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2006年01月の日記
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●2006年01月29日(日)


… 最終更新 - 1/31 PM. 10:25 …


昨夜の夜中、過去の様々なことを思い返してたら、
また、私の中から 強い想いが湧き上がってきたので、
そっちの方を先に書きます。 話が枝分かればかりして ごめんなさい。



愛おしく思えた。 過ぎ去った日々。
それらは、いつかは消える まぼろし。
私も、いつかは消える まぼろし。

私自身も、私にとっての世界=私が認識し、感じ、生きてきた世界も、
いつかは消える まぼろし。



そう思うと、強い感情が湧き上がり、
思わず声に出して、自分に話しかけていた。

「だから、大切にしようよ。 今、大切にしようよ」
「今、大切にしなきゃ、いつ大切にするんだよ」
「いつまでも いないんだよ、私は。 たろーちゃんと同じ」
「たろーにゃんこにも、まだ先があると思ったら、なかったんだよ」
「あとから 大切になんて、できないんだよ」
「だから、今、今、今、大切にしようよ」

「今、大切にしようよ。 私が大切にしようよ」
「私が大切にしなきゃ、誰が大切にするんだよ」
「私が感じてきた世界、生きてきた世界、その中での想いを、
一番知ってるのは、私自身なんだよ」
「私しかいないんだよ」
「だから、私が、今、大切にするんだよ」



心の中でも、続けて自分に話しかけていた。

…私自身、私が感じ生きてきた世界、世界にひとつしかない世界、
…その中での いろいろな経験、想い、
…みんな いつか消える。 だから、今、大切にしようよ。

…先のことなんて 分かんないんだよ。
…私にあるのは、今のこの瞬間と、今の想い、過去の記憶と過去の想い、
…過去から今に繋がる 私の中の唯一の世界。

…未来を手にすることなんて できないんだよ。
…できるのは、未来に向かう今を生きることだけ。

夢は、未来にあるんじゃなくて、今ここに、あるんだよ。
…刻々と過ぎ去る この一瞬一瞬が、未来に続く現実をつくっていくんだよ。
…今を抜きにしては、ないんだよ。

…過去を抜きにしても、ないんだよ。
…過去は大きなヒント、未来に向かう今を助ける みちしるべ。
みちしるべは、過去の中に、
私を創り、同時に 私が創ってきた過去の中にあるんだよ。
…過去から今に至る 私の中にあるんだよ。

そんなことを考えていると、今のこの時間が、
容赦なく絶え間なく過ぎ去る一瞬一瞬が、愛おしく感じられた。
そんな時間の中に 存在している私の世界も、愛おしく感じられた。
私自身のことも、少し愛おしく感じられた。



関連日記です ↓

2003/01/21 過去は、向き合えば味方になる
過去の捉え方について、2000年4月に思ったことを書いた日記です。
過去について、今日の日記と似たようなことを書いています。
でも、単に意識の上で 理解するのと、心の奥から 衝動的なものが
湧き上がってきて 理解するのとでは、こうも違うのかと思います。
2000年の時点では、自分や自分の世界に対して
愛おしさを感じるまでには、到底いけてません。

2003/04/21 捉え方によって、自分も世界も変化
2003/04/22 世界を捉える中心は、自分自身に -1-
人の数だけ世界がある…と気づいた時のことを書いた日記です。
1996年3月のことを書いています。 10年も経ってます。 o(- -;o

PM.11:30

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●2006年01月27日(金)


… まぼろしの欠片 …


今朝、日記の話の続きを考えていて、気がついた。
私の強迫の不安の大元には、自分が女であることの劣等感が
深く大きく 根を張っていることに。


幼い頃から 家で薄々感じていた存在感の否定、さみしさ…、
小学5年の 無視いじめによる否定感の強化、疎外感…、
自分の正体は 嫌な奴に違いないと思い込み、
さらに自分を抑圧し 押し殺していたこと…、
強い自責の念…、

強迫の不安の大元は、それらだけじゃなかった。
それらに、女であることの劣等感が しっかり絡みついていた。
その劣等感は、私の中に 巧みに刷り込まれていたから、
不安の大元に、しっかり居座っていたなんて、思いも寄らなかった。

女だから…、って親から 言われたことはなかった。
その点では恵まれていたと、ずっと思っていた。
でも、実は違っていた。
幼い頃から、封建制の残る家風の中で、
女であることの劣等感を、巧妙に日々 インプットされ続けていた。



そのことに気づくと…、
建て替えて 今はもうない育った家に、
うずまいている劣等感が、たぶん 代々続いてきた劣等感が、
不安と恐怖を生み出し、こっちに押し寄せてきそうで こわかった。

そんなこわさを感じるなんて…、もしかしたら、
強迫の不安の本体は、その劣等感の方なのかもしれない。
他の要因と絡まり合って一体化してるけど。

続く。

PM.11:12

●2006年01月25日(水)


… 最終更新 - 1/26 PM. 11:22 …


1月24日の日記の続き。 働いてた頃の話。

人との距離の取り方が イマイチ分かってなかった私に、
彼は、それを教えてくれた。 私は、他人の家の冷蔵庫を
勝手に開けるなんて できなかった。 どんなに親しい相手でも。
でも、彼の家の冷蔵庫は 勝手に開けれるようになった。
うれしかった。

私は、誰かといるとき、沈黙がこわかった。
何か話してないと、落ち着かなかった。 どんなに親しい相手でも。
でも、彼とは話題がなくなっても、気まずさを感じずに 一緒にいれた。
うれしかった。

