カウント
2004年01月の日記
[HOME] [過去の日記] [前略プロフィール & 日記の索引] [管理モード]
●2004年01月30日(金)

… まぼろしの欠片 …




あのクソ母親…。
私が今日、苦労して掃除したとこ、 わ〜ざ〜と 汚してーっ。
また、やり直しかよ…。 神経も 時間も ティッシュも 減るじゃんかよっ。

「ティッシュなんか 買うたらへんっ!」
「なにひとつ 買うたらへんっ!」 って何回も わめきながら、
ティッシュが 大量に減るようなこと、すんなよ、母親め…。



ティッシュを絶たれたら、私は死ぬよ。
しょっちゅう、母親から、「買うたらへん」 って、 おどされてるけどね。
本当に絶たれたら、私は死ぬよ。 もう 生きない。


PM.10:50


●2004年01月28日(水)

… まぼろしの欠片 …




あの…ですね。 時々…ですね。 なぜか…ですね。 夢で…だけどね。

他人も通る普通の場所で、 私が、すっぽんぽん! または、
それに近い格好で いる夢を、たまに見るのだ…。 o;T T)o
初めのうちは 人が少ないんだけど、だんだん 増えてきて、
かっこわるくて落ち着かない。

私は、普通に服を着てるようなフリをしながら、
必要なときは人と話して、 途中で せなあかんことも しながら、
えーん、服を着たいよぉー、かっこわりぃよぉー、って思いながら、
目的地に向かって、小走りに駆け抜ける。
でも、すっぽんぽん 丸わかりー。



早朝の夢 でも、 私は、おぱんついっちょー で、どこかに行こうとしてた。
っていうか、どこかに行こうと思ったら、
おぱんついっちょー だったのだ…。 o(*- -)ゞ

で、また、こんな格好で出たら、
きまり悪いし、気ぃつかうし、嫌だなぁ…って思ってたら、
何人かの友だちが 服を貸してくれたのだー。 ☆(/⌒∇)/

服の種類は少かったけど、その中から、
色や形の合う服同士を コーディネイトしていって、
最後に、紅色の安いアクセサリーをワンポイントにしたら、
ぐっと 顔うつりがよくなって、感じよくなったー。

服を好きなように コーディネイトして着るなんて、
本格強迫になってから、もう10年間、ずっとやってないし、
アクセサリーも、10年間つけたことなかった。
だから、すごく 嬉しくて 楽しかったー。

ふつーの人なら、毎日、当たり前にやってることなんだけどね。
私は 強迫で できなくて、ずっと悲しかったから、
夢の中だけど、嬉しかったー。 o(*^∇^)o


PM.8:34


●2004年01月25日(日)

… まぼろしの欠片 …




死にたいーーーーーーー!って 思ってる夢を見た。

目覚めた後も、 死にたい気分が残っててて、不安感も強く、
体中がすごく重くて、凝ってて、しんどかった。
寝てる間、 寒さで凝って しんどくなったのか、
心が しんどくて、体も しんどくなったのか、…両方かな。



そのまま、もう一回寝たら、 今度は 異世界から抜けられない夢を見た。
抜け出そうとする、どんな努力も裏目に出て、 水の泡。
そして その世界では、 中傷や 妨害が 私の心を揉みくちゃにする。

強迫神経症を、ちゃかしてくるような場面もあったな…。
こないだ、そんなカキコを読んだから、 心に残ってたのかな…。

信頼できる人が、一人いてくれて、
一緒に抜け出そうとしてたような気がする。
まるで、 強迫という異世界から 抜けられないかのような感覚…。
で、目覚めたら、 さらに体が重く、しんどくなっていた。


PM.6:04


●2004年01月22日(木)

… まぼろしの欠片 …




今朝の最低気温は、−2.2℃ だったってさー。
この辺の冬の最低温レベルだな…。 このくらいには なるもんね。
別に 強迫じゃなかったら、−2.2℃でも どうってこと ないんだけどさー。

