強迫が一番ひどかった1ヶ月〜1ヶ月半?の間は、
毎日が 大パニックだった。
強烈な不安と恐怖が、私をパニックに陥れ、パニックがパニックを呼び、
一つのパニックが終わらないうちに、次々に新しいパニックが加わって、
パニック状態の途切れることが、ほとんどなかった。
その
一番ひどい時期が過ぎてから、数ヶ月後 の話 ↓
この時期は、不潔恐怖に、確認恐怖、縁起恐怖、血に対する恐怖、
霊的なものに対する恐怖が、絡み合っていた。
ある日、夏期休暇で 実家に帰ってた弟に誘われ、
勇気を出して、近所に散歩に出かけた。
…そして、家から10〜15分くらい離れた道路に、
赤っぽい汚れがついてるのに、気づいてしまった。
その瞬間、自分のスカートに その汚れがついてしまったかもしれない、
っていう不安が湧き上がって、その不安が 私の心の中をうめつくし、
不安で不安で、いてもたってもいられなくなった。
あのシミは、いったい何…?
熟した柿が、道路に落ちた跡のような色だけど…、
柿の季節には早いし…、トマト…?
あぁ…、どうしよう…。
柿やトマトだったらいいんだけど、もし、血の跡だったらどうしよう…。
もしかして、交通事故があった…?
そんな話きいてない。 だけど、もしかしたら 交通事故?
それとも誰かが、ここで殺された…?
そんな話きいてない。 だけど、もしかしたら 人知れずに殺された?
最近、誰も ここで殺されてないっていう確証はない。
あぁ…、どうしよう…。
もし、血の跡だったとしたら、血だったとしたら、
殺された人の恨みが、血に込もってるかもしれないーーーー。
恨みの込もった血に、私の服がすれてしまったかもしれないーーーー。
恨みが乗り移ってきたら、どうしようーーーー。
どうしようーーーーーー。
あのシミの正体は、なに…?
血か、そうでないのか、どっち、どっち…?
血だったら、どうしよう…。 もし、恨みの込もった血だったら…。
どうしようーーーーーー。
自分の服が 道にすれてないかどうか、私は 必死で記憶を辿った。
歩いただけでは、服が道路まで届く訳ないのに、
不安で不安で どうにかなりそうだった。
坂道だったから、もしかしたら 服が道路にすれたかも…って。
坂道でも、道路にすれる訳ないのに。
あまりに不安で、ノートか何かに
自分の記憶を、細かく細かく書き殴った。
書いて記録に残さないと
記憶の中から、服が道路にすれてないと思える貴重な証拠を
やっと見つけたとしても、次の瞬間、
「さっき、私は 本当に大丈夫だと思ったんだろうか…?」
って なっちゃう危険が大きいから。
でも、その件では不安が強すぎて、書いても無駄だった。
全然、不安は鎮まらなかった。
書きながら、血じゃないと思われる状況や特徴や証拠も、
必死で 記憶の中から探した。
もちろん、無駄だった。
今なら、まず血じゃないだろうし、
仮に 血だったとしても、怪我しただけかもしれないし、
まず、恨みが こっちに来ることはないだろうって、
自然に思えるんだけどね。
数ヶ月後?半年後?もっと後? そのノートを読み返したら、
鬼気迫るものが感じられて、自分でも びっくりした。
恐怖と不安の渦が、そのまま写し出されてた。
今、そのノートは、強迫上、取りに行けない場所にあるから、
この日記には、12年前を思い出して書いてるだけ。
あの鬼気迫る感じは、再現できない。
不安になった服を、初めは洗濯するつもりだったけど、
洗濯するまでの間に、今度は、その服が怖くなった。
…私が、もし 不安になった服を わざと触って、
…続きに 他の物をわざと触ったとしたら どうしよう。
…服についている不安が、他の物にも移ってしまう。
…他の物まで、怖くなってしまう。
怖くなってしまった自分の服に、触った覚えがなくても関係ない。
結局、その服は捨てる羽目になった。
その服にすれてた洗濯ネットも捨てた。
服を洗えたとしても、再び、その服を着れる自信はなかった。
だって、不潔恐怖で 気になるような汚れと違って、
霊的なものに対する恐怖なんて、洗い流せないもの。
不潔恐怖でも、ちゃんと洗えたかどうか 不安になるから、
洗い流すのは、とんでもなく苦労するけどね。
でも、私の場合は、不潔恐怖より他の恐怖の方が 厄介だった。
対処に困る恐怖の一つだった 霊的なものに対する恐怖は、
本格強迫になって9ヶ月後、突然、消えてなくなった。
自分で自分のことを、少し認められるようになった時に。
その時のことを書いた日記 ↓
2002/11/01 強迫の一つの症状が 消えた瞬間 PM.10:25