

ニャンコが 苦しい思いをしてたとき、
せめて、もっと 安心させてあげたかった。
少しでも 苦痛を和らげてあげたかった。

それを充分できなかった自分が許せない。 許さない。

あの頃、ニャンコのこと以外にも、気にかかることが、
いっぱい重なってたけど、でも、ニャンコのこと以外には、
もっともっともっと手を抜いて、適当に誤魔化しとけばよかった。
他のことなど、気にかけてる場合じゃなかったのに…。



友人のメアドが漏れた件で、ヒントを得るために動いてたけど、
よく考えたら、あの時点では、もう少し手を抜いてもよかった。
余分に神経と時間を使うくらいなら、1分でも1秒でも多く、
ニャンコを看てれば よかった。
でも、そうせず、それに神経と時間を使ってしまったのは、私。

揉め事にうんざりしてる暇があったら、1分でも1秒でも多く、
ニャンコを看てれば よかった。
でも、そうせず、揉めことに気を取られてたのは、私。
私は大馬鹿者だ。 私の馬鹿の代償を なんでニャンコが払わないと
いけないの! ニャンコに申し訳なさすぎる。

また 別の友人だけど、
お世話になった友人の頼みでも、すぐに無理だと答えればよかった。
そのことで悩んでる暇があったら、1分でも1秒でも多く、
ニャンコを看てれば よかった。
でも、そうせず、悩んで余計な時間を使ってしまったのは、私。
友人は、私の方の事情を知らなかったんだから、私の責任。

プロフを消すと 友人に宣言しても、
よく考えたら、ばか正直にすぐ消さなくても よかった。
消してる時間があったら、1分でも1秒でも多く、
ニャンコを看てれば よかった。
でも、消すのに余計な時間を使ってしまったのは、私。

ばか正直に挨拶カキコなんか、するんじゃなかった。
あんなの書いてる暇があったら、1分でも1秒でも多く、
ニャンコを看てれば よかった。
でも、無駄なカキコして 大切な時間を使ってしまったのは、私。



他にも いっぱい…。
PCの時間なんか、最低限の最低限の最低限に すればよかった。
PCするときも、ニャンコに添い寝してたけど、
PCの画面を見ながら ニャンコを看るんじゃなくて、
PCの画面なんか見ず、ずっとニャンコを看てればよかった。

そうしなかった私が許せない。 油断してた私が許せない。
動物は、ギリギリまで頑張ってしまうのに…、
判断を誤った自分が許せない。

自分のことを、許しても許さなくても、
いくら後悔しても、もう ニャンコには何もできない。
でも、ニャンコの気持ちを考えたら、後悔せずにはいられない。
自分を許せない。 許せない。 許せない。



ニャンコがしんだ日の夜中だったか、次の夜中だったか…、
私は、大声で 自分を罵り続けながら 泣き続けてた。
繰り返し繰り返し繰り返し、自分を罵り続けてた。
ニャンコに謝りながら。
でも、全ては もう遅すぎた。

その時のような 自分を許せない激しい感情は、少しも変わってない。
でも、全ては もう遅すぎる。

今日も心が潰れそう。 でも、私の心が潰れたところで、
今からニャンコの心を 楽にしてあげることはできない。
私の心も命も、何の役にも立たない。
全ては もう遅すぎる。


PM.9:57


●2004年03月23日(火)

… まぼろしの欠片 …




「そのままの自分が 親から受け入れられる」 という実感を得られずに
育ってきた私には、「そのままの他の存在を受け入れる」 ことも、
できてなかったと思う。

「そのままの他の存在を受け入れる」 という実感を
強迫になってからの 私に与えてくれたのは、まずニャンコ。

いいネコかどうかなんて関係ない = 良い子かどうかなんて関係ない
のよね。 そのことを ニャンコから実感させてもらった。
こっちが困ることを ニャンコがしても、
ニャンコへの愛情は ぜんぜん変わらないもの。



寝てるニャンコと 向かい合わせに寝ころんだら、
ニャンコに近づいて、ニャンコが吐いた息を吸う。 繰り返し吸う。
ニャンコの体の中を巡った空気が、私の体の中を巡ってる…、
そう思うだけで、至福を味わえた。 それは、この上なく幸せな
ひとときで、ぞくぞくするように嬉しかった。

そして、そのたびに 『神話の力』 で、
ジョーゼフ・キャンベルが紹介してた アメリカインディアンの
神話の中の言葉を 思い出してた。

「全ての生き物は、大気を介して 魂を命を共有している」
…だったかな? そんな意味の言葉。
魂だったか、命だったかは、よく覚えてない。



私は、ごく自然に ニャンコの存在に感謝 し、
ニャンコに出会えたことに感謝 した。
そして、ごく自然に ニャンコの先祖にも感謝できた。
ニャンコの先祖が みんな生き延びてくれて、
そして、ニャンコが生まれてきてくれたから。

ネコ同士や他の動物との生存競争だけでも 大変なのに、
人間が戦争ばっかりしてるから、更に生きにくかっただろう…。
ニャンコに繋がる先祖が全員、生き延びてくれたことに、感謝 した。
進化する前の原生動物にも 感謝 した。

私は、ニャンコに出会うまでは、ある存在に繋がる全ての存在に、
ここまで感謝できなかった。 ニャンコのおかげ。
もちろん、今も これからも 感謝 してる。


深夜 26:25


●2004年03月22日(月)

