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2005年02月の日記
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●2005年02月28日(月)


… まぼろしの欠片 …


今朝の夢。 バイクの夢、多いでしょ…。 o(- -;o

もう日が暮れかけてた。
今から電車とバスで 1時間半以上かけて、
大学まで バイクを取りに行くのは、面倒な気もしたけど、
バイクを取りに行くことにした。 大変だと思いつつも、
とうとう バイクを取りに行けるんだ、と思うと嬉しかった。

長い間、大学構内にバイクを停めてたから、
盗られてないか心配だった。
夢の中で大学まで行けた。 行けない夢も多いんだけど。
フェーザーに会えた。 手遅れにならずにすんで嬉しかった。

同じフェーザーはないんだから、
かけがえがないんだよ…って、夢の中で誰かが言う。
ほんと 手遅れにならなくてよかった。 危なかった。

目覚めてから、フェーザーは友人のとこだと思い出して、
大丈夫でよかったーって、ほっとした。



昨年は、うるう年だったんだよね。
たろーにゃんこが居た昨年の 2月29日が、今年はなくてヘンな感じ。
たろーが一生懸命に生きてた 2月29日がなくて、へんな感じ。
たろーと私の 2月29日がなくて、ヘンな感じ。

たろーにゃんこが言ってる…。
PCは、ほどぼどに…って。

昨年の 2月26日は、友人への中傷メールに関して、
ヒントが得られるかもしれなかったから、
PCに 時間をとられてしまった。
2月27日も、中傷メールが発端となったことで、
PCに 時間をとられてしまった。

あのPCの件で、あんなに 丁寧にしなくてもよかったのに…。
たろーは、まだ しなないって、信じてたせいもあって、
PCの向こうにいる人達に対して、いい加減にできなかった。
私が、たろーの状況を的確に掴んでいれば、
PCでの件は、二の次にしたのに。

たろーは奇跡的に助かると 信じ込んでた私は 愚か。
そう信じ込まずには いられなかった私も 愚か。
たろーと時間が もっと残されてると思い込んでた私は 愚か。
そのため、適切な判断ができなかった私は 愚か。

そもそも ネットを媒介とする世界に
エネルギーをかけすぎてたから、巻き込まれたんだ…。
たろーが言ってる…。 ネットしすぎるな…って。

ネットに関心を寄せすぎた報いだ…。
でも 私は報いを受けて当然だけど、たろーは被害者だ…。

ネットしてた間もずっと、たろーに添い寝してたけど、
主に画面の方を見てたから、そんな私が許せない。
たろーだけを見てればよかった。
そしたら、寝てしまう可能性が大だけど…。
でも、たろーの気持ちを考えたら、私は私を許せない。

PM.10:20
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●2005年02月27日(日)


… まぼろしの欠片 …


人間は、具合が悪くなったら 栄養を摂ろうと思って
無理に食べようとするけど、動物は かしこいよね。
食べることによって 体に負担になると感じたら、食べようとしないもの。

でも お水も飲まなくなった、たろーにゃんこは、
時々、お水の前まで来て 口を動かしながら、どうしようかと考えてた。
脱水症状を起こしてたくらいだから、すごく喉が乾いてたんだろうなぁ。
それでも、目の前の水を飲まなかった。

どの獣医も、「水を飲ませなさい」って言ってたけど、
スポイトで 無理に飲ませようとしても、
たろーにゃんこは、なかなか 飲んでくれなかった。

「アミノ酸を摂るように」 って言う獣医もいてて、
アミノ酸飲料とか 飲ませてみたけど、
たろーは飲もうとしなかったなぁ。
それでも 少しは、口に入っただろうから、
後から思うと、たろーを苦しめただけだったかも…。

アミノ酸を無理にあげるより、
たろーにゃんこの足の裏や 足の指のつけ根を
ずっと揉んであげてる方が良かった…。 私の馬鹿…。

足の裏を揉んあげたら、いつものように
もっと揉んで…って言うように、足の指を広げてたもの。

ずっとずっと ずっとずっと、たろーの足の裏と指を
揉んであげてたら よかった。 ずっとずっと ずっとずっと。
たろーが足の裏から受ける感触を 想像しながら。 ずっとずっと。
たろーのしんどさが、少しでも和らぐよう祈りながら。 ずっとずっと。

深夜.25:43

●2005年02月26日(土)


… まぼろしの欠片 …


昨日、強迫で いそがしくて書けなかった…。
たろー週間なのに。

たぶん、昨年の 2月25日の夜中の3時か4時頃だったと思う。
たろーにゃんこが、急に苦しみだした。
仰向けになって、手足を激しくバタバタさせた。
すごく苦しそうな目をして、息づかいも荒かった。