彼は相手が喜ばないと、自分が不安になるタイプだった。
私も強迫になってから、それが強く出てるし、
昔も 自分では気づかなくても、そうだったんだと思う。
まぁ、誰でも多かれ少なかれ、そうなんだけど、
彼も 人一倍その傾向が強かったと思う。

だから、一生懸命、私を喜ばそうとしてくれた。
こんなにも してくれるなんて…って思って、
私の気持ちは、彼に より傾いていった。
そこまでしてくれなくても…って思うことも よくあったけど。 o(- -;o

バイクバイクの私に、ほとんど毎週 つき合ってくれた。
バイク初心者だった私に、バイクを教えてくれた。
彼は、車やバイクが好きで 詳しかった。
いろんなところに行った。
それまで狭かった私の行動範囲と世界を 拡げてくれた。



彼とは、深い話ができないのが 物足りなかった。
また、甘えるふりはできても、心の底から甘えられてないと感じてた。

でも、彼は面倒見が良く、いろいろよくしてくれたから、
そういう面では、甘え、頼らせてもらっていた。
本当は、そういう甘え方や頼り方は、あまりしたくなかったんだけど、
彼は、そういうふうに甘えられたり、頼られたりするのを望み、
私も、つい…。 o(- -;o

心の面で本当に、甘え合ったり、信頼し合ったり、許し合えたりが
足りてなかったから、お互いに、それを補いたくて、
他の面で、甘えたり頼ったりして、心を満たそうとしていたんだと思う。

本当は、そういうのでは満たされないのに…。
代わりには ならないのに…。



でも、子どもの頃や中高生の頃、
あんなに自信がなく、自分を抑えつけてた私が、
彼や 仕事や 仕事仲間や バイクや バイク仲間を通じて、
あそこまで 自分を出せるようになっただけでも、
すごいことだったんだと思う。 そのことを 認めてあげたいと思う。

日々の慌ただしさの中で、自分と ちゃんと向き合うことを
先延ばしにしてたのも本当だけど、それなりに頑張ってたのも本当。
限界ギリギリまで 頑張ってはいなかったけど、
楽しみながら、できる無理の範囲内で頑張ってたっていう感じ。

でも、私の心の奥は、自分と真に向き合って、
心が本当に解放されることを望んでたから、その後、
強迫っていう逃げられない試練が やってきたんだと思う。



彼と過ごした日々は 楽しかった。
長い間、一緒にいたし、彼と過ごした一瞬一瞬が、
私の心をつくっていってたなぁ、その部分は大きかったなぁ、って思う。

働くようになって、昔よりずっと 自分を出せるようになってたし、
自分を出せてると錯覚してたけど、まだまだ自信が弱かった私に、
彼は自信をプラスしてくれた。

PM.10:50

●2006年01月24日(火)


… 最終更新 - 1/25 PM. 10:14 …


1月22日の日記の続き。

自分自身を裏切ってしまったから、
子どもの頃からの決心を 破ってしまったから、
強迫が、急に一気に とんでもなく ひどくなってしまった。

あの決心に 変わりはなかったのに。
迷ったけど、やっぱり 変わりはなかったのに。
なのに、本心に反することを選んだから。



バイトしてる時に初めて、「あぁ…、私は ここに居てもいいんだ…」
って思えた私にとって、働くことは、自分を肯定することに繋がっていた。

家や学校では、自分が望まれてるとか感じたことなかったし、
みんなにとって、私は きっと 居ても居なくても同じ存在なんだ
って思って、さみしかったし、不安だった。

でも、バイトは違った。 特にスーパーでのバイトは。
もちろん、私でなくてもできる仕事だった。
でも バイトにいけば、その時その場で、それなりに
自分が 何かの役に立ててるのが感じられて、
うれしくてたまらなかった。 働くのが 楽しくてたまらなかった。

だから、一生働き続けることが 私の理想だった。
人や社会に役立つ仕事をするのが 願いだった。
結婚というハンデを持たずに、男の人と対等に働き続けたかった。
子どもの頃からの 「結婚したら女は不幸になる」
っていう感覚もしっかり残ってたし。

就職の時も、大手企業じゃなく、
女でも広範囲の仕事ができそうな中小企業を選んだ。



当時、長い間つき合ってた彼は、結婚願望が強かった。

彼から 「つき合いたい」 と言われた時、
軽い気持ちや遊びじゃなく、結婚を前提とするくらいの気持ちで
つき合いたい…っていうような意味のことを言われた。

まだ 出会ったばかりなのに、「つき合いたい」 だったから、
私は、相手が真剣な気持ちなんだという意味に受け取った。
先のことなんて分かんないだし。
その時は、彼の結婚願望が強いことなんて知らなかったし。

でも 相手の心の中には、結婚という文字もあることが
分かっていたのに…、私は 彼とつき合うことを選んだ。

PM.11:23

●2006年01月23日(月)


… まぼろしの欠片 …


ポリエステル100%のストレッチパンツから、
綿が50%ほど混じったストレッチパンツに変えてから、
お風呂での用事に取られる時間が すごく多くなってしまっていた。
冬だから、よけいに時間かかってた。