強迫の症状ため、薄着、薄布団、
強迫に理解のない貧乏な家のため、暖房なし、
…っていう私には、キツイわさ…。
ずっと、寒さで不安感も強くなり、寒さで眠りの浅い日が続いてる。

昨夜、今朝用に できる限りの寒さ対策をしたけど、
強迫で行動が制限されるから、できることは しれてる。

でも、昔よりは、ずーーーーーーーーーーーーーーーーーっと マシ。
昔は、今日みたいな日でも、夏の格好しか できなかったんだから。
ひどい強迫のせいで、安心して着れる服が確保できなくてね。
数年間、それが続いたら、体おかしくなったよ。
あんなに冷やしたら、当たり前。



ここから、一番 冷やした頃の話。

一番、ひどかったのが、ロングTシャツ一枚の冬だったかな。
生地がフライスだったから、天竺よりは厚いんだけどね。
ロングといっても、裾は お尻が余裕で隠れる程度かな…。
ボロボロに破れてたし。 長袖だったけどね。 後はショーツ一枚。
あんなに寒い思いをしたことは、なかったな…。

短い裾が、スースーだから、
冷気が、 休みなく 足の間から突き上げてきて、体の中心を貫いていく。
体を取り囲む外の冷気、体の中心を通る冷気、 両方から冷えていく。

毎秒毎秒、いえ…、0.00000000001秒ごとに、
寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い…、
…って ずっと、 ひたすら、寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い…、
って休みなく感じ続け、神経が寒さで キィーーーーーーン となった。

当然、強迫悪化。 体調も悪化。

体を動かして温めたくても、動くたびに、
冷気が下から吹き込み、全身を貫いてくから、よけい寒い。



湯船の中にいるときだけ、温まれたかな…。
でも、体が 芯から冷え切ってたから、なかなか 湯船から
出られなかったな…。 立ち上がった途端に寒気がして、また つかる。
で、お風呂から上がったら、すぐに冷気の中。

台所は火を使うから、いれるときは 台所にいてたかな。
晩ご飯の支度をする頃とか、他の場所より暖かいからね。

あっ、あの頃は、いくらなんでも、
ガスコンロを中弱火で点けるのは、許してくれてたかな…。
強火にするのが、 こっそり隠れて…、だったんだ…。
中弱火には、隠さずにできたんだった。
でも、ガスコンロの熱は 効率悪いのよね。 熱源の位置が高いし。
それに、超薄着だったからなぁ…。

強迫が理解できないと、「着ないのは、あんたの勝手や」
「お金ないのに、無駄に光熱費を使うな」 ってなるのよね。



体のあちこち、冷えで おかしくなったけど、今日は 一つだけ書く。
女の人は下半身を冷やしたらダメだって、いうでしょ…。
ばっちり、やられたよー。

卵巣か子宮か、よく分かんないけど、そのあたり、
左の下腹部の下あたりが痛くなった。 春になっても夏になっても、
治らなかった。 体を冷やし続けた数年間は、年中 痛かった。
でも強迫で 外に出れなかったから、医者にも行けなくて、
どこがどう悪いのか 分かんないまま。
冷やすのがマシになった 3〜4年ほど前から、
痛みは、少しずつ なくなっていったけど。

今でも、すごく寒いと ほんの少しだけ痛くなる時があるなぁ。



あの年、そんなに寒い思いをしても、強迫の強い力のせいで、
私は、ロングTシャツ一枚、ショーツ一枚しか、どうしても着れなかった。
強迫の力って、それほど強い力なの。
心に無理がきかないから、
代わりに、体に無理を強いちゃう
のよね。 o(*- -)o
心だけで すまないのだ…。


深夜 24:29


●2004年01月20日(火)