たろーの 突然の痙攣?発作?に、
私は、どうしたらいいのか 分からなくて、
何が起こったのかも 分からなくて、

たろーの体が どっかに ぶつからないように
たろーの体を 両手で支えながら、
「たろー、どうしたん…? たろー、たろー」 って、

もしかしたら、たろーは、このまま しんじゃうの…?
そんな…、しなないで…、たろー、たろー、
あぁ…苦しそう…、たろー、たろー、
お願い、痙攣おさまって…、たろー、しなないで、たろー。

1分くらいで、痙攣はおさまったんだろうか…。
おさまってくれて、本当にほっとした。

でも、なんで痙攣?したんだろうか、
この痙攣?は、何を意味するのだろうか。
たろーの病状は、今 どんな状態にあるのだろうか。
私は、気が動転して 不安でたまらなかった。

私は、たろーが 今度いつ 痙攣?発作?を起こすか心配で、
その夜は、ずっと起きてることにした。
たろーが病院に行ってる間に 3時間ほど寝た。



その日から、私は、夜はずっと起きてることにした。
家族が寝てる間は起きてて、たろーを見守っていたかったから。
もちろん、お風呂も入らなかった。 たろーから目を離したくなかった。
寝るのは たいてい、たろーが病院に行ってる間だった。

たろーが 痙攣?発作?を起こしても、私は 何もできないのだけど、
せめて、たろーの体が どっかにぶつからないように 支えていたかったし、
たろーが苦しいとき、たろーの側にいたかった。



25日に、たろーを病院に連れて行ってもらうとき、
「なんで 痙攣?を起こしたのか、お医者に尋ねてちょーだい」
って母親に頼んだのに、母親は尋ねてくれなかった。

この時に限らず、尋ねてほしいと言ったことを、
母親は 半分も尋ねてくれなかった。 そのことを抗議したら、
「お医者は いそがしいのっ。 注射しはるだけやのっ。
あれこれ聞いたら、嫌がらはるわ」
「そんな文句を言うんやったら、連れて行ったらへんっ」

結局、母親は、たろーのことより、
自分が医者にどう思われるか、の方が大切だったのだ。
母親は いつもそうだ。 昔から そうだった。

そもそも、私が外に出れたら、たろーの病状も説明できたし、
お医者に尋ねることもできたのだ…。
一番たろーの側にいてる私が 説明するのが、
一番いいに決まってるのに。

それに 母親の説明は、いつも要領を得ないしなぁ。
母親は、自分の都合に合わせて、事実をねじ曲げて
認識する傾向が、他の人より強いから。
だから 医者の説明も、私に充分伝わってなかったと思う。

でも、母親のおかげで、
たろーは、毎日、病院に行けたんだからなぁ。



今朝の夢に、たろーにゃんこが 出てきてくれた。
たろーにゃんこを 抱っこしてた。
たろーにゃんこと一緒に お風呂に入ってた。
そして いつの間にか、たろーは 幼い頃の弟に変身してた。

深夜.26:37

●2005年02月24日(木)


… まぼろしの欠片 …


たろー週間の間は、毎日、日記を書きたかったのに、
昨日の分は 書けなかった。
昨日の午後から、強迫用事が立て込んでて、
ほとんど 休みなしだったもんなぁ。

昨日の午前中に、途中だった 22日の日記の続きは
書いたから、昨日も書いたことにしとこ…。



あー、それにしても、
昨夜から今朝にかけての 徹夜風呂用事には、
7時間も かかってしまったー。 o;T T)o

昨日の午後から、休みなしに用事があって
大変だったし 疲れてたけど、がんばって、
お風呂の湯船洗いを 夜中の1時半過ぎにスタートさせた。
ほんとは、1時には 始めたかったんだけどね。 o(- -;o

お風呂で手洗いする服は、4枚だった。
昨夜は、念入りに 手洗いすることになったので、
タンクトップは3度洗い、サーモンピンクのブラウスは5度洗い、
ピンクのブラウスは5度洗い、ブーツカットパンツは5度洗い、
…くらいだったかなぁ。 o(- -;o

他のお風呂用事自体は、ちゃっちゃとできたんだけどね。
服の手洗いも、最後のブーツカットパンツで
疲れてきて 苦労した程度なんだけど、
やっぱり、それだけ何回も手洗いしてたら、
時間くうのね。 o(*- -)o

服をドライヤーで乾かし終わって、
2階から台所に降りてきたら、朝の8時半だったー。 o;T T)o
朝の9時頃に寝た。 起きたのは、午後2時20分頃。
寝た時間が遅すぎて しんどかったけど、
我慢して 日常強迫用事をしてた。