12月頃なんて、5時間が普通で、
4時間だったら、おぉ…、速い…、うれしい…で、
6時間かかることも、少なくなかった。 o;T T)o

1月になってから、2時間半にまで時間短縮できるようになってた。
でも、どんなに速くても、2時間20分はかかってた。
そんなだったのに、昨夜のお風呂時間は、
すごい最速記録で、1時間50分だったー。 o(*^∇^)o
その後、ドライヤーで服を乾かすのに、また時間かかるんだけど。

湯船を洗うとこから始まって、湯船に水を入れて、
お風呂のガスを点け、お湯が沸くのを待ちながら、
服を脱いでたたんで、自分の体を洗って〜、
まだ ぬるいお風呂が温まってくるまで、お湯の中で一息ついて〜、
それから 服の手洗いをして、お風呂から出るまで、
全部で 1時間50分だったー。

あれ以上速くは無理だな…。 お湯が沸かないし。
それに、湯船を洗うのも 一度も失敗しなかったし、
服の手洗いも 一度も失敗しなかったからこそ、
あんなに速くできたんだもんね。
そんなことって 本当に滅多にないから、すごくうれしい。

すごくうれしいし、すごくありがたい。 ありがとうございます。



起きてからは、なんか気力わかなくて、
気の張る用事は 延ばしちゃった。 o(- -;o

でも、初めて あずきを炊いて あんこを作った。
よく そんなエネルギー残ってるなぁ…って、自分でも驚いてた。
こんな日って珍しい。

この頃、無性に あんこが食べたくなるのよね。
強迫になる前は、あんこは大好きだったんだけど、
強迫になる少し前くらいから、なぜか食べたくなくなった。
おいしいと感じなくなってた。

強迫になってからは、あんこよりも チョコだった。
今は、チョコよりも あんこかなぁ。

また、あんこをおいしいと感じ始めたっていうことは、
強迫になる前の体調に 少しずつでも戻りつつあるのかな…。
ぜんぜん関係なかったりして。 o(- -;o



あんこを作り終わってからは、
また、さみしさとむなしさを強く感じてた。
ひたすら強迫用事を続ける日常が、さみしくて むなしかった。

PM.11:07

●2006年01月22日(日)


… まぼろしの欠片 …


昨日の日記の続き。

私の無意識は、強迫という形で、
私を 追い詰められた状況から、緊急避難的に救い出しただけでなく、


私が追い詰められる状況に至った原因、

すなわち、それまでの全ての経験、
育った環境、その中でつくられた自分、そんな自分の言動、
自分が選んだ選択肢、その結果、次の選択、次の結果…、

現実が日々 心をつくり、心が日々 現実をつくっていく…、
それらの現実、過去から至る現実に
私を向き合わざるを得なくした。

そして、問題の大元と 向き合わざるを得なくした。
私が棚上げにしてきた問題と。

症状によって、私を家に閉じこめることにより、
家族から逃げられなくし、家族とも 向き合わざるを得なくした。
自分と 向き合わざるを得なくしただけでなく。

私の無意識は、私を 強迫という限界状況に追い込むことによって、
一時的にではなく、根本的に、私の心を救おうとしてくれてるんだよね。




私が強迫になるに至った人生には、
決して無駄なものはなく、否定すべきものもないと思えた。
辛いことも、失敗も、未熟な言動も多かったけど。

「肯定でも否定でもなく、ただあるがままを認める」 っていう
知人の言葉を思い出した。 強迫になってから教えてもらって、
ずっと心に残っていた言葉を。

PM.11:01

●2006年01月21日(土)


… まぼろしの欠片 …


私は、自分自身を裏切ったから、
軽かった強迫傾向が 急激にひどくなって、
ごく当たり前の日常生活さえ 困難になるほどの強迫になり、
それまでいた世界から、あっという間に切り離されてしまった。

自分自身を裏切った結果、
辛い状況に追い込まれ、心身ともに限界近かったのに、
私の意識は、その場所で まだ頑張ろうとしたから、
無意識の方が、強迫という形で、私をその状況から引き離したんだと思う。

ひどい強迫になることによって、
私の無意識は、私を あの状況から救い出したのだ…。

意識が あのまま頑張ってたら、私は どうなっていたか分からない。
破滅の方向に向かっていたのは、意識も うすうす感じてたし。

私の無意識が、強迫という形で、
意識ができなかったことを 代わりにやったんだっていうのは、
ずっと前から感じてた。 強迫が 少し落ち着いた頃からかな。

でも 今日、強迫が急にひどくなった直接の
キッカケを友人に話してて、はっきりと感じた。
強迫になることによって、私は 私を救い出したんだと。

はっきり そう思えたのは、友人のおかげ。 ありがとうです。



そして、そのあと
「私は 私を救い出したんだよ。 だから、私を信頼していいんだよ」
「私は 私を救ってくれたんだよ。 だから、私を信頼していいんだよ」

って、自分に 何回も言い聞かせてた。 不安な気持ちを なだめるように。

深夜.24:17

●2006年01月19日(木)

.
… 最終更新 - 1/20 PM. 11:17 …


私は、しょっちゅう、たろーにゃんこに 「よしよしぃ」 ってしてたから、
自分に 「ありがとう」 って言いやすいんだと思う。
たろーに ありったけの想いを注いでいたように、
自分自身に 思いやりの気持ちを向ければいいんだもの。
たろーにゃんこのおかげだよ。 たろーちゃん、ありがとうね。