… まぼろしの欠片 …




1月8日の深夜に、足りない冬服の注文に失敗して…、
後日、2回、頑張って注文に再挑戦した…。 私にしたら真剣勝負。
でも 2回とも、やっぱり不安感が高まって、その日のうちに
キャンセルする羽目に…。 3回連続失敗。
やっぱり、寒くなってしまうと手遅れ。
寒さが不安に影響して、注文の段階から つまづく。
はぁ…、ため息でるわ…。

3回とも、PCでの注文だったから、
気持ちが昼より安定する夜中に、注文を試みた。
なんとか不安を我慢しようとして 悩んだ末、キャンセルしたから、
3回とも、寝るのが1〜2時間も遅くなった。
注文するときも、不安に敏感になってるから、
注文する前や途中に 手を何回も洗って、それにも時間かかったし。



失敗するくらいなら、
一時しのぎの 不十分な寒さ対策で我慢して、
早く寝た方が、マシかもしれない。 遅く寝ると不安に ひびくから。
ただでさえ 寒さで眠りが浅いから、たくさん寝ないと、
不安の針の振れが、すぐに大きくなって 跳ね上がるもん。
でも、ずっと睡眠不足…。
ぐぢょ〜。 o;T T)o


PM.9:35


●2004年01月19日(月)

… フルーツバスケット …




強迫は、症状の現れ方が変化するから、治り具合が分かりにくい。
不安の根っこが残ってるから、外から押さえても、
別のとこから、はみだすようなイメージ。
風船を押したら、別のとこが膨らむような…。

でも、根っこは、だんだん 小さくしていけると思う。
自己肯定感を 高めていくことができれば。 ← しつこい・みぃ o(*- -)ゞ
そのままの自分を、弱さも含めて 「基本的に」 認められて、
受け入れられること。 他人からも。 自分からも。



たとえば、『フルーツバスケット』 の夾のセリフ…。
アニメを 一回 観ただけなので、不正確です ↓

「…まるごと 受け入れてもらえなくても、よかったんだ…」
「…怖ろしくてもいい…、それでも 一緒に生きていきたいと…」
「…こわがってもいい…、それでも 一緒に生きていきたいと…」

これは、妖怪のような もう一つの姿に変身した夾が
透に受け入れられた時のセリフ。

同じことが、自分でが自分を受け入れる時にも、いえる と思う。
「まるごと 受け入れてもらえなくても」 っていうのは、
怖ろしい部分は 怖ろしいと認めた上で、っていう意味だと思う。
無理に 怖ろしくないと思う必要なんかなくて。



夾には、事情があって…。
草摩一族には、なにかの呪いが かけられてるらしく?
異性に抱きつかれると、しばらくの間、十二支の動物に変身してしまう。
一族の中の、草摩紫呉、由希、夾、三人の男の子と、
一族ではない 本間透っていう女の子が、同居する事になって…、
当然、変身の秘密はバレたけど、 透は、少しも態度を変えなかった。
それは、紫呉、由希、夾にとって、すごく大きなことだった。

で、夾はネコに変身する。
ネコって、もともと十二支の中には いない。
一族の中で、ネコに変身する者だけ、封印のブレスレットをはずすと、
妖怪のような怖ろしい姿にも、変身してしまう。 二重に変身するの。

もう一つの隠してきた姿に 変身してしまった夾は、林の中に逃げてしまう。
夾の本当の姿?を見た透は、衝撃を受けながらも、夾を追ったけど、
途中で崩れ落ちて膝をつき、立ち上がれなくなってしまう。
いったん、ふらふらと 別方向を彷徨った透は、やっとのことで、
夾のところへ戻ってくる。 夾は、まだ 怖ろしい姿のまま…。



夾は、変身後の姿 が 本当の自分だと思ってたようだけど、
実は、夾の ある一部分 の姿 に過ぎない。



夾が透に聞く。 「この姿を見て 俺を どう思うか」
目の前の夾は、怖ろしくて 凶暴っぽかった。
でも、透の脳裏には、いつもの優しい夾が映しだされていく。
やっぱり、この人と いたいって思う。