不安感も強めだったけど、22日に比べたら ずっと楽だった。
22日は不安感が強くて、ほんとに しんどかったもんなぁ。
でも、以前は ずっと、22日くらいの強さの不安感か、
もっと強い不安感の中に いたんだよなぁ。
よく生きてこれたたよなぁ…って思う。



去年の 2月23日の月曜日も、2月24日の火曜日も、
たろーにゃんこは、動物病院に行った。
毎日、注射に 通わないといけなかったから。

そこは、このへんでは、一番いい動物病院なんだけど、
医者がたくさんいて、行くたびに 医者が変わって、
そのたびに 医者の言うことが変わって 混乱した。

深夜.24:45

●2005年02月22日(火)


… まぼろしの欠片 …


昨夜から今朝みたいな 寒い日に、← 最低気温、氷点下
お風呂で、服を3枚も手洗いしたくなかったよぅ。
湯船を洗うときの冷水が、氷水みたいだったよぅ。 ← お湯が出ない
服を手洗いするときも、寒かったよぅ。

でも 一番寒かったのは、
洗った服を ドライヤーで乾かしてたとき。 ← 暖房ない
3枚だし、1時間は かかったと思うからなぁ…。
足先しぬー。 ← 年中、素足

服を乾かし終わった頃は、体が冷え切ってて、
不安感が強まってて、かなんかった。
不安感が強まると、強迫用事が増えるから、
布団に入るのが遅くなった。

昨夜の1時半過ぎから、お風呂用事を始めて、
全部 終わったのが、今朝の6時半過ぎ。
なんで、5時間もー。 o;T T)o
その後、寒さで増えた強迫用事に1時間も取られた。

やっと布団に入ったら、体が冷え切ってたせいか、
足が冷たいままで、なかなか 寝つけなかった。
やっと寝たと思ったら、今日に限って母親がうるさい音を立てて、
たぶん、3時間も寝ないうちに起こされた。

徹夜風呂明けで、たぶん 朝の9時頃に寝て、
しかも3時間も寝てなかったから、
今日は不安感が強くて、かなんかった。 しんどかったー。
なぜか 風邪をひいてないのが、救いだー。
やっぱり、昨夜、エナキセアのハーブティーを飲んだからかなぁ。



去年の 2月22日の日曜日、
休日だけど、たろーにゃんこは、動物病院に注射に行った。
透析代わりの?注射をするために。
いや…、透析の代わりには なんないだろうな…。

人間だったら透析できるけど、にゃんこはできないから、
腎臓がやれると、希望がうすい…。
透析できても、少しずつ悪くなる一方だもんね。

それでも、私は希望を捨てれなかった。
たろーにゃんこに奇跡が起こって、回復してくれるよう願った。
絶対、たろーをしなせないと思って、ネットで いろいろ調べた。
絶対に たろーを助けたかったから、その想いが、
たろーには、きっと奇跡が起こるっていう思い込みに 変わってしまった。

そう思わずには いられなかったんだと思う。
でも、その思い込みが、私に適切な判断を誤らせた。

土曜日に病院で注射して帰ってきてから、
たろーは少し元気になって、土曜日だったか 日曜日だったか、
2階まで階段を登って 窓に上がり、いつものように
ひなたぼっこをしてた。

PM.11:59

●2005年02月21日(月)


… まぼろしの欠片 …


去年の 2月21日の土曜日、
たろーにゃんこを 動物病院に連れて行ってもらった。
腎不全だった。 にゃんこは、腎臓が弱いのに…、
私は、なんて うかつだったんだろう。

毛づくろいをしてる間は 大丈夫だと思ってた。
たろーは、しんどかったのに 我慢してたんだ…。
小さなサインはあったのに、
それを、もっともっと重要視して、
もっと早く 行動を起こさなかった私は、大馬鹿やろうだ。
何週間も前から、母親に せめて尿検査をしてもらってと頼んでたけど、
それだけじゃ、ダメに決まってるじゃないの!

強迫のせいで 調べるのも大変だったけど、
手段を考えて、にゃんこの病気について 調べるべきだった。
そして、もっともっと早くから、食事に気をつけるべきだった。
たろー、ごめんね。 ごめんね、たろー。
でも、いくら謝ったって、なんの足しにもならない。

私は、たろーに 20年くらい生きてほしかった。
普通は、7〜8年で腎不全になるって言われても、
長生きの方だって言われても、
私は、たろーに もっと生きててほしかった。
もちろん、元気に幸せに。

私の命を、たろーにあげたかった。
どうか、私の命を削って、たろーにあげて…と祈ってた。
祈ってたのに…。 私の命をあげたかったのに…。
でも、そんな虫のいい願いが 叶う訳ない。

PM.11:59

●2005年02月20日(日)