以前は、自分自身に優しい気持ちを向けることなんて、
できなかったんだけどね。 それがどういう感覚なのか 想像もつかなかった。

バッチフラワーの 「パイン」と 「スターオブベツレヘム」 を
組み合わせて飲んだのがキッカケで…、たぶん 生まれて初めてだよ、
自分から自分へ 優しい気持ちが流れてくるのが感じられたの。
あぁ、こういう感覚なんだ…って、涙が出てきた。
あれは、2005年5月11日だったなぁ。

それ以後、私の中で 少しずつ何かが変わってきてたけど、
あのとき感じた 自分から自分への優しい気持ちを、
あのときほど強く、感じることはなかった。

でも、 自分で自分に 声を出して 「ありがとう」 って
何回も言うようになって、また 自分に優しい気持ちを
向けられるようになった。 あのときとは ちょっと違うけど。



自分で自分に 「寒いのに ありがとうね」 「疲れてるのに ありがとうね」
「頑張ってくれて ありがとうね」 とか、“たろーへの よしよし調”で
言ってたら、親に 「ありがとう」 って言う時も、
似た感じで言ってしまうこともある。

そんな時の親の反応を見てると、
親も、やっぱり愛情に飢えてるんだなぁって、改めて思う。
以前から、きっと そうだとは思ってたけど。
親も満たされない心のままで、ずっと やってきたから、
「ありがとう」 で、あんなに態度が軟化するんだろう。

そういえば、子どもの頃から、
「ありがとう」 をあまり聞かない家だったよなぁ。
もちろん、子どもから親への 「ありがとう」 は、しつけられてたけど、
親から子どもへの 「ありがとう」 は、覚えてないんだよなぁ。
親同士や、親と祖母との間の、「ありがとう」 も聞こえてこなかったなぁ。

母親は、元農家の封建制の残る家風の中で、軽んじられてたから、
全ての他人のせいにすることによって、自分を守ってきたし、

父親は、ほとんど四六時中、自分を自慢してた。
母親のことを愚かだと言っては、自分を自慢し、
昔は 自然が豊かだったと言っては、自分を自慢し、
おじいさんの代は裕福だったと言っては、自分を自慢し…、

父親自身の自慢にならないことまで、自慢に結びつけていた。
それは、強い劣等感の裏返しなんだけど、
本人は、未だに気づいてないような…。



母親や父親の そんな心の痛みを
少しでも 和らげたいと思うようになった。
心の面でも 「守りたい」 って思うようになった。

早く強迫を治して、親を苦労から 「守りたい」 けど、
心を 少しでも守ることは、今からでもできる。

それにしても、私のこの変わりよう…。
この間まで、あんなに 親を嫌悪してたのにね。
一時は、すごく憎んでたし。 抑圧してた憎しみが吹き出した時ね。
あの憎しみも 必要な過程だったとは思うけど、しんどかったなぁ。

今だって、親の性格というか、生きる姿勢は好きじゃないのに。
なのに、なぜか愛おしさを感じ始めてるし、
「守りたい」 って思い始めてる…。


以前の私の、親に対する感情は、たとえばこんな感じ。 o(- -;o
お恥ずかしながら、関連日記…2004/01/16
リンク貼れてなくて、ごめんなさい。
抑圧してた憎しみが吹き出した当時の話は、トップからリンクしてます。

深夜.24:11

●2006年01月17日(火)

.
… 最終更新 - 1/22 AM. 0:08 …


自分自身と家族に対して、「ありがとう」 を
たくさんたくさん言うようになって、しばらくした頃から、
私の中で、親に対する感情が 少しずつ変化してきてるのに気づいてた。

昨日なんて、「家族を守りたい」 っていう気持ちが湧いてきた。
私が、素直にそう思えるようになるなんて、思ってもみなかった。

一生、思えないと思ってた。

これまで、「家族に迷惑をかけて 申し訳ない」
「私の強迫の症状が、家族の生活を乱して 申し訳ない」
「収入もないのに、親も金欠なのに生活させてもらって ありがたい」
「早く 少しでも治って、家族に苦労をかけないようにしたい」
とは思っていた。

でも、昨日から感じてる感情は、それらと似ているようで、少し違う。
素直に 「家族を守りたい」 っていう気持ちが入ってくると、
それらの感情も 同じようでも やっぱり違うの。

これまでは、義務感や責任感みたいなのが 強かったのかなぁ。
愛情から、「申し訳ない」 や「ありがたい」 がきてたんじゃなくて。
たぶん 愛情もあったと思うけど、その他の感情の方が強かったと思う。
私の中で、愛憎が混在してたから。

長い間、そういう感情を変えられなかったのに、
愛憎の混在を なんとかしてくても、どうしてもできなかったのに、
昨日あたりから、「家族を守りたい」 っていう感情を
素直に意識するようになった。

親にも たくさん嫌な部分があるのに、
なぜか少しずつ、親に対して愛おしさを感じ始めている。

親に罵倒されることが 少なくなったことも関係してると思う。
「ありがとう」 連発のおかげで、親の態度も軟化してきてる。

でも、それにしても、こんなに 私の心が変化するなんて…。
しかも急に、こんなに 早いスピードで 変化するなんて…。
少しずつ愛おしさを感じ始めたのは、1月に入ってからだもの。



子どもの頃から、家族という集団を憎んできた。
当時は、その感情を はっきりとは意識してなかったけど、
私の子どもの頃からの 一番強い決心は、
絶対に 結婚なんてするもんか、家族なんて持つもんか、だった。
結婚すると不幸になると信じてた。