透は答える。
「怖いです。 今の夾くんは怖いです」
「でも、これからも ずっと一緒にいたいんです」
「一緒に ご飯食べて、一緒に 学校へ行って…、」
「私のわがままも 聞いてほしいんです」
「夾くんの弱音も 聞かせてほしい…」

私は、その言葉が忘れられない。
怖ろしさを受け止めた後、怖ろしくてもいい。 そういう部分があってもいい。
それでも、一緒に生きていきたい
…と言った言葉が。

夾は思う。「まるごと受け入れてもらえなくても、よかったんだ…」
“怖ろしくてもいい…それでも一緒に生きていきたいと…”
“こわがってもいい…それでも一緒に生きていきたいと…”

それは、自分の中の 夾的部分と透的部分にも、いえる ことだと思う。
たぶん誰の心の中にも、夾も透も いてる。



漫画では、ストーリーの展開上、怖ろしい部分ってなってるけど、
弱い部分、嫌な部分、愚かな部分、不完全な部分…っていう
表現の方が ピンとくるかな…。
そういう部分は、誰にでもあるし、あって当然のもの。
私たちは、やっぱり 「キレた天使と悪魔のハーフ」 ← Λucifer
自分の嫌な部分にも、目をつむりたくない。
全て合わせて、私だもの。



私の願い…、

自分の中の嫌だと思う部分は、嫌だと認めながら、
それでも、自分という存在すべてを否定することなく、
あって当然の嫌な部分とともに、この自分で
生きていこうって、素直に思えるようになること。


…っていうのを、 自分の中で 明確に言語化できたのは、
『フルーツバスケット』 の夾と透のシーンのおかげ。


PM.4:31


●2004年01月17日(土)

… 子どもの頃の強迫傾向 …




家庭環境の大雑把な説明のため、2003/03/30 みぃ日記から、抜粋 ↓



私が生まれる前、私の家は農家だった。
そこには、嫁が犠牲になって家族を維持するという、
封建的な伝統 が残っていた。

子どもの頃、あの家には 祖母が君臨 していた。
家の中の空気は、始終 ピーンと張りつめていた。
笑って食卓を囲んだことがない。
無言、または父親の自慢話、または祖母の文句。
母親は、すねて 不機嫌そうに黙りこくっている。

うっかり、おかわりの時、「ごはん」 などと言おうものなら、
「ごはん、よそってちょうだい、と言わんかーーーっ」
「それが、親に対して子どもが言う 言葉かーーーっ」
…と、祖母の怒声が とんできた。 幼い頃から。

うっかり、テーブルに肘を付こうものなら、
「肘つけんなーーーーっ」
「それが、食べさせてもらってる態度かーーーっ」
…と、祖母の怒声が とんできた。 幼い頃から。

教育っていうより、養ってやってるんだから感謝しろ…っていうのが、
幼な心にも、いつも感じられた…。



家の中は、こんな ピリピリした空気だったけど、
私は、もともとは、祖母が 何回 怒鳴っても、廊下の擦りガラスいっぱいに、
えんぴつで落書きをし、祖母に文句を言われた母親が 消しゴムで消 し、
でも、また 落書きを書くような、当たり前の子だった。

母親に 「もっとキレイに 手を洗いなさい」
「そんなん、手を濡らしただけやんか。 タオルが汚れるやろ」 って
しょっちゅう 言われていた。 そんな普通の?子だった。

でも、昨日の日記の通り、シャンプーのすすぎには、
幼い頃から、神経質になってしまっていたし、
家では、かなりの緊張を強いられていたし、
親や祖母から. そのままの私を否定されながら 育ってきたことが、
その後の強迫への 下準備のようなもんだったかな…。



で、昨日に日記に書いた通り、父親が馬鹿げた多額の借金をして、
家の中の空気が、いっそう 悪く悪くなった頃、小学生だった私に、
軽い強迫傾向が
出始めた…。

もちろん、強迫なんて病気は知らない。 ヘンなクセだと思ってた。
心配性が ひどいんだと思ってた。うっとおしかったけど、
日常生活に たいして差し障りなかった
から、
どうってことは、なかった。