… まぼろしの欠片 …


憧れと嫉妬は、表裏一体らしい。
子どもの頃、私に嫉妬心が ほとんどなかったのは、
諦めの気持ちが強かったっていうことなのかもしれない。
夢や憧れが 全然ない訳じゃなかったから、
自分では、諦めについて、あまり意識してなかったけど。

金欠で苦労してる中、育ててもらってるんだから、
感謝しなくちゃいけない、って思ってた。
それは、私自身の考えだと思ってたけど、
親や祖母の価値観を そのまま取り入れてたことに、
大学くらいのとき、やっと気づいた。

母親の愚痴の聞き役だった私は、
子どもの頃、大人はみんな 諦め主義なんだと思ってた。
中学のとき、友人に 「大人って諦め主義だね」 って話したら、
「ウチの親はそうでもないよ」 っていう答えが返ってきて、
びっくりした。 諦め主義じゃない大人もいてたんだー、って。

他の家族も、自分の家族と あまり変わりないと思ってたけど、
本当は、かなり違うんだって、やっと気づいた。
大人がみんな 諦め主義じゃないと分かって、うれしかった。
希望が持てたから。
大人になっても 人生を諦めなくてもいいんだっていう希望。



今朝の夢。
5人で、バイクで走ってた。
1番前に走り慣れたコ、2番目に初心者のコ、
3番目に走り慣れたコ、4番目に初心者のコ、最後に私、で走ってた。
初心者のコを守るように間に挟んで、始めと最後に 走り慣れたコ。

なぜか、私は 750cc に乗ってたような…。
限定解除は持ってないのに。 o(- -;o
なぜか、団地の中だったし、初心者のコのペースに合わせて、
ゆっくり走ってた。 でも、細かいカーブがたくさんあって、
ゆっくりでもリズミカルに、バイクを 右に左に
倒しながら曲がってく感覚がリアルで、すごく気持ちよかった。

目覚めてから、その夢を反芻してて思った。
私が初心者だった頃、400ccや 750cc の走り慣れた友人達が、
125cc の私のペースに合わせて、私を守るようにして
よく走ってくれてたよなぁ、って。
そして、友人達の思いやりに感謝した…。

おチビの私が、バイクで、そこそこ走れるようになったのは、
友人達が、守りながら育ててくれたおかげ。 (*- -)人



夢の中には、にゃんこも3匹くらい出てきたけど、
たろーにゃんこもいたかどうか覚えてない。

去年の 2月20日、たろーにゃんこは、
お水も飲めないくらい、しんどかった…。

PM.11:13

●2005年02月19日(土)


… まぼろしの欠片 …


さすがに 今日は疲れて、何もする気になれなかった。
でも、なにかにつけ、強迫行為はついてまわるから、
必要最小限の用事しかしなかった。
それでも、たくさん 手を洗ったけどね。 o(- -;o



去年の 2月19日の金曜日の晩、← 2月20日の金曜日でした。 o(- -;o
たろーにゃんこが、お水も飲んでないことに気づいて、
母親だけじゃなく、次の日が休みの妹にも、
翌日、たろーを動物病院に連れて行ってくれるよう、必死で頼んだ。

母親は妹が一緒なら…、と行くのを承知してくれた。
妹が休みじゃなかったら、行ってくれてなかったかも…。

PM.10:16

●2005年02月18日(金)

… まぼろしの欠片 …


昨日から、左のかたが凝ってる。 なんでか 分かんなかったけど、
今日、目が覚めたときに、足の指の間を揉んでたら、
昔ひやして痛かった 左下腹部の具合が悪くて、
その影響で 左かたが凝ってるのが分かった。

これから毎朝、足や手のつぼ、モミモミしよ…。



今日は、新しい服を着る大用事があるから、
昨夜は、お風呂をサボって 早く寝たかったんだけど、
お風呂で服を4枚、手洗いする羽目になってしまった。
おまけに疲れてたからか、終わったら朝の6時半で、
なぜか5時間もかかったー。o;T T)o

今朝の7時半頃に寝て、
宅配便が 朝の10時頃に来たから、一度起きて、
通販で買った服の箱を 安全な場所に移動して、もう一回 寝直した。
フラフラで、大用事なんてできないもん。

徹夜風呂の翌日だから、しんどくて
その後、なかなか 起きれなかった。 起き上がる前に、
手足の指を刺激して、体調をなるべく整えてから起きた。
そしたら2時半になってた。 o(- -;o



徹夜風呂明けは、しんどいけど、
さっさと 新しい服を着た方が安全なので、
夕方の4時前から、通販で買った服を 出して着る用事をした。
45分くらいでできたのかな…? 昼夜逆転で睡眠不足なのに、
無事に着れて よかったー。 うれしい。