私にとって、家族という集団は、
私を抑圧するもの、そのままの私を否定するものだったから。

でも その憎しみの裏には、求めても得られない愛情が
潜んでいることに、強迫になってから気づいた。
愛情が欲しいのに、認めてほしいのに、受け入れてほしいのに、
得られないから、つっぱねられるから、拒否されるから…、
だから、憎んでしまうことに。



バイトして 自分で稼げるようになってからは、
親の顔色をうかがわなくても 生きていけたから、
家族のことは、特に好きでもなく、特に嫌いでもない、…だったかなぁ。

でも、結婚しないっていう決意に 変わりはなかったし、
家族という集団を拒否する気持ちも、なくなってなかった。
ただ、この時期、家族関係の心理に関する本をよく読んでたなぁ。

フルタイムで働くようになってからは、
家族を 経済的に少しでも支えたいと思い、多少はできてたと思う。
でも それは、「守りたい」 ではなく、
経済的に苦しい中で育ててもらったし、当時もまだ 金欠家庭だったから、
当然の務めを果たしたい、親の苦労を少しでも軽くしたい、だった。

そして、結婚なんてするもんか、家族なんて持つもんか、
っていう決意に、やっぱり変わりはなかった。



子どもの頃からの軽い強迫が、急にひどくなって、
働くことはおろか、ごく当たり前の生活もできなくなると、
強迫のことを理解できない家族からは、頻繁に罵倒されるようになった。

そして、強迫の症状が、私を家の中に閉じこめ、
働いてた頃のように、家族という集団から逃げられなくなって、
子どもの頃から抑圧してきた家族への憎しみを、やっとはっきり自覚した。
いったん自覚すると、その憎しみが一気に吹き出して、
心が身動き取れず、しんどかったなぁ。

そして、『エヴァ』 を観てからかなぁ…。
憎んでたけど、一方で 愛情を求めてたことに気づいた。
愛情が欲しいのに 得られなくて、だから 憎んで、
でも 求めてしまって…、っていう呪縛に。

愛情に飢えてるのに 得られないから、憎んで、
憎んでるのに、本当は愛情が欲しいから、離れられなくて…、
親を憎んでる間は 親から離れらない、って気づいるのに、
その愛憎を どうしようもできなくて…、
っていう時期が長く続いた。



親を憎んでる間は、自分自身についても 本当には好きになれないのにね。
自分の中に 親と似た部分を感じるたびに、自己嫌悪におちいるから。
でも、それが分かっていても、心は自由になれなかった。

親から 心が自由になれない間は、
一方で憎み、一方で愛情を求めてやまぬ呪縛から 自由になれない間は、
本当の意味での自立なんて できないのにね。


そんな私が、素直に 「守りたい」 って思えるようになるなんて…。
親への愛情を 素直に認められるようになるなんて…。
以前は、自分の中に隠れてた 親への愛情に気づいても、
それを認めざるを得なくても、そんな素直な気持ちには
到底なれなかったのに…。

ありがとうございます。

PM.11:59

●2006年01月16日(月)


… まぼろしの欠片 …


1月14日の日記の続き。

たろーちゃん、ありがとうね。 ありがとうね。 ありがとうね。
言い尽くせないよ…。 ありがとうね。 ありがとうね。

たろーちゃん、ごめんね。 守りきれなくて ごめんね。
言い足りないよ…。 ごめんね。 ごめんね。

たろーにゃんこが苦しかったとき、
たろーの心を もっともっと 安心させてあげたかった。
たろーの心を 苦しみから 少しでも守ってあげたかった。

そうできなかったことは、受け入れられない。
今の私や 過去の私、育った環境や その後の環境、家族、
ひどい強迫になったこと、10年以上も強迫に取られてしまったこと…、
それらは、私の中で 受け入れられつつあるけど、

たろーを守りきれなかったことは、やっぱり受け入れられない。
受け入れられない自分を、認めてあげるしかないんだろうなぁ。
受け入れられない気持ちを、認めてあげたいと思ってる…。

PM.10:43

●2006年01月14日(土)

.
… 最終更新 - 1/20 PM. 11:36 …


たろーにゃんこが生きてた頃から、
私は、「強迫には 成るべくして成った」 って思ってた。
私の心が 救われるためには、解放されるためには、
必要な試練だと思ってきた。

強迫になったことを、ある程度は肯定的に捉えることができた。
それは、たろーにゃんこが居てくれたからだと思う。
たろーのおかげで、そう思えるだけのエネルギーを持てたんだと思う。
もちろん、先輩のおかげも大きいけど。

だって…、

たろーにゃんこが居てくれたから、
圧倒的に苦しい時間が多くても、
ささやかな喜びに対しては、笑えたんだもの。
たろーのおかげで、休みなしの強迫から、一瞬、離れて笑えたんだもの。
その一瞬があったから、やってこれたんだもの。

たろーにゃんこが居てくれたから、
暗闇の中でも、微かにきらめく光、幸福なひとときを見つけ出せて、
貴重な幸福を より味わうことができたんだもの。



たろーにゃんこが しんでしまってから、
私の心が、当たり前の中に隠れてる幸せを感じ取る心が、
麻痺してしまって、2年近く経っても まだ少し麻痺してるけど…、

たろーにゃんこは、しぬことによって、
とてもとても悲しいけど、そのことによって、
たろーが教えてくれたことの大切さ、かけがえのなさ、
たろーと過ごした日々の愛おしさ、かけがえのなさ、
たろーという存在の愛おしさ、かけがえのなさを