不安っていうより、心配っていう軽いレベルだったし。
でも 今から思うと、ごく軽くても強迫は強迫だな…。 やっぱり。
ごく軽い縁起恐怖と、ごく軽い確認恐怖だった。
本格強迫とは、まるで別物のように レベルが違って 軽すぎだけど。



たとえば、布団をたたむとき、何か嫌な感じがしたら、
もう一度 布団を元に戻して、初めから たたみ直さずには
いられなかった。 そうしないと、何か悪い事が起こるような気がして。
1回たたみ直すと3倍、時間かかるのよね。
初めにたたむのにかかる時間、元に戻す時間、たたみ直す時間。
2回たたみ直すと5倍。 3回たたみ直すと7倍。

小学校の授業で刺繍をするとき、針を刺す一番いい場所でも、
何か嫌な感じがしたら、そこに針を刺すことができず、
ずらした場所に針を刺した。何回もやり直した。
そうやって神経を使うから、刺繍は大嫌いだった。

嫌な感じがして、何回か やり直すことは、他の場面でも よくあった。

当然、算数の計算には 時間かかった。
計算が合ってるか気になって、数回 計算し直したから。

当然、手紙や葉書を出すときは、
住所が間違ってないか 数回確認 し、
切手が ちゃんと貼れてるか 数回確認 し、
封筒の封がしっかりできたか 数回確認 し、
ポストに ちゃんと投函できたか 数回確認 した。

高校くらいになると、ご飯を作る手伝いをするとき、
途中で手を何回も洗って、タオルが びしょびしょになった。
気に入ってた小ポーチを手洗いするときは、なぜか洗いたおした。



でも、 ↑ こういうのは、本格強迫と比べたら、
強迫のうちに入らない。 不安のレベルが全く違う。 雲泥の差。

だって、日常生活ができるんだもの。
今は、家の中を歩くだけでも、毎分 気を使う。



家族には、そんなクセを隠してたけど、ちょっとバレてたと思う。
で、もし将来、誰かと暮らしたとしたら 隠 し通せないだろうな…、
ヘンな奴だと思われるだろうな…、誰かと暮らすのは無理だろうな…、
って漠然と思ってた。

やっぱり、普通の域は越えてると 分かってたんだろうな…。
小学校5〜6年頃からは、心の中には、いつも何かの心配事があったし、
一つの心配事が解決したら、次の心配事が取って代わった。
でも、あくまで 「心配」 のレベル。
本格強迫の不安と恐怖とは、比べものにならない。



そして10年前、いろんなキッカケが重なって、
突然、本格強迫になって、日常生活が送れなくなった。
その時 初めて、 強迫という病気を知った。
キッカケは、仕事が忙しくなったこと、会社が遠くに引っ越 したこと、
プライベートでのこと…、いろいろあったけど、

それまでの、ごくごく軽い強迫の症状が、
いそがしさに拍車をかけてたのは、事実。

軽い強迫とはいえ、強迫によるやり直しに 時間と神経を使ってたから、
普通の人より、その面で、かなり ハードになってしまっていた。


PM.8:47


●2004年01月16日(金)

… キレてます …




あの親は二人とも、まったくー。 ええ加減にしろやっ!



だいたい、父親が馬鹿げた借金をして、
家の中が、 いっそう メチャクチャになった頃に、
小学生の私に、強迫傾向が出始めたんだ…。 ちょうど 時期が同じなんだ。
本当は、育った家庭環境が強迫の遠因っていうより、主因に近いわっ。

なのに、親は完全な被害者で、私が完全な加害者だと、
両親とも、いつまでも ずっと、思い込んでるところが憎らしい。

どこまでも、自分たちには 責任が皆無だと思いたがってる。
別に、あんな両親に、責任なんか感じていらんけど、
治ろうと頑張ってるのを 邪魔 しないでよ。



そもそも、父親が作った 何千万もの借金は、父親の人間的な弱さのせい。
父親は、いつも 自分の自慢話をし、人をけなしてばかりいる。
自分の力と関係ないことでも、何でも自慢の種にしたがる。
それは、劣等感の裏返し。