でも、ブカブカなのだ…。 o(- -;o
ブーツカットパンツなんだけど、私に合うサイズがなかったの。

破れるまで、一年中履くつもりだから、
大きめでも、冬は上の服を全部、ブーツカットパンツの中に
入れちゃえばいいし、夏はブカブカの方が涼しいから、
まぁいいや…って思ってたら、

セーターとか 上の服を全部入れても、ブカブカだー。
夏になったら、どうなることやら…。 o(- -;o

冬は、ブーツカットの裾を 寄せて細くして、
安全ピンで止め、格好わりぃ冬仕様にする。
夏は、ブーツカットの裾を 膝までまくって、
安全ピンで止め、格好わりぃ夏仕様にする。



去年の 2月18日の木曜日も、← 2月19日の木曜日でした。 o(- -;o
たろーにゃんこが、ごはんも、ごはんの上のトッピングも、
食べてないのに気づいて、二日連続じゃ、いくらなんでもおかしいって、
母親に、たろーを病院に連れて行ってくれるよう頼んだ。

母親は、「人間でも 年いったら食欲なくなるねんから、
たろーも年やし、食欲なるなることもあるわ」 って言って、
なかなか 取り合ってくれない。

たろーは、定期的に尿検査をすることに なってたんだけど、
母親は、お金かかるって嫌がって、いつも頼み込んでも、
なかなか行ってくれず、滅多に尿検査ができなかった。

それで、翌朝、たろーのおしっこを脱脂綿に受けて取れたら、
せめて、尿検査に行ってくれるように頼み込んだ。
私は、たろーの様子が違うのは、結石関係かなと思ってたし。

でも、翌朝、たろーのおしっこを取れなかった。
タイミングよく、おしっこに気づけないとダメなのよね。
たろーがトイレに行ったら、すぐに おしっこを取れるように、
手元に脱脂綿を用意してた。 今でも、その脱脂綿は持ってる。
たろーのトイレも、去年の9月に 玄関から部屋の前の廊下に
持ってきた。 たろーが使ってたトイレの近くにいたくて。

深夜.24:48

●2005年02月17日(木)

… まぼろしの欠片 …


去年の 2月17日の水曜日、← 2月18日の水曜日でした。 o(- -;o
たろーにゃんこが ごはんを食べてないみたいで、
へんだなぁ…って思ってた。 たろーは 尿結石が再発しないように
調合されたごはんを食べてて、それはおいしくないから、
ちょっとだけ、かつお節をトッピングしてあげてたんだけど、
その日は、かつお節のトッピングも食べてなかった。

いくら、たろーが元気そうにしてても、もっと注意するべきだった。
私は 大馬鹿やろうだった。 一番大切なたろーなのに。

去年の今頃、友人に 匿名の中傷メールが来たりして、大変だった。
結構、そっちに気を取られてた。 気を取られてた私自身も 許せないし、
中傷メールを送ってきた奴も、許さない。

その中傷メールが発端となって、その後、何日も、
かなりの時間が、ネットに取られることに なったんだから。
たろーが 一番大変なときに。

PM.9:48

●2005年02月14日(月)


… まぼろしの欠片 …


おとといだったかなぁ…。
Google で、「まぼろしの欠片」 の
テーマごとに抜粋した日記ページの キャッシュを見たのよね。
以前は、抜粋日記は、Google の検索に引っかからなかったのに、
気づいたら 引っかかるようになってたのよね。

そんで〜、抜粋日記のキャッシュの方を見たら〜、
メッチャださ〜、バランス悪ぅ〜、恥ぃ〜。 (/||| ̄▽)/ フニィ〜 !!!
…だったのよね。 あんな 格好わりぃページは、許せんー。

キャッシュじゃなくて、普通にタイトルの方をクリックしたら、
私のPCでは、私が作った通りに 表示されてるんだけどね。
キャッシュの方は、ボックスの幅が、おかしくなってるの。

訳わかんなかったけど、
タグをいじったり、PCで調べたりしてたら、
たとえば、Windows だったら IE5.5以前だと、
ボックスの幅=ボックス枠と文字の間の空白・枠線も含めた幅
IE6.0 だと、
ボックスの幅=ボックス枠と文字の間の空白・枠線は含めない幅
になるみたいなんだけど…、うーん…、わからん…。

テーブルは、よく分かんないから、o(- -;o
ボックスを使うしかないし、どのブラウザでも なるべく
ほどほどのデザインになるように、手直ししなくては〜。 でないと恥だ〜。
((((((((((((((((スタタタタタッ ヘ(* - -)ノ
…って、できんのか?