たろーが生きてた頃以上に、ずっとずっと強く、ずっとずっと深く、
心の奥の奥まで、私に痛感させてくれた。

そして、感じ続けさせてくれた結果…、

たろーは、私に、自分の人生を 以前より受け入れられるようにしてくれた。
たろーが生きてた頃よりも、受け入れられるようにしてくれた。
以前は、受け入れてたつもりでも、中途半端だったと思う。

今の私を、受け入れられるようにしてくれただけでなく、
過去の私も、受け入れられるようにしてくれた。
もちろん、まだ 甘さは残ってる。

強迫の原因となるような環境で育ったことも…、
本当の自分を押し殺してた学生時代も…、

満たされない心に ちゃんと向き合えないまま、
それでも、心のどこがで肯定感がほしくて あがいていたことも…、
自己嫌悪も、自意識過剰で未熟な言動も…、
自分を裏切ってしまったことも…、
恥ずかしい失敗も、さみしさも…、

「自分で自分が信じられない」 っていう症状に
一日中、振り回されてきた日々も…、
最低限の日常生活も ままならない辛さも…、

それら全てが、たろーとのことに繋がってると思うと、
それらの経験を振り返ったときに、
あくまで 振り返ったら…なんだけど、
「うんうん。 うんうん」 って言う気持ちになれる。
だって、たろーにゃんこは、それらの辛い経験や感情を
遙かに越えて 余りあるんだもの。

たろー自身の存在の大きさを思うと、
たろーが 与えてくれたモノの大きさを思うと、
以前よりも、自分の人生にイエスと言える。
あまりにも大きなモノをくれたから。 (*- -)人



2004年9月に見た夢の中で、
小さな男の子の姿をした たろーにゃんこが、
「ぼくには、もう あまり時間がない」
「ぼくの なんとかの意味と…、ぼくがしぬことの意味を考えてる」
って言ってた。 生きることだけじゃなく、しぬことにも意味があると。

本当にそうだった。
たろーは生きてるときに、私に大きなモノを くれただけでなく、
たろーはしんでからも、私に大きなモノを くれ続けている。

そう思うと、感情が溢れて 泣き出してしまった。
たろーの名を呼びながら、しばらく 泣きやめなかった。
そして泣きながら、よりしっかりと、私の中にたろーにゃんこを感じた。

たろー、ありがとうね。 ありがとうね。 ありがとうね。
言い尽くせないよ…。 ありがとうね。 ありがとうね。

深夜.24:04

●2006年01月13日(金)

.
… 最終更新 - 1/22 PM. 11:07 …


昨日、はっきりと気づいた。

私は、ずっと ひとりが怖かったんだったと。
私が恐れているのは、ひとりになることなんだと。
強迫の不安も、きっと そこからきてるんだと。

存在感の否定を うすうす感じながら育ったことに、
小学5年の無視いじめの経験が プラスされてから、
私は、ずっと ひとりになるのが怖かった。

私は、私が悪いから、私の正体が きっと嫌な奴だから、
親や友達が、私を冷たくあしらったり、無視したりしたんだと、
ずっとずっと信じ切っていた。 大人になっても信じ切っていた。

強迫になって数年後に やっと、そうじゃないんだと気づいた。
それまで、私が ほぼ全面的に悪いんだと、確信していた。
その確信が あまりに強かったから、違うと気づけても、
なかなか 実感には至らなかった。

学生時代は、本当の自分を押し殺し、徹底的に否定していた。
本当の自分は嫌な奴だと確信してたから、
自分を出してはいけないと思ってた。

大人になって、一見、自己否定の強さは弱まったけど、
相手の不機嫌や不満そうな様子は、私のせいなんじゃないかと、
たぶんいつも、心のどこかで怯えていた。
もちろん、私が原因の時もあったけど、
そうじゃないと分かってる時でも、どこかで怯えてた。



人は みんな、ひとりなんだけど、
私の場合、自分で自分を肯定できず、
周囲の不満そうな言動や空気は、私のせいだと思い込み、
その不快感を 何年経っても 何度も反芻して、

私までもが 私の心の中の みんなと一緒になって、
自分を責め、認めず、許さず、受け入れなかったから、
私までもが 私の味方じゃなかったから、
本当の ひとりぼっちだったのだ…。


私は、本当は 自分自身に一番、気持ちを分かって欲しかったのに。
自分自身に一番、自分を認め、許し、受け入れ、
信頼してほしかったのに。

私自身が 私という存在を認め、許し、受け入れ、
信頼できるようになったら、そしたら、
私は、もう ひとりじゃなくなるんだ…。


ひとりだけど、ひとりじゃなくなるんだ…。
自己肯定感を得るということは、ひとりじゃなくなるということなんだ…。

PM.11:14

●2006年01月12日(木)


… 最終更新 - 1/13 PM.10:32 …


私は、たろーにゃんこ出会えて、幸せ。
たろーと10年間、ずっと一緒に過ごせて、幸せ。
たろーに出会わない人生なんて、考えられない。

私は 強迫になってしまったけど、
その代わりに、たろーと至福の時を過ごせて、
たろーから、自分を認め、許し、信頼することを教わって、
たろーと 愛情と信頼のやりとりができて、幸せ。

親から教わらなかった大切な感覚を、たろーは教えてくれた。
親から教わらなくて、そういう感覚に飢えてたからこそ、
たろーからもらった その感覚が、心に浸みて浸みて…、