まっ、父親も、あの家風で育ったんだからな…。
自己肯定感が築けなかったんだろうな。 でも、いい加減 気づけよ…。

私には、父親の言葉の裏に隠れた感情まで、ちゃーんと聞こえるわっ。
私が幼い頃から、父親は、ずっと この調子。

「ワシは、こんな事も知ってるんだぞ…。 エライだろー。 誉めてー」
「ワシは、こういう考え方ができるんだぞ。 エライだろー。 誉めてー」
「母親はこんなに愚かだ。 それに比べ、ワシはエライんだ。 誉めてー」
「ワシのおじいさんは エラかった。 だから、ワシも誉めてー」
「昔はこんなに自然が残ってた。 それを言えるワシはエライ。 誉めてー」

なんで、昔、この辺りに 自然が残ってたことまで、
自分の自慢の種に せなあかんねんっ。
「エライだろー、誉めてー」 は、父親の心の奥の声。
たぶん、父親本人は自覚してない。



父親は、いつも 誰かに誉めてもらってないと 自分を保てないほど、
自分に自信のない卑屈な人間だから、見え透いたお世辞に
まんまと乗せられて、
詐欺に遭ったんじゃないか!
そのおかげで、家族は何十年も、超金欠生活をしてきたんだっ!

金策に追われた母親も祖母も、さらに不機嫌になって、
その うっぷんが、こっちにも回ってきたんだぞ!
でも、父親は、母親と祖母に 自分の尻拭いを してもらったから、
たいして反省してない。 失敗から成長してない。
父親は、家族全員が 父親の弱さのせいで、すごく苦労したことを
何とも思ってない。


それに、最後の借金を返したのは妹だ。 親 じゃない。
だから、両親とも、妹に対しては猫なで声。
父親なんか、妹に話しかける時は 緊張してる。



山のような借金は作ったけど、ほとんど働かなかった父親の年金は、
もちろん雀の涙で、今でも、家は金欠。
でも、母親が言うには、もう終わったことだから いいんだとー。
ちっとも、終わってないわっ。
「父親の弱さの証明借金」 は、私の強迫にも、いまだに関係あるんだから。
お金がないことも、強迫の回復を遅らせてる要因の一つだもの。



強迫中、暖房費をケチられて、体も心も不調になって 強迫がこじれたし、
強迫にはお金かかるから、ぼろくそに言われて 不安を掻き立てられて、
私の強迫の回復が、遅れてるもんね。

それに お金がない うっぷんは、こっちに回ってくる。
私の強迫にかかる お金よりも、桁違いの遙かに多額のお金を
無駄に使ったのは、父親なのに。




でも、回復が遅れてるのは、私 だけ のせいに されてる。
もちろん、強迫になったのも、私 だけ のせいに されてる。
心の病は、一人では ならないんだぞ…。
人間関係の中で なるんだぞ…。

特に、いろんな人の話を聞いてたら、
育った家庭環境が、かなり影響してるケースが多い。
私の場合だって、そうだ…。

この数年間、何回も何回も、
私の方は 両親とも向き合おうとして、いろんな説明を試みたけど、
両親の方は 向かい合おうとしないし、分かろうともしないから、
両親に対しては諦めてるけど、
死にたくなるほど 両親から追い詰められると、
私だってムカついてくるわっ!