… まぼろしの欠片 …



私には、祖母があの子猫に出会わせて
くれたような気がする…。 または、
あの子猫は、祖母の生まれ代わり
かも…って、ずっと前から半分本気で
思ってきた。

だって、私は、滅多に弟とは
おはかまいりには 行かないんだもの。
弟と二人で行ったのは、あの時、一回だけだったかも…。
いつもは、私は母親と行ってた。

あの日、たまたま母親が 祖母の命日より早く おはかまいりに
行ってたから、 私は、初めて? 突然 弟を誘った。

私が弟を誘ったから、弟も一緒に来たんだし、
弟が一緒じゃなかったら、 きっと、子猫は家に来てない。
ウチの家族では、おはかから 平気で子猫を連れて帰れるのは、
弟くらいのもん。 そして、それを母親から なんとか許して
もらえたのも 弟だったから。



子猫が、祖母の生まれ代わりのような 気がするのは、
まず、祖母の命日に 出会った子猫の顔が
なんとなく祖母に似てたから。 大人になっても似てた。
童顔ネコで おでこも狭いから、そう感じたのかな…。
それと数年後、成長した子猫は、祖母と同じ病気をしたから。
若いときは 病弱ニャンコで、2回も手術 してる。



似てる似てないっていう話は、まぁいいとして…。

私の強迫の遠因となった、あの封建的な家風は、
きっと、昔、農家だったウチの家に、代々伝わってきたもの。
祖母は きつい人だと 近所でも有名だったらしいけど、
祖母の姑も、きっと きつかったんだろうって思う。
嫁を犠牲にして 家族を維持するパターンが、
ずっと受け継がれてきたんだろうから、

ちょっと 大袈裟になるけど、私の強迫の遠因は、
私の直接の家族の問題だけじゃないと思う。
その前の親の親の親…も、少しは関係してると思う。
そして その人たちは、心の病にはならなくても、それぞれ、
そんな家風の中で苦しんで きたんだと思う。



で、私のとこで 時代も関係して 歪みの影響がMAXになったのか、
いろんな条件が重なりすぎたのか、私が感じやすかったのか…、
とにかく、私は心を病むとこまで いってしまった。

私は、もしかしたら、先代の人たちが 果たせなかった願いも
背負ってるのかもしれない…って 時々思ってた。
もしかしたら…だけど、自分自身や他人を、そのまま受け入れて
愛したいっていう願い。 全くの見当はずれかも しれないけど…。
でも少なくとも、父親の兄弟をみてたら、そう思える。



祖母が あの家に君臨していた頃の、家中の張りつめた空気、
緊張感が、私を 幼い頃から抑圧し続けたのが影響して、
強迫になってしまったけど、その代わり、私は強迫の日々の中で、
幼い頃からの願い…自分を好きになりたい…が やっと叶って、
親の生き方、家風となっていた?生き方から、
脱出することだけは できたような気がしてた。

それを助けてくれたのは、ニャンコ。
祖母の命日に出会った、ニャンコ。
ただの偶然の出会いには 思えない、ニャンコ。
自分自身の試行錯誤もあったけど、ニャンコの存在は大きかった。
私に 大切なことを たくさん実感させてくれた。

…だから、
強迫の遠因に関係した祖母が、ネコに生まれ代わって
ウチに来て、家の中の空気を 柔らかくしてくれ、
5年後、私が強迫になってからは、今度は 私を助け続けて
くれたような気も してしまう…。

祖母とニャンコは、別々の存在だとは 思ってるけどね。


深夜 27:59


●2004年03月21日(日)

… まぼろしの欠片 …



あの日のことは、はっきり覚えてる。
初めて、タローニャンコに出会った日。
17年前の6月はじめ。
もちろん、本格強迫になるよりも前。


祖母の命日に、おはかまいりに
行こうと思った。 母親は 近所の叔母と
数日前に行ってたから、弟を誘った。



自転車で行ける距離。
弟と ウチのおはかの前にいたら、一匹の子猫が すり寄ってきた。
白い毛が薄汚れ、凄くやせてて、 ヨロヨロとふらつきながら、
それでも一生懸命、すり寄ってきた。
たぶん、その年の春に生まれて 捨てられた子猫だろう。
すごく小さかった。 かわいかった。 いじらしかった。



よっぽど、お腹がすいてるんだろうな…。
何か食べさせてあげたいけど、何も食べ物 もってきてない…。
子猫を連れて帰りたいけど、おはかの猫だし、どうしよう…。

本格強迫になってなかったとはいえ、
おはかと猫の組み合わせには、ちょっと抵抗あった。
猫と暮らしたことなかったし、猫には こわいイメージを持っていた。
子猫のことが気になりながらも、私は弟と一緒に おはかを後にした。



でも、その日だったか 次の日だったか、
あの子猫が、なぜかウチにいることに 気がついた。

おはかまいりに行った日、弟は、いったん家に帰ってから、
子猫を連れに、もう一度、おはかに戻ったらしい。
で、親に隠れて、自分の部屋に子猫を連れていき、
牛乳をあげてたみたい。
でも、牛乳をお皿に入れて、そろ〜って歩いてた弟は、
すぐに 母親に怪しまれて、子猫のことがバレた。

幸い、母親は 弟には甘かったので、しぶしぶ
子猫と暮らすのを 許してくれた。 弟だったからだろうな…。
その代わり、水が嫌いな子猫は、ノミとりシャンプーで
弟に洗われて、大騒ぎしてたらしいけど。