心に浸みて浸みて…、だから、幸せ。
そういう感覚を当たり前として育った人よりも、幸せなのかもしれない。
認められ、許され、信頼される感覚に飢えてたからこそ、

本当の愛情に飢えてたからこそ、

私は、そういう感覚が得られる幸せを、人一倍感じることができて、
たろーと一緒の時間が より至福に満ちて、うれしくてうれしくて、

たろーを より愛おしく、よりかけがえなく感じ、
たろーと より深い愛情のやり取りができたから。

もし、強迫になってなかったら、
たろーと、こんなに ずっと一緒には過ごせてないし、
そういう感覚も 得られないままだったかもしれない。

強迫を治したい一心で、自分を見つめ直すこともなく、
満たされない心に うすうす気づきながも、
どうしたらいいのか 深く考えることを 後回しにし続けて、
満たされない心から目をそらして、誤魔化しながら、生活してただろう。

強迫にならない代わりに、満たされない心のまま生きる人生と…、
強迫ですごく苦しくても、たろーと長く一緒に過ごせて、
認め、許しに近づける人生と…、

どっちが良かったかと聞かれれば、
私は、たとえ強迫になっても、たろーのいる人生の方が良い。
自分を認め、許し、受け入れられるようになる人生の方が良い。

私の子どもの頃からの願いは、
自分を認め、許し、受け入れ、好きになれることだったんだもの。
強迫がひどくなる前も、本当は 心のどこかで
それを求めてたんだもの。

よく、そういうことを考えるんだけど、
昨日も、そんなことを考えてた。



昨夜、友人達からの温かいメッセージに返事を書いた後、
薄いヴェールが一枚、はがれたような感じがした。
症状の厚いヴェールの一枚が。
私の中で 何かが違う。 違ってきてる。

この頃、やたら さみしいから、友人達のメッセージが、
いつも以上に心に浸みて ありがたかった。

その後、うたた寝してしまって、夢を見たんだけど、
夢の中では、私の家じゃない家が、私の家ということになってた。
夢では、そういうことがよくある。 その夢の中の家も、
夢の中では、どこかお馴染みだったりもする。

その家の中の電気が暗かった。
私が もっと電気を明るくしたいと言ったら、
母親か誰か女の人が 「いいよ」 って言ってくれた。
私は、自分の言ったことが受け入れられて、うれしかった。
私自身が承認されたようで、うれしかった。

子どもの頃、自分が 親から承認・許容されるっていう感覚を
あまり感じずに育ったから、うれしかったのよね。

夢の中の登場人物は、基本的に 全部自分だっていうから、
私の中の母親的存在の部分が、私自身を承認し許容して
くれたような気がして、うれしかった。


夢は、無意識からのメッセージだから、
心の上っ面の意識だけじゃなく、心の奥も変化してきて
くれてるのかなぁ。 o( ^ - ^ )o

深夜.24:02

●2006年01月10日(火)


… まぼろしの欠片 …


頻尿が ぶり返してきたなぁ…って思ってたら、一気にひどくなった。
強迫の症状の関係で、すぐにトイレに行けないことも多いから、
どうしても、水分を摂るのを減らしてしまう。
減らしても、すぐトイレに行きたくなるけど、
減らさなかったら、大変なことになってしまう〜。

「喉が すごく乾いた」 と 「トイレに行きたくてたまらない」 を
同時に感じたりする。

とにかく 少しでも長く寝たかったから、寝る前も 水分を控えた。
そしたら、6時間は寝れたけど、起きたときしんどかった。
水を飲んだら マシになってくれた。

それにしても、消化器系統、弱ってるなぁ…。
体調不良に応じて、うつと強迫の症状も強くなってる。



昨日、せめて 楽しい夢が見たいなぁ、うれしい夢が見たいなぁ、
って思ってたら、今日の夢に たろーにゃんこが出てきてくれた。
たろーちゃん、ありがとう。 o;T T)o

今日の夢の話。
夢の中で、たろーにゃんこを動物病院に迎えに行かなきゃって
思ってたら、近所の人が たろーにゃんこを連れて帰ってきてくれた。

にゃんこの方が寿命が短いから、かけがえのない たろーだから、
可愛がれるときに、いっぱいいっぱい よしよししようって思って、
たろーにゃんこを抱っこして、可愛がってた。
たろーは、甘えるような仕草をして 気持ち良さそうにしてた。

原っぱで寝ころんで、人目を気にせず、
たろーにゃんこを可愛がってた。

夢の中のたろーにゃんこは、実際のたろーにゃんこより大きかった。
心の中で、たろーの占める位置が大きいからかなぁ。

それから、夢の中で、
たろーの具合が悪くなったら、どうしたらいいんだろう、
こっちが良いのか、あっちが良いのか、どっちだろう、
って 嘆いてもいた。

PM.11:34

●2006年01月09日(月)


… まぼろしの欠片 …


12/31〜1/2まで、家族がみんな出かけてて、
生活のリズムを変えるのに、ちょうどよかったから、
この期間から、仮眠をやめるようにした。

仮眠時の防寒対策に 30分〜1時間も取られるし、
そんなにかかって 防寒対策しても、布団なしだと、
やっぱり寒くて 寝た気がしない。

そんなことに時間とられてたら、
布団で寝れる時間が 少なくなっちゃうし。

布団で 1時間寝るために、6〜7時間かかって
お風呂に入る用意をして、お風呂で服の手洗いをして、
お風呂からあがったら、服をドライヤーで乾かして〜、
っていう日もあった。 o;T T)o