PM.8:04


●2004年01月14日(水)

… まぼろしの欠片 …




こないだ、強迫BBSに書いたことを、日記向け?に書き直して 追加…。



強迫の症状は、時々、私に ヒントをくれた。
その中の一つについて。

本格強迫の数年目、自分の症状の出方を見てて、気づいたことがある。
電気のコンセントは、今は 気にならなくなったし、
ある時期までも、あまり気にならなかった。
でも、母親のある言葉がキッカケで、急に気になりだした。

その ある時期までは、
電気のコンセントは、確認強迫の対象から免れていた。
自分で、 抜いたと思ったら納得できてたのよね。

でも ある時、母親が 「抜いたか?」 って、私に尋ね、
私が 「抜いた」って答えても、
母親は、しつこく 「本当に抜いたのか?」 って繰り返して…、
それ以後、 私の強迫に、コンセントが加わり、
コンセントも、何回も確認し続けるようになった。

せっかく自分で大丈夫だって思ってて、自信あったのに、
それを信用しない母親が、何回も 「本当に抜いたか?」 と言ってくるのは、
強く迫ってくる強迫の不安に、すごく似てる。



その時、悔しいけど、私の強迫の不安に
母親が大きく関係してることを、認めざるを得なかった。

で、幼い頃を振り返ってみると、
母親に 毎朝 何回も 「本当に忘れ物はないんか?」 とか、
念を押され続けてた。 「もう忘れ物ないったら〜」 って、
毎朝、私は 2〜3回は答えてた。
祖母に気を使いながら. いそがしくしてる母親の 不機嫌そうな声は、
私への疑いを 前提としてるように聞こえた。

忘れ物に限らず、いろんなことで、何回も念を押されてたな…。

そして、強迫が それと似た母親の言葉に、敏感に反応してしまった…。
ってことは、自分では大丈夫だと思ってるのに、
疑われる言葉、否定される言葉を浴びながら 育ったことと、
私の強迫って、繋がりがあるように思えるのよね…。




それから、これと似た祖母の言葉で、
幼い頃から、ずっと 忘れられないのがある。

幼い頃、初めて 自分で髪を洗って お風呂から出てきたとき、
祖母が、私の方を よく見もせずに
「ほぅ〜ら、石けんつけたまま 上がってきよったー」 って、
真っ先に大声で言った。 遠くからね。

遠くからだから、髪を洗った石けんを、
ちゃんとすすげたかどうかなんて、分かるわけないの。
それなのに、確かめもせずに、最初っから疑って、
決めつけて かかられたから、悲しかった。

お風呂に入る前に 「ちゃんとすすぎなさい」 って、しつこく言われたから、
自分では、よぉく よぉく、すすいだつもりだもの。
初挑戦した幼い子に、結果も見ないうちから、
そんな言い方、普通 しないぞ…。



それ以後、 私は、しつこいくらい、シャンプーをすすぐようになった。
もう充分と思っても、 しつこく しつこく、まだ何回もすすいだ。
シャンプーが、ちゃんと すすげたかどうか、 不安で。
すすぎ湯に 泡が全然なくなっても、 まだ不安で。
強迫になる前から。 幼い頃から。


深夜 27:15


●2004年01月12日(月)

… まぼろしの欠片 …




昨日書いた日記を 半分書き直した。 o(*- -)ゞ

昨日、一昨日と、ヒノアタルの強迫BBSに書いたことと 関連するので、
半年前に、私が書いたメールの文章から、抜粋 するね ↓



無力な赤ちゃんの頃とか幼児期に、
親から 無条件に受け入れられ、愛されて育ってきた人は、
自分自身に対する基本的な肯定感も得られるし、
自分自身を自然に愛することもできると思う。

でも、そういう乳幼児期を過ごしてこなかった人は、
成長してから、自分で、基本的な肯定感や自分自身を愛することを
獲得していかなきゃいけない…。
それって大切だもの。 人が生きてくのに。

乳幼児が無条件に愛されて、自分自身を好きになれるように、
成長してから、自分自身を好きになるには、

乳幼児の無力に 少し近い状態というか…、
無力感に打ちのめされてる時とか、深く自信喪失してる時に、
人から受け入れられることが、大きく影響してくると思う。

好調な時に受け入れられても、不十分。
比較的マシな時に受け入れられても、まだ不十分だと思う。
最悪の時に、そのままの自分が受け入れられた実感を持てて、やっと、
ずっと、得られなかった自己肯定感を 心の芯に持てるんだと思う。