弟が子猫を洗ってくれたし、おはか猫でも 気にならなくなった。
おはかから 平気で子猫を連れてこれるなんて、
弟くらいのもんかなぁ…。 普通は、できないような気が…。

でも、子猫を連れに戻ってくれた弟には、感謝してる。
そして、その子猫との不思議な縁にも。
…それについては、続く。


PM.9:07


●2004年03月20日(土)

… まぼろしの欠片 …



20年くらい前かな…、
祖母がなくなった後、あの家の一つの
時代が 終わったような気がした。

それほど、祖母の影響力は強かった。
祖母が君臨してた頃、家の中の空気は、
ピーンと張りつめ続けてたから。
母親も 祖母の機嫌を損ねないよう、
始終ピリピリしてたし、家の中は、いつも緊張感でいっぱいだった。

一つの時代が終わった後も、家の中には、
なんか、ぎくしゃくした?寒い?暗い?空気が 流れていた。
そんなに簡単に、長年続いた緊張感なんて 取れないもんね。
何年間か、そんな状態が続いてたけど、その雰囲気を変えたのは、
祖母の命日に出会った 子ニャンコだった。



ニャンコが、そこにいるだけで、
ニャンコが、家の中を チョロチョロしてるだけで、
ニャンコが 気持ち良さそうに 寝てるだけで、

ニャンコが、ただ そこにいるだけで、
家の中の空気は、確実に緩み 変わっていった。



母親は、昔から しょっちゅう、ニャンコに言っていた。

「おまえは、極楽やなぁ…」
「誰のおかげで、極楽させてもらってると思てんねん?」
「そとのネコみたいに、食べるに困らへんし、雨風も当たらへんし」
「ちょっとは、恩返ししぃー」
「おまえも、どっかで儲けといで」

母親は冗談じゃなく、ほとんど真剣に そう言ってた。 ニャンコに…。
母親の、その言葉を聞くたびに、私は、
あー…、母親は、何も分かってない…って思ってた。



ニャンコは、ただ、そこにいてくれるだけで、
私たちに とても大切なものを、いつも与えてくれてるのに…。
恩返しを しなくちゃいけないのは、私たちの方なのに。
なんで、母親は そのことに気づかないの?

…って、思ってた。

でも、もう何も ニャンコにしてあげられない…。
ニャンコから受けた、たくさんすぎる恩、
どうやったら、返せるんだろう。


PM.9:53


●2004年03月19日(金)

… まぼろしの欠片 …




不潔恐怖が なくなったのは、ニャンコのおかげかも しれない。



突然、本格強迫になった初期、まず 不潔恐怖が噴火した。
ものすごかった。 尋常じゃなかった。
私は、完璧に 不安と恐怖の操り人形だった。
何日も何日も、強迫行為をするためだけに、丸一日が費やされた。

私の心の中は もの凄い大嵐が荒れ狂っていて、
1〜2ヶ月後? 2〜3ヶ月後? 気がついたら 心の中では、
大嵐の後の 失われたり壊されたりした風景が 霞んでいた。

不潔恐怖の大噴火の後、ほんのほんの少しだけ、
症状が緩んだけど、その分、別の苦しみが加わった。
それまでは、あまりに 症状が凄まじくて、
他のことは何も、考えられなかったから。

ほんのほんのほーんの少しだけ 緩んだ症状と、
強烈な自己嫌悪、疎外感、無価値感、取り残され感 etc.を抱えて、
それから、長い長い間、苦しみ続けることになったのだけど、

不潔恐怖については、1〜2年でマシになった。
でも、確認恐怖の方が 厄介かもしれない。 私の場合は。



不潔恐怖初期の大嵐が なんとか過ぎ去った頃の話。
っていっても、まだ 相当な嵐には違いなかったよ。

当時、ニャンコはトイレの時だけ、庭に出てた。
出た後、ニャンコは、毎回 母親に足を洗われていた。
でも、もちろん ニャンコだから、玄関の靴を履くとこも、
家の上も区別せずに、同じ足で 家中を走り回った。
ニャンコと暮らすためには、ニャンコの歩いた後を気にして
暮らすのは、不可能だった。

かといって、不潔恐怖が 簡単に消えてくれる訳ないから、
私は、家の中、いつでもどこでも スリッパを履いていた。
ほぼ全ての床が、私にとって 要注意箇所だった。
ニャンコは高い所にも登るから、要注意箇所は床だけじゃなく、
あちこち、そこらじゅう だったけどね。

また、必死で 掃除機かけてる途中でも、
かけ終わった所と まだの所を、ニャンコは かまわず横断するし。
はじめのうちは、ニャンコが そんなことすると、
ギャーーーーァァァァ、なんて事するんだよー、くそぉー、
ニャンコ、こっち来んなよー、って思ってたのに、
たぶん、それは態度にも出ただろうに、



不安の大嵐が 嵐になって、どれくらい経った頃だろう…、
ニャンコへの愛情を 感じる余裕ができてくると、
ほんの少しずつ、ニャンコの場合は、玄関の下を歩いても、
不潔恐怖感を 我慢できるようになっていった。
ニャンコの体に触れると、汚いモノも浄化されるように感じたの。
私の ギリギリ我慢できる範囲に浄化…だけどね。

かといって、気持ちの持ちようで克服できるような
甘いもんじゃないからね、強迫って。
ニャンコは、私にとって 特別の特別だったの。
それに、ニャンコの場合でも、そう感じられるようになるには、
やっぱり 年月かかったし、相当の努力が要った。