深夜.25:53

●2005年02月12日(土)


… まぼろしの欠片 …


10日〜11日にかけての晩に、
服を5枚も手洗いして、徹夜風呂になったからか
11日の昼に目が覚めたら、寒気がしてて風邪ひいてた。 o(- -;o
寝る前は、風邪っぽくはなかったんだけど、
やっぱり 体は冷えてたからなぁ…。

今日も、風邪気味で 昼まで寝てた。
今日、明日は、両親が弟のとこに出かけてて、
静かだから、いろいろ用事するには ちょうどいいんだけど、
風邪で しんどくて、今日は やる気になれなかった。 o(- -;o

いっぱい夢みたけど、
夢の中で、たろーにゃんこを抱っこしてたような気がするなぁ。
やっと、夢に出てきてくれて ありがとね。

あと、昔のバイク仲間が家に来て、どこそこに走りに行くって言うから、
「私も行くー。 あぁ…、やっと走りに行ける…」
「もう 走りたくて走りたくて限界だったの」 って答えてたなぁ。

PM.10:21

●2005年02月08日(火)

… まぼろしの欠片 …


強迫が一番ひどかった1ヶ月〜1ヶ月半?の間は、
毎日が 大パニックだった。
強烈な不安と恐怖が、私をパニックに陥れ、パニックがパニックを呼び、
一つのパニックが終わらないうちに、次々に新しいパニックが加わって、
パニック状態の途切れることが、ほとんどなかった。

その一番ひどい時期が過ぎてから、数ヶ月後 の話 ↓



この時期は、不潔恐怖に、確認恐怖、縁起恐怖、血に対する恐怖、
霊的なものに対する恐怖が、絡み合っていた。

ある日、夏期休暇で 実家に帰ってた弟に誘われ、
勇気を出して、近所に散歩に出かけた。

…そして、家から10〜15分くらい離れた道路に、
赤っぽい汚れがついてるのに、気づいてしまった。
その瞬間、自分のスカートに その汚れがついてしまったかもしれない、
っていう不安が湧き上がって、その不安が 私の心の中をうめつくし、
不安で不安で、いてもたってもいられなくなった。

あのシミは、いったい何…?
熟した柿が、道路に落ちた跡のような色だけど…、
柿の季節には早いし…、トマト…?
あぁ…、どうしよう…。
柿やトマトだったらいいんだけど、もし、血の跡だったらどうしよう…。

もしかして、交通事故があった…?
そんな話きいてない。 だけど、もしかしたら 交通事故?
それとも誰かが、ここで殺された…?
そんな話きいてない。 だけど、もしかしたら 人知れずに殺された?
最近、誰も ここで殺されてないっていう確証はない。
あぁ…、どうしよう…。

もし、血の跡だったとしたら、血だったとしたら、
殺された人の恨みが、血に込もってるかもしれないーーーー。
恨みの込もった血に、私の服がすれてしまったかもしれないーーーー。
恨みが乗り移ってきたら、どうしようーーーー。
どうしようーーーーーー。

あのシミの正体は、なに…?
血か、そうでないのか、どっち、どっち…?
血だったら、どうしよう…。 もし、恨みの込もった血だったら…。
どうしようーーーーーー。



自分の服が 道にすれてないかどうか、私は 必死で記憶を辿った。
歩いただけでは、服が道路まで届く訳ないのに、
不安で不安で どうにかなりそうだった。
坂道だったから、もしかしたら 服が道路にすれたかも…って。
坂道でも、道路にすれる訳ないのに。

あまりに不安で、ノートか何かに
自分の記憶を、細かく細かく書き殴った。
書いて記録に残さないと
記憶の中から、服が道路にすれてないと思える貴重な証拠を
やっと見つけたとしても、次の瞬間、
「さっき、私は 本当に大丈夫だと思ったんだろうか…?」
って なっちゃう危険が大きいから。
でも、その件では不安が強すぎて、書いても無駄だった。
全然、不安は鎮まらなかった。

書きながら、血じゃないと思われる状況や特徴や証拠も、
必死で 記憶の中から探した。
もちろん、無駄だった。

今なら、まず血じゃないだろうし、
仮に 血だったとしても、怪我しただけかもしれないし、
まず、恨みが こっちに来ることはないだろうって、
自然に思えるんだけどね。

数ヶ月後?半年後?もっと後? そのノートを読み返したら、
鬼気迫るものが感じられて、自分でも びっくりした。
恐怖と不安の渦が、そのまま写し出されてた。
今、そのノートは、強迫上、取りに行けない場所にあるから、
この日記には、12年前を思い出して書いてるだけ。
あの鬼気迫る感じは、再現できない。