で、やっと、6時間くらい 布団で寝れるようになったと思ったら、
数日前から、頻尿が ひどくなって、
3時間で目が覚めてしまうし、眠りも浅くなってしまった。

トイレに行くと、再び布団に入るのに、
強迫で 20分くらいかっちゃうんだけど、
その間、不安感も強いし、すごく神経使うのよね。



それで、今日も 不安感が強かったから、
「****ちゃん」 「****ちゃん」 「****ちゃん」 って
自分の名前を、繰り返し繰り返し 呼んでみた。
いたわるように優しく 繰り返し繰り返し。

そういえば、たろーにゃんこにも、
よく 「たろーちゃん」 「たろーちゃん」 って繰り返し
呼びかけてたなぁ。 よしよしをしながら。

…たろーが居てくれて うれしいよ。
…たろーが居てくれて 幸せだよ。
…たろーのことが 大好きだよ。
そういう気持ちを込めて、「たろーちゃん」 って呼んでたなぁ。

自分を愛おしむように 自分に呼びかけてたら、
たろーに愛情を込めて呼んでた時の 気持ちを思い出したから、
なるべく、たろーに注いでた時の気持ちに近づけて、
「****ちゃん」 って、何回も繰り返してた。

そしたら、気づいたら 少し落ち着けてて 不安感が薄らいでた。
しばらくして、また不安感の強い状態に戻ったら、
そのたびに、なるべく 「****ちゃん」 を繰り返してた。

PM.11:51

●2006年01月08日(日)


… まぼろしの欠片 …


さみしさや、むなしさを感じるから、
今日は、私の中の小さな私に、こう言ってあげてた。

「あなたには、3人のお母さんが居るんだよ」
「産んで育ててくれたお母さんと、たろーにゃんこと、私の3人」
「だから、安心していいんだよ。 安心していいんだよ」

いつだったかなぁ…、
バッチフラワーのホワイトチェストナットを飲んだときも、
さみしさが溢れてきた。強迫の不安の正体の一つは、
このさみしさなのかも…って思ったくらい、さみしさが溢れてきたなぁ。



2005/03/22…ホワイトチェストナットを飲んだときの日記
リンク貼れてなくて、ごめんなさい。

PM.11:48

●2006年01月07日(土)


… まぼろしの欠片 …


最近、やたら さみしい。
ひとりぽつんと 取り残されたような感じかなぁ。
ハードだった12月の用事が、やっと一息ついて、
やれやれ…って思った頃からなんだけど。

12/31〜1/2まで、家族は弟のとこに泊まりに行ってたから、
そのせいかなと思ってたら、家族が帰ってきてからも さみしい。
それに、一年くらい前に家族が泊まりで出かけたときは、
全然さみしくなかったし、落ち着けて ルンルンだった。

私の中の小さな頃の私が、
ずっと さみしがってたから…なのかな?
幼い日に押し込めた さみしさが、素直に出てきた…のかな?
って思って、昨日、自分に話しかけてみた。

「さみしいの?」 「なんか さみしいね」
「さみしかったんだよね」 「ずっと さみしかったんだよね」
「小さいのに、さみしさをこらえて、頑張ってきたんだよね」
「小さいのに、えらかったよね。 よく頑張ったよね」

「私には 分かってるからね。 気持ち 分かってるからね」
「小さいのに、さみしいのこらえて、ずっと頑張ってきたこと」
「本当は、さみしくてたまらなかったこと、分かってるからね」
「本当は、もっと甘えたかったんだよね。 安心したかったんだよね」

「よく頑張ったね。 えらいね。 小さいのに えらかったね」
「頑張ってきてくれたこと、私は知ってるからね」
「ありがとね。 頑張ってくれて ありがとね」

そうしてるうちに、感情が吹き出してきて 泣いてしまった。
そしたら、自然に 「おかあさん」 って言えた。 ← ひとりごとで
で、試したら、「おとうさん」 も言えた。

強迫になって数年後からは、
母親に対しても、父親に対しても、
距離をおいた呼び方しか できなかったのに。

PM.11:59

●2006年01月06日(金)


… まぼろしの欠片 …


12月は 特にハードだったから、
年末年始には 疲れが一気に出て、不安感も強かった。
最低限の日常生活も なかなか進まないから、
一生懸命、自分をなだめながら、生活してきた。

母親が、小さな子をあやすような感じで、
私が、たろーにゃんこにしてたような感じで、

自分で自分を癒して いたわるように、
自分で自分に優しく話かけながら、なんとか。

そうしてるうちに、たろーにゃんこに 「よしよしぃ」 「よしよしぃ」
ってしてた思い出が、優しくて温かい記憶と感覚が、
心に満ちてきたりして、うれしかった。

PM.11:17

●2006年01月01日(日)

.
… まぼろしの欠片 …


今日は、たろーにゃんこの日。
たろーにゃんこのことが、とても愛しい。
たろーに、恩返ししたいなぁ。 恩返ししたい。

たろー、ありがとうね。 ありがとうね。
そのままの私を 受け入れてくれて ありがとうね。
認めてくれて ありがとうね。 許してくれて ありがとうね。
心から信頼してくれて ありがとうね。

私に 本当の愛情と信頼を
教えてくれて 感じさせてくれて ありがとうね。

PM.7:38

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