不潔恐怖の大嵐の中にいたときは、
ニャンコのことを考える余裕なかったのに、

大嵐から嵐になって だいぶ経ってから?の、ある日、
ひなたぼっこしてるニャンコの背中を なでてあげると、
ニャンコは、それまで 私が ニャンコをかまえなかったことなんか
忘れたかように、 ニャンコの行動で強迫行為が増えて、
私が ウギャーーーー!って 悔しがってたことなんか、
知らないフリしてるかのように、

気持ち良さそ〜な顔をして、
体全体でも 気持ちいいよ〜って言ってて、
そのことが、ニャンコから すごく伝わってきて
ニャンコが 愛おしくてたまらなくなった。

私が 愛情をかけられなかった時のことなんか、
ニャンコは チャラにしてくれてて、少しも気にせず、
愛情をかけれるようになった時、素直に 私に反応してくれた。


愛情を注いだら、ニャンコは、その分 ちゃんと返してくれた。
それまで、不潔恐怖で ニャンコを なでてあげられなかったのに。
不潔恐怖の大嵐中は、ニャンコに触れなかったような気がする。
それなのに ニャンコは、私の愛情を受け入れてくれた。
嬉しかった。 愛おしかった。 どんどん 大好きになった。

ニャンコと愛情のやり取りを 繰り返してるうち、
汚いモノも ニャンコの体に触れると、なんとか我慢できる範囲に
浄化されるように、少しずつ 感じられようになったの。


そして、ニャンコが玄関を降りた足で、家中を走り回っても、
少しずつ 気になり方が マシになっていったの。
ただし、不潔恐怖の場合だけどね。


深夜 28:04


●2004年03月18日(木)

… まぼろしの欠片 …




やっと、やっと、ヘアゴムとヘアピンで 自分の髪を留めれた。
11年10ヶ月ぶりくらいかな…。
ずっと、ずっと、まともな髪ゴムやピンを 使いたかった。
10年以上も 憧れだった。 やっと、望みが叶った。
たかが髪ゴムだよ。 みんな 当たり前に使ってるよ。
でも、強迫のせいで 使えなかった。



理由は、いくつかある。

ふだん、髪ゴムを売ってるような店に行かない母親に、
買ってきてっとは、ずっと 言い出せなかった。
妹は、昔は 今と違って、買い物を頼まれるのを 嫌がってたし。

それに、買ってきてもらっても、髪ゴムを受け取る時に、
安全な受け取り方をしたいから、その時に迷惑かけるし。
また、きちんとパッケージされて 売ってるものでないと、
気になって使えないから、買ってもらう時に
商品が限られる。 気がひける。

また、強迫の症状で、ひも状のものが怖い時期もあった。
その時期は数年間 続いたから、その間
切って使う安いタイプを使うのは、無理だった。
家族が買ってくれるとしたら、そのタイプになるだろうし。

また、汚れないかとか すぐに不安になるから、
そんな不安で 捨てたくないから、なかなか買えなかった。



で、どうしてたかと言うと、
初めのうちは、妹のプラスチック製の輪ゴムを失敬してた。
普通の輪ゴムは、髪に引っかかって 痛くて使えない。
こっちの方がマシ。 でも、伸縮性が悪く、よく切れる。

切れたら、もったいないから、結んで使う。
また切れる。 結び目が増える。 また切れる。 結び目が増える。
3〜4回くらいしか結べなかったかなぁ。 それに みっともない。
切れた輪ゴムを 何回も結んで使う羽目になるとは、思わなかった。



輪ゴムは、お風呂の時に 一緒に洗えたから、
汚れに関しては、気にならずにすんだ。
ただ、洗った髪を束ねたりすると、あっという間に切れるから、
洗った髪は、自分の髪を捻って 髪で髪を結んだ。
これは、髪が濡れてるときしかできない。 ピンとかないから。

強迫前は、洗った髪はタオルで留めてたけど、
強迫中は、ほとんど時期 タオルが使えず、できなかった。



妹の カラー輪ゴムが減ってきて、これ以上使うとヤバイと思って、
次は、サランラップをネジって こよりにして、髪を留めるという
みじめなことを思いついた。 これは使い捨て。
サランラップを出してから 髪を留め終わるまで、気を使った。
自分がヘンなことしないか不安で…。不調の時は30分かかった。



安心して使えるサランラップが底をつき、
次は とうとう、ティッシュを捻って こよりにして髪を留めた。
ティッシュが 破れたり切れたりしないようにするには、
テクが要った。 始めは失敗ばかりして
時間とティッシュが、もったいなかった。
それに、ティッシュで留めるなんて、みじめの極地だった。



10年以上、すっと まともな髪ゴムで 髪を留めたいと
思い続けてきた。 ずっと、そんなことさえ できなかった。
通販で、私が使えそうなのを やっと見つけて、やっと買えた。
でも、母親は「もうーっ」って怒った。
この頃、季節の変わり目で 出費が多いし。



でも その分、節約してたもんね。 親は 認めてくれないけど。
お恥ずかしながら、一ヶ月近く、お風呂に入らなかった。
その分のガス代と、水代と、石けん代と、ティッシュ代と、
ドライヤーの電気代が減る。 私の使用分は、かなり違うと思う。