不安になった服を、初めは洗濯するつもりだったけど、
洗濯するまでの間に、今度は、その服が怖くなった。

…私が、もし 不安になった服を わざと触って、
…続きに 他の物をわざと触ったとしたら どうしよう。
…服についている不安が、他の物にも移ってしまう。
…他の物まで、怖くなってしまう。

怖くなってしまった自分の服に、触った覚えがなくても関係ない。
結局、その服は捨てる羽目になった。
その服にすれてた洗濯ネットも捨てた。

服を洗えたとしても、再び、その服を着れる自信はなかった。
だって、不潔恐怖で 気になるような汚れと違って、
霊的なものに対する恐怖なんて、洗い流せないもの。

不潔恐怖でも、ちゃんと洗えたかどうか 不安になるから、
洗い流すのは、とんでもなく苦労するけどね。
でも、私の場合は、不潔恐怖より他の恐怖の方が 厄介だった。



対処に困る恐怖の一つだった 霊的なものに対する恐怖は、
本格強迫になって9ヶ月後、突然、消えてなくなった。
自分で自分のことを、少し認められるようになった時に。

その時のことを書いた日記 ↓
2002/11/01 強迫の一つの症状が 消えた瞬間

PM.10:25

●2005年02月05日(土)


… まぼろしの欠片 …


急に、強迫が ひどくなってきた頃 の話。
13年近く前の その頃は、確認恐怖が混じった不潔恐怖だった。
今は、確認恐怖だけだけどね。

会社が遠くに引っ越してから、
バスと電車を4つ乗り換えて、会社に行ってた。
会社に最寄りの駅から バス乗り場に続く地下道は、いつも汚れてた。
不潔恐怖になる前から、この地下道って汚いなぁ…、
って思いながら通ってた。 でも、なんの差し支えもなかった。

でも、不潔恐怖が ひどくなってくると…、

ある日、その地下道を通ってたとき、
不意に 強い不安が湧いて、どうしようもなくなった。
もしかしたら、ついさっき、
私が、不潔な地下道に わざと財布を落として汚してから、
汚れた自分の財布を 拾ってたらどうしよう…、
っていう強い不安感。

私は、必死で自分の記憶を辿る。 繰り返し、繰り返し。
…財布を落とした覚えはない。
…財布を落とそうと思った覚えもない。
…財布を落としたいと思った覚えもない。
…財布を拾った覚えもない。
…財布を拾おうと思った覚えもない。
…財布を拾いたいと思った覚えもない。
…ここで、財布を鞄から出した覚えはない。
…ここで、財布を鞄から出そうと思った覚えもない。
…ここで、財布を鞄から出したいと思った覚えもない。
…そもそも、ここで、財布を出さなあかん用事なんてなかった。

でも、どうしても、少しも不安は弱まってくれない。
なぜって、自分の記憶が信用できないから。
不安感は、自分の記憶にまでも及ぶから。
私が、わざと財布を落として、落とした財布を拾ったのを、
もしかして忘れてるんだったら どうしよう…って思うから。

習慣になってない行為なら、
普通、ほんの数秒前や数分前の 自分の行為を忘れる訳ない
って、自分に言い聞かせても、ダメ…。 すごく不安。

今までに、記憶が飛んだ覚えが 全くなくても、すごく不安。
私は、お酒を飲んでも、記憶が飛んだことは一度もない。
昔は、今と違って、普通の人並みにお酒を飲んでたからね。

で、結局、泣く泣く、その財布を捨てる羽目になる。
財布を落とした覚えもないのに、不安で不安で 使えない。
そして、不安になった財布を捨てないと、
他の持ち物まで不安になってしまうから、
被害を最小限にするために、財布を捨てるしかなくなる。

仕方なく財布を買いに行く。
でも、一週間もしないうちに 何かの不潔恐怖の不安につかまって、
また捨てる羽目になり、また買いに行き、また不安につかまり…。
いくつ財布を無駄にしたことだろう。

財布だけに限らない。 鞄、靴、服、腕時計、傘…、
通勤中だけでも、他にもいろいろ、愛用品が何回も犠牲になった。



今は、当時よりも不安のレベルが低くなったから、
自分の記憶や感覚を、以前より信用しやすくなって、助かってる。



強迫じゃなかったら、
不安を感じても、さっと確認して大丈夫だと分かれば、
不安を感じさせる脳内物質が、威力をなくす…んだったと思う。
でも 強迫だと、不安を感じさせる脳内物質が そのまま居座るから、
不安が消えない…んだったと思う。

いくら確認しても、強い不安感が消えないと、
なんで まだ不安なんだろう…って、無意識のうちに
残ってる不安が何なのか、突き止めようとするんだろうね。
それって、もともとは 生命の危険回避の本能かな…。

