1月27日の以下の日記の続き ↓
私の強迫の不安の大元には、自分が女であることの劣等感が
深く大きく 根を張っていることに気がついた。
幼い頃から 家で薄々感じていた存在感の否定、さみしさ…、
小学5年の 無視いじめによる否定感の強化、疎外感…、
自分の正体は 嫌な奴に違いないと思い込み、
さらに自分を抑圧し 押し殺していたこと…、
強い自責の念…、
強迫の不安の大元は、それらだけじゃなかった。
それらに、女であることの劣等感が しっかり絡みついていた。
その劣等感は、私の中に 巧みに刷り込まれていたから、
不安の大元に、しっかり居座っていたなんて、思いも寄らなかった。
女だから…、って親から 言われたことはなかった。
その点では恵まれていたと、ずっと思っていた。
でも、実は違っていた。
幼い頃から、封建制の残る家風の中で、
女であることの劣等感を、巧妙に日々 インプットされ続けていた。
父親から、女を はっきり差別する言葉は
聞いたことがなかったように思う。
でも、私が幼い頃から、
父親は、毎日、何度も、子どもの前で母親をけなしていた。
子どもにとっては、世界の女の代表・象徴である母親を。
父親は、あの家で立場の弱かった母親を、
さらに おとしめることによって、自分を肯定しようとしていた。
誉めてもらいたくても、誉めてもらえないから、
子どもの前で、自慢するしかなかったんだと思う。
父親は、いつも威張ってたけど、威張っていなきゃ、自慢していなきゃ、
自分を保てないほど、劣等感が強かったんだと思う。
今も、その劣等感は たいして変わってないような…。 o(- -;o
父親は、意識や意思は、感情に勝ると思っていた。
感情は、意識によって征服すべきものと考えていた。
父親にとっては、意識・意思・思想=優れたもの、
感情・感覚=劣ったもの、だった。
それって結局…、自分の感情面での未熟さに目を向け、
それを解決していこうとはせずに、意識の力で、
感情を無理に ねじ伏せようとしてただけ…のように思える。
父親は、感情面での弱さを、意識面で補おうとしてたんだと思う。
父親は、「わしは、意識で感情をコントロールできるから、えらい」
って自慢してたけど、できると思ってるのは、本人だけで、
実際は、周囲のことを考えず、未熟な感情をそのまま、
周囲にぶつけていた。 …今でもそうかな。
自然な感情から 目をそむけて、自分の弱さから 目をそむけて、
意識の力で感情を征服したと錯覚してるから、未熟なままなんだよね。
心の奥の声に 耳を澄ますことが必要なのに、
父親は、一生懸命?逆のことをしてきたんだよね。
自然な感情を意識で抑え込むのって、良くないものね。
自然な感情に逆らうと、あとで痛い目に遭うものね。
もちろん 幼い頃は、父親の劣等感に気づけず、
単純に 「お父さんって すごいんだ」 なんて思ってたけど、
小学生になってからは、「お父さんは、すごいけど、すごくない」
「なんかずるい。 なんかヘンだ。 何がヘンなんだろう。 よく分からない」 って、
思いはじめ、一見立派なこと?を言っている父親のウソを
いつか つきとめてやるって思いながら、大きくなった。
実際、父親は、まともなことも言ってたし、
そんな、まともな考え方ができるのに、どうして違和感を感じるんだろう、
言ってることと やってることが、どうして合わないんだろうって、
子ども心には、不思議でもあった。
強迫になって 再び、自分や両親と
向き合わざるを得なくなり、やっと ここまで気づけた。
強迫は、子どもの頃からの この願いも叶えてくれたことになる…。
父親のことで、ちょっと話がそれてしまったけど、続く。
PM.11:14