ニャンコの具合が悪くなってから、心配で ニャンコをひとりに
できなかった。 私の冬の強迫風呂は、3〜4時間かかるから。
そんな長い間、ニャンコを ほっときたくなかった。
お風呂なんか、入ってる場合じゃなかった。

ニャンコが しんでからは、ショックで体も心も重すぎて、
動けなかった。 で、お風呂をさぼってた。
昨日も すごく不調だったけど、やっと入った。


深夜 25:12


●2004年03月17日(水)

… まぼろしの欠片 …




ニャンコもいないし、死んでもいいわ…。
強迫も、強迫が元になって起こる いさかいも、もう こりごり。
本当は、あと一ヶ月ほどで、本格強迫歴12年になる。
長すぎ…。 いい加減に死んであげないと、家族も大変だわ…。


PM.11:41


●2004年03月16日(火)

… まぼろしの欠片 …




ニャンコとは、強迫になる前から 暮らしてたけど、
強迫で、ずっと家にいるようになり、
ニャンコが 本当に かけがえのない存在になっていくと、
ネコ族は みんな大事になっていった。 見知らぬネコでも。

そして、一年間くらいかなぁ…、こんな強迫の症状が出た。
ネコ族を大事に思いすぎて、ネコ族に危害を加えてしまったら
どうしようって不安になる症状。 一種の加害恐怖かな…。
あまりにも大事だから、不安になるの。


強迫が きつかった頃の話。 薬も飲めなかった頃ね。



私が、わざと外に出て、どっかから 赤ちゃんネコを連れてきて、
ゴミを捨てるときに、一緒に挟んで捨ててたら どうしよう
って すごく不安になった。

ウチのニャンコは大きいから、間違って捨てることはないだろうけど、
ちっちゃい赤ちゃんネコを 捨ててたらどうしようって、
すごく不安になって、なかなか物を捨てられなくなった。



たとえば、キャンディーの包み紙を捨てるときも、
もし、これに赤ちゃんネコを挟んで 捨ててたらどうしよう、
って不安になって、いちいち、キャンディーの小さい包み紙を
丁寧に おみくじ結びにして、ペタンコですね…って、
確認 してからでないと 捨てられなくなった。
そんな小さい紙に、挟める訳ないのに。
でも、どうしても不安だった…。

そんな小さな紙を捨てる時も こんな調子だったから、
なにかにつけ時間はくうは、捨てたい物は たまってくるは、
赤ちゃんネコを 絶対に挟んでないって確認できないものは、
捨てられなくなるは、…ってな具合だった。



強迫の不安のため 外に出れなかったのに、
それでも、わざと外に出て、赤ちゃんネコをさらってきてたら、
どうしよう、って不安になるから厄介。 不安にはキリがないの。
外に出た記憶や、さらった記憶がなくても関係ない。
自分自身を とことん信用できなくなると、
自分の記憶さえ 信用できなくなるから。
記憶が抜けた経験が 一度もなくても。

「赤ちゃんネコを さらってきてたら どうしよう」
「赤ちゃんネコを 捨てて殺すことになったら どうしよう」
「大好きなネコ族を 殺すわけには いかない。 防がないと…」
「もし、赤ちゃんネコを殺してしまったら…」
「赤ちゃんネコを殺してしまったと、一生、思い続けながら…」
「一生、罪を背負いながら、生きることになるんだ」

って、すごい不安に駆られた。
赤ちゃんネコのためにも、自分自身のためにも、絶対に嫌だった。
だから、確認 しまくった。



たとえば…、ティッシュの空き箱が たまってくる。 捨てないと…。
たまると目につくから、ティッシュ代!って責められる。

私は、ティシュの空き箱の のりしろをはずして、
箱の中に 子ネコが入ってないか、じーっと確かめる。
そして神経を集中させて 一気にたたむ。
ゆっくりだと、途中で外に出ないか 不安になるから。

たたんだ後、薄くてペタンコなのを
箱の端から端まで、手で何回も押さえて確かめる。
次の箱も、中に子ネコが入ってないか、じーっと確かめてから、
ペタンコにする。 そのペタンコ空き箱を重ねていくときも、
箱と箱の間に、子ネコが 挟まっていないか 慎重に確認する。

しっかり確認しても、確認後に挟んでしまったら 大変だから、
重ねたペタンコ箱を ガムテープで ぴっちり何ヶ所か止める。
止めた後も、私は心配で、ペタンコになって重なってる
ティシュの箱の隙間に 目を凝らす。
隙間は1ミリもない。
そんなとこに いくら子ネコでも、挟める訳がない。
もし、子ネコが挟まってたとしたら、鳴き声だって するはず。
でも、どうしても不安で不安で、一年くらい捨てられなかった。



なんでか分かんないけど、その加害恐怖?は、消えてなくなった。
薬も飲んでなかったのに、なんで消えたのか分かんない。

でも、不安が消えてからは、
なんで あんな薄いとこに…、なんで あんな小さい紙に…、
子ネコが挟まってないか 不安になったんだろう、って不思議だった。
どう考えても不可能なのに。
それでも、不安で不安で 仕方なかったんだからなぁ…。


深夜 24:29


●2004年03月15日(月)

… まぼろしの欠片 …




ニャンコは、初めは 主に 家の外で暮らしてたけど、
そのうち、主に 家の中で暮らすようになった。
かわいそうだけど、自動車にひかれるネコって多いから…。
マンションとかじゃなくて よかったと思う。
家の中でも、ニャンコは あちこち走り回れてたから。
外とは 比べものにならないけどね。 o(*- -)o