でも、確認できることを全部確認したら、もう疑うものがなくなって、
それでも、不安が鎮まらなかったら、最後は自分を疑うしか
なくなるのよね。 自分の記憶や自分の感覚を。

もう大丈夫なはずなのに、それでも 強い不安感が鎮まらないから、
結局、自分で自分を信じられなくなってしまう。

…だから、やっかいな病気。



本当は、確認をすればするほど、不安が募るから
なるべく確認を少なくしていかないと、ダメなんだけどね。
強烈な不安感が吹き出した初期の頃は、そんなこと到底ムリだった。
どうしても、確認を繰り返さずにはいられなかった。

PM.11:59

●2005年02月02日(水)


… まぼろしの欠片 …


強迫になる前、岐阜の郡上八幡から高山・白川へと続く
道の途中で出会った、地元の人が言ってたのよね。

「夏が暑いと、次の冬が寒くなる。 雪が多くなる」 って。
雪と関わり合いの深い地域の人々の 経験から得られた
言い伝えみたいなもんなのかなぁ。

ここ何年か、気象は すごく変化してるけど、
その言い伝えは、今でも通用してるよね。 気象庁よりも当たる。



昨日の日記の続き ↓

たろーが一番苦しい時に、少しでも さみしくないように、
ずっと たろーについてて 見守っていたかった。
最後の最後まで、たろーにありったけの想いを 注いでいたかった。

たろーに注ぐはずだった想いが、たろーに注げず、想いが残ったまま。
私は、一生、この想いを抱きしめながら、生きてくつもり。
たろーに想いを注ぎながら、生きてくつもり。

あの日、たろーに直接注げなかった想いを、一生かかって注ぐ。
あの日までの10日間、注ぎ足りなかった想いを、一生かかって注ぐ。
たろーと一緒に、未来へと歩いてく。

この一年間、呆然として フラフラした足取りだったけど、
これからは、一歩一歩 踏みしめながら、歩いてく。 たろーも一緒に。
私には、それしかできないし、そうしたいし、
それが唯一の償い。 償いきれないけど。

PM.10:59

●2005年02月01日(火)


… まぼろしの欠片 …


今日は、たろーにゃんこの日。 あの日から、11ヶ月が経つ。
去年の今頃、たろーにゃんこは、もうしんどかったけど、
我慢してたんだろうなぁ…。

あれ? たろー、どうしたんだろう、いつもと違う
って思うことあったもの。 気になってたもの。
もし、私の強迫がマシになってて、たろーを動物病院まで
連れて行けるくらいに なってたとしたら、絶対に連れて行ってた。

私が気になる兆候を何回も、親に言っても、
親は たろーを動物病院には、連れて行ってくれなかったし、
金曜日、たろーの様子が、明らかに違うようになって、
私が必死で頼んでもダメ。

たまたま 次の日が土曜日で、妹が休みだったから、妹にも頼んだ。
妹は、一人で行くのは嫌だけど 母親と一緒ならいいと言って、
母親も、妹と一緒なら行ってもいいと言って、やっと…。
本当は、木曜日から、かなり心配だったのに…。

にゃんこの方が寿命が短いから、いつか別れが来るとわかってた。
でも、その時までに、なんとか出れるようになって、
たろーが 何かのサインを出したら、
早めに 動物病院に連れて行きたいって思ってた。

私の回復が間に合わなくて、たろーに申し訳ない。 悔しい。



以前あった、みぃBBSに書いたことから抜粋 ↓

たろーにゃんこは、捨て子ねこだったから、
一日何回も、自分のしっぽを吸ってた。
お母さんの おっぱいのつもりだったのかな…。
お母さんに、ちゃんと 甘えられてなかったんだよね。
たろーに出会った時、本当に小さかったし。

たろーは、子ねこの時は弟と寝てて、
大人ねこになってからは、ひとりで寝てたんだけど、
まだ しっぽを吸ってた。 クセが治らなかったの。
9〜10年くらいは、しっぽを吸ってたな…。

どうしても 止めてくれなかったんだけど、
私が、夜、たろーと一緒に寝るようになったら、
そのクセがピタッと止んだの。

やっぱり、さみしかったんだな…って思った。
それを思い出すと…、たろーがさみしいなって思いながら
しんじゃったのかも…って悲しくてたまらない。

たろーは、ひとりぼっちで しんじゃったから。
たろーは、10日間ほど 動物病院に通ってたんだけど、
最後に病院に行った日、たぶん、病院から家に着く寸前に。 o(*- -)o



たろーが一番苦しい時に、少しでも さみしくないように、
ずっと たろーについてて 見守っていたかった。
最後の最後まで、たろーにありったけの想いを 注いでいたかった。

PM.11:59


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