私は、ニャンコが ガラスの欠片や お皿の欠片を 踏まないか、
ニャンコのご飯の中に、ガラスやお皿の欠片が入らないか、
すごく気になった。 人間だったら 「痛い」って言えるけど、
ニャンコの場合、気づかずに 体の奥に入ってしまったら
どうしようって心配になった。



それで 確認恐怖の私は、強迫の不安が強かった頃、
毎晩、ガラスの食器が、食器棚の中で安定してるかどうか、
しつこく何度も確かめた。
ガラスの食器を 持ち上げたり下ろしたり、ちょっとずらしたり…、
安定してると安心できるまで、確認し続けてた。
何年間かな…、毎晩、かなりの時間と神経が これにとられてた。

また、毎晩、台所の床の上に、尖ったものが落ちてないか、
床の上を這うようにして、確認して回った。

お皿が割れた時なんか、欠片が飛び散りそうにない所まで、
掃除機をかけまくった。 確認恐怖だから、掃除したはずの場所も、
もし まだ掃除してなかったらどうしようって心配になって、
同じ箇所を何回も 掃除し直してた。
繰り返すのは、自分でやってても、うっとおしかった。
けど、強迫のせいで、やらずには いられなかった。

ニャンコのご飯にまで 飛び散ってるかもしれないって
心配になったときは、ご飯を入れ替えて、お皿を洗った。
人間が食べるお皿を洗うのは、普通に洗えるんだけど、
ニャンコのお皿を洗うのは、いつも すごく気を使った。

ニャンコのことが すごく大事だから、きちんとしたくて、
本当にきちんとできてるのかな…って不安になるわけ。

ニャンコのお皿を 洗ってる途中で、わざと汚してたら
どうしようとか、 お皿を洗い終わってから、新しいご飯を
入れるまでの間に、わざとお皿を汚してたらどうしようとか、
すごく気になって、お皿を洗って 新しいニャンコご飯を入れるだけで
1時間近くかかることは、ザラだった。 終わったら クタクタ…。
少しずつ、あっさりできるように、なっていったけどね。
だから、練習になってたな…。



強迫が ひどかった当時、
晩の見回りが 念入りになってしまってたのは、
ニャンコをひとり残して、家族全員2階で寝てたから、
その間、ニャンコのことが心配だったので。
ガスの元栓や戸締まりも入れたら、毎晩 1〜2時間かかって
夜の確認をしてたような…。
どんなに眠くても、やらずには いられなかった。

私が ニャンコと一緒に1階で 寝るようになってから、
確認は、だんだん あっさりしていった。
ここ数年は、10分かからなかったかな…。

ニャンコを守りたくて、
苦痛な確認行為が出てしまってたけど、その苦痛よりも、
ニャンコが ウチにいてくれる幸せの方が、ずっとずっと大きかった。
っていうか、ニャンコのおかげで、強迫の苦痛に耐えてこられた。
強迫の苦痛は これだけじゃないから。 限りがないから。


それに、私が勝手に無用な心配をして 確認行為をしてたんだし。
もちろん、好きで 確認行為を繰り返してた訳じゃないけどね。
症状だから、不安が強すぎる時は しゃーない。


深夜 27:35


●2004年03月14日(日)

… まぼろしの欠片 …




昨夜、というより今朝の早朝、ニャンコの飲み水を 新しく入れ替えた。
ニャンコのご飯も、新しく入れ替えた。 ニャンコ用の食器も洗って。
ニャンコが 水を飲みたくなったら、飲みにこれるように。
お腹がすいたら、食べにこれるように。

ニャンコは、もういないのだけど、
台所のニャンコの食卓は、誰にも触らせない。 片づけさせない。
もっと早く、食卓をキレイにしたかったけど、
心と体が重くて、不安感も強くて、できなかった。
やっと、できて嬉しい。



ニャンコのお水は、ずーっと前は、母親が入れ替えてた。
でも、母親が台所の排水溝の近くで、水を入れ替えてたから、
排水溝に当たった しぶきが、ニャンコのお水に入ったら どうしよう
って心配になって、私が入れ替えることにした。

ふつーの人にとったら、どうってことないけど、
まだ 今よりも 強迫の不安が強い頃だったし、
ニャンコのお水を入れ替えるには、かなり神経を使った。



人間が飲む水なら 気にならないんだけど、
ニャンコが飲む水の場合は、途中で カップを排水溝に
突っ込んでないかとか、自分が台所から出ていないかとか、
かなり気になった。 それは、ニャンコが大切だったから。
大切なものを守りたいから、守れてるかどうか心配になって、
不安感が募るの。

水を替えるてる途中、
自分が その場を離れてない証拠に 数を数えながら、
何回も 水を入れ直したり、カップを持った指の場所を
毎回 覚えて、一連の動作だと 自分に言い聞かせる材料にしてた。

しんどくても、毎日、ニャンコのお水を入れ替え続けた。
練習になってたと思う。 それに、それさえ できなかった時のこと
を思うと、私が お水をあげれるのが嬉しかった。



ニャンコのご飯も、ずーっと前は、母親があげていた。
ニャンコのご飯が入ってるケースが、私の苦手なケースに似てたから
途中で、 もし、苦手なケースを触ってたら どうしようって
不安になりそうで、できなかった。

でも、ある日、思い切って、
ニャンコのご飯のケースだよ…って、神経を集中させて、
しっかり確認しながら、ニャンコのご飯をケースからお皿に出して、
残りのご飯も 無事にケースにしまえた。
嬉しかった。 できて嬉しかった。

この時も、今より強迫の不安が強い頃だったから、
初めのうちは、毎回 ドキドキしながらだったけど、
それからずっと、私が、ニャンコに ご飯をあげれるようになった。
そして、だんだん、その行動の緊張度は減っていった。



ニャンコは、結石ができたことがあるので、
それ以来、動物病院で買う 食事療法食を食べてたの。
たまに、他のもあげていた。 食べるの楽しみだろうし。

毎日、ニャンコに 練習させてもらってたようなもん。 (*- -)人
強迫の不安を持ちこたえて、行動する練習を。


PM.8:22


●2004年03月13日(土)

… まぼろしの欠片 …




私は、自分にも非があると思ったから、
相手への不満な気持ちを抑えてた。 でも、そうしてたら、

自分ばかりを 責めて責めて責めて責めて責めて…、
死にたくなった。 絶望感に囚われた。 生きてるのが苦しくなった。
10日間近く、ずっと そんな状態だった。

でも、改めて 相手の態度を振り返ってるうち、
自分の中で、相手への怒りの感情が はっきりしてきた。
我慢ができなくなった。 独り言だけど、声に出して吐き出した。
そしたら、自分を拒否し 身動きとれなくなっていた心が、
自分を受け入れられるようになった。

確かに 私も悪かった。 反省してる。
でも あそこまで、私のことを…。 私の友人のことを…。
動物と暮らした経験のない人には、分からなくて あたり前だけど、
でも、ニャンコは、そんな存在じゃないんだ…。

うつの不調時だから 仕方ないけど、 私も悪いから 仕方ないけど、
いくらなんでも…。 これ以上は書けないけど。

私は、決して、その人の人格を否定してる訳 じゃない。
ある行為への不満を、書いただけ。
その人は、いつもは 優れた判断力もあるし、思いやりもあるし、
お世話にもなったから、感謝 してるし、感謝すべき。

その人は、たぶん普段、感情を抑えるクセがついてるから、
うっぷんが限界まで溜まると、一気に爆発するんだと思う。
うつが、さらに その感情を強め、長引かせるんだと思う。
普段、人に気を使いすぎるとこから、きてるんだと思う。

だからこそ、私は 自分の感情をかなり抑えて、自分を責めてた。
でも書かなきゃ、本当に 私が潰れるから書いた。 ごめんなさい。

AM.7:59

今回の件で、こんなにも、
小学生の頃の たった数ヶ月の集団無視イジメが、
私の中で まだ 引っかかり続けていることを、思い知らされた。
親との関係を乗り越えるだけでは、まだ 不十分だったんだ…。
集団無視イジメ については、まだまだ 足りないんだ…。
私に残されていた課題 に 気がついた。

PM.4:22


●2004年03月12日(金)

… まぼろしの欠片 …

私を殺したい。
ニャンコのことは、直接関係ない。
ニャンコのことでも、自分を許せないのは 確かだけど、
それだけでは、自分を殺すとこまでは ギリギリ いかずにすんだ。

私が、私を殺したいのは、ある人の行動が一番の原因。
それによって、私は 私が無価値に思える。
私が やってきたこと全てが、無駄に無意味に思える。

でも、相手の行動の前には、私の行動があるから、
相手を責めるつもりはない。
相手を責めるのなら、こんなに自分を否定しない。
自分を 殺したくなるほど。


AM.4:53


●2004年03月10日(水)

… まぼろしの欠片 …

不安と恐怖に突き動かされた 重症の強迫の行動は、
他人から見ると、超わがままにしか 見えない。
行動の動機となる、とてつもない不安なんて、
経験しないと分からないから。



ウチの父親は、強迫なんかじゃないのに、
しょっちゅう 超わがままな行動をとってきた。

私の方は 不安に強く迫られて、やむなく強迫行為をするけど、
父親の場合は違う。 ただの わがままから、行動してる。
でも、行動だけ見てると、同じに見える。
行動の動機なんか、目に見えないから。

長年、父親のわがままに 辟易してきた母親は、
行動が見かけだけ同じの 強迫を憎む。
強迫行為をせざるを得ない 心の中の強烈な不安も見えないし、
嫌々 強迫行為をしてることも、理解できない。

っていうか、強迫の世界は 理解の範疇を越えてるんだと思う。
私だって 強迫になってなかったら、こんな世界、想像もできないし。



だから、強迫は憎まれる。
行動だけ見てたら、超わがままだから 憎まれる。
そう行動せざるを得ない、不安と恐怖が桁違いで、
理解を 遙かに超えてるから、憎まれる。 それが普通。

【 教訓 】

強迫の不安を人に見せてはいけない。 どんなに親しくなっても。
見せたら憎まれる。 たとえ、相手がうつの人でも、見せたら憎まれる。
ごく稀に、ひどい強迫を見ても憎まない人も、いてくれるけど、
それは、よっぽど人間ができた人。
その貴重な好意に甘えて困らせては、いけない。


深夜 25:54


●2004年03月09日(火)

… まぼろしの欠片 …

やっぱり、 私はなんの価値もない人間、
なんじゃないのだろうか…?
ここ何年間も、 こんなに強く、こんなこと思わずに やってこれたのに。
なのに、心が 言うことを聞いてくれない。
急に、振り出しに戻ってしまった。
ニャンコのこととは、直接関係ない。
今までの10年間の努力は、いったい何だったの?

AM.4:03

誰も、私を 助けることはできないんだよ、私自身の他には。
私しか、私を助けられないんだよ、 最終的には。

エヴァのセリフを 少しアレンジして、
お守りにしてる言葉を、 もう一度、自分に言い聞かせる…。
「本当に あなたの苦しみを、わかってあげられるのは」
「あなた自身しか いないのよ」
「あなたを 本当に いたわってあげられるのは、あなただけ」


PM.3:03


●2004年03月08日(月)

… まぼろしの欠片 …

この頃、昼を過ぎても 布団から、なかなか 起きあがれなく
なったけど、 昨日は、ほんとに 起きあがれなかった。
それでも、強迫の用事で 起きあがらないと しゃーないけど。
強い強迫には 勝てないから。

でも、薬を飲むために、朝昼は、ほんとにひと口しか
食べなかったから、せめて、晩は少しは食べないと…って思っても
起きあがれない。 起きあがらなくちゃ、起きあがらなくちゃ、
って思いつつ 体が動かず、そのまま一時間半も経ってた。
強迫に うつも プラスされちゃったか…?



ニャンコがしんでしまって 二日後、
なぜか、特賞のオープンハートのネックレスの当選通知が届いた。
とてもじゃないけど、そんなの受け取れる気分じゃなかった。
それに 不安感も強かったし、無理だと思った。
お世話になってる妹に あげようと思った。
でも、ニャンコが、自分の代わりに
ニャンコと私の絆として、私にくれたのかも…とも思った。
いつも、身に着けられるものだから。



配達期日が指定できたので、今日、オープンハートが届いた。
悩んだけど、そのネックレスを身につけた。
ニャンコの心を 受け取った気がした。
少し 落ち着けた。



でも、PCつけたら、まだ しんどい問題が続いてるみたい。
ニャンコの件だけでも 死にたいのに、また別の問題が
私に 最期の一撃をくらわせようとする…。 o(*- -)o


PM.10:15


●2004年03月07日(日)

… まぼろしの欠片 …

私の大切な ニャンコのタロー、
タローの世界に行ってもいい? タロー、迎えてくれる?
まだ 間に合う? ねぇ…、タロー、タロー。


PM.10:37


●2004年03月06日(土)

… まぼろしの欠片 …

おとといまで、心と体とが、どっしりと重かった。
おとといの晩、ネコ好きの友人が、行き場のない私の気持ちを
受け止めてくれて、 ほんの少しだけ 心と体の重みがマシになった。
それでも昨日も、突然、大声で泣き叫んでた。 何回も何回も。
ニャンコがしんでしまってから ずっとだ…。 あの日から笑えない…。
もちろん あまり食べれない。 何もする気が起こらない。
体がだるくて、やっぱり重い。 文章もまとまらない。



あのニャンコは、私の親友で、私の親で、私の子。

本格強迫になってから、
ほとんど10年間、ずっと、あの愛しいニャンコと一緒にいてた。
ニャンコだから、家の中、あちこち好きなとこに 行くけど、
ニャンコの姿が見えない時も、常に ニャンコの居場所を把握してた。

あのニャンコが支えてくれてたから、長い強迫の日々を生きてこれた。
強迫で みすぼらしい格好をしてても、馬鹿げた強迫行為をしてても、
ニャンコだけは、なんの偏見も持たずに、私の側にいてくれた。
私を信頼してくれた。 ニャンコから無条件の信頼を与えてもらった。
あのニャンコは、私の救い神、守り神。

今日は、これ以上 書けない…。


PM.11:51


●2004年03月05日(金)

… まぼろしの欠片 …

萩尾望都の 『 トーマの心臓 』 の一番初めに出てくる
トーマが残した詞に、こんな部分がある…。



人は二度死ぬという まず自己の死 
そしてのち 友人に忘れ去られることの死

それなら永遠に
ぼくには二度めの死はないのだ
彼は死んでもぼくを忘れまい
そうして
ぼくはずっと生きている
彼の目の上に

萩尾望都 著 『 トーマの心臓 』 文庫版第1巻より



…あのニャンコは どこへ行った?
…本格強迫になってからの、ほとんど10年間ずっと
…すでに 私の心の一部になっていたニャンコ
…あのニャンコが 私の側にいてくれたから、 私は 生きてこれた
…私の守り神のニャンコ、 私を ずっと見守ってきてくれたニャンコ
…愛しいニャンコ

…あのニャンコは どこへ行った?
…泣きながら 空に目を走らせる
…違う…、ニャンコは ここだ…
…ニャンコは、私の心の中に入った…

…もう二度と あのニャンコを死なせはしない。 私が生きてる間は
…いつも 心の中のニャンコと一緒に、これまで以上に一緒に 生きてく
…ニャンコへの感謝と後悔の気持ちを、持ち続けながら
…そして 私は、私を許しは しない


PM.10:50


●2004年03月04日(木)

… まぼろしの欠片 …

私は、私が許せない。 許せない。
私は、私を許さない。 ニャンコに申し訳ない…。
友人の せっかくの言葉も、私の心の上を素通りする。
私は、どうしても 私を許せない。 心が身動きとれない。 許せない。


PM.1:08


●2004年03月03日(水)

… まぼろしの欠片 …

私の馬鹿ヤロー! 私の馬鹿ヤロー! 私の馬鹿ヤロー!


PM.5:17



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