抜粋は、ここまで ↑
次に、一年前の みぃ日記に書いたことと、だぶるけど、私の場合を書くね。
強迫が ひどかった頃 を回想して書いた話 ↓



強迫になってから、よくよく考えてみれば、
幼い頃からの私の望みは、ずーっと、「自分を好きになりたい」 …だった。
この強い自己嫌悪は、強迫の一因だったと思う。
でも 強迫になったら、さらに強い自己嫌悪に追い込まれ、
そんな中で、どうやったら 自分を好きになれるのか、途方に暮れた。
幼い頃からの望みに気づけたものの、どうしたらいいのか 分かんなかった。

でも、ある先輩が認めてくれた。
「 だって、あんた、生きてるやん〜 」
「 かよわい足かもしれないけど、その足で必死で立とうとしてる 」
「 自分の足で…。 そういう人が “生きてる”って言えるんやで 」


なにもなかも 失ってしまって、
必死に 手探りの試行錯誤を続けてた私の、
その行為自体を、生きる姿勢自体を、認めてくれた…。 (*- -)人
当時、1ヶ月に1回くらい、電話で話す程度だったけど、
先輩の存在は、私にとって大きかった。
あっ…、ネットしてなかったし。

そして、この言葉が、心の芯まで浸みたのは、
こてんぱんに 自信をなくしていたから。 底まで落ちていたから。
私が、自信の大元 = 基本的な自己肯定感 を手に入れるためには、
一度、全ての自信をなくす必要があったんだと思う。
失わなければ、身ぐるみ剥がれなければ、得られない…。




強迫は、自らを限界状況に追い込むけど、
それって、無駄じゃない。 意味があるんだと思う。
自分を抑圧せずに 生きれるようになるには、心の解放のためには、
必要な、辛い試練の時間なんだと思う。

そして、少しずつ、本当に自分自身を 愛せるようになったら、
少しずつ、次段階に さらに次段階へと行けると思う。
少しずつ少しずつ、より自分を受け入れられるようになっていって…、
強迫の不安も鎮まってきて、病気から抜け出せていくんじゃないかって思う。
もちろん、心理的なこと以外にも、条件は いくつもあるけど。

一直線には いかない。
試練を何度も、繰り返し経験しながら、
いろんな人や 本や 漫画や 音楽に触れて、 ヒントをもらいながら、
心の奥深くまで、 肯定感・安心感が 染み渡っていくんだと思うから。


PM.6:52


●2004年01月09日(金)

… まぼろしの欠片 …




寒くなってしまうと、もう 手遅れなんだ…。
冬用の、足りない服や布団を 確保するには…。
寒さで不安感が強くなって、注文の段階から できなくなってしまう…。

それでも、昨日、必死で、インナーを注文した。
注文は、なんとか できた。 でも、注文後も問題。
注文後、日に何度も膨らみそうになる不安を、何度も振り切って、
無事に買えるように 頑張った。 不安が膨らんでしまったら、おじゃん。
キャンセルするしかなくなる。

その苦しみは、服を無事に受け取るまで、続くのだ…。 o(*- -)o
で、寒いと不安感が強くなって、苦しみの回数と強さが増す…。



でも、とうとう 今日の夕方、不安が限界を超えて膨らんで、
怖くて買えなくなって、注文をキャンセルした…。
あーぁ…。 o(*- -)o
なんとか、頑張ってたのに…。
やっぱ、服の確保は、10月と11月が勝負なのだ…。
後は、せいぜい クリスマス頃まで。

でも、私の強迫にの症状のせいで、服を受け取れる日が すごく限られる。
月に5日あれば 大ラッキーな月。 2〜3日しかない月もある。



今年は、11月、いろいろあって 不調だったからな…。

ネットで、他人の揉め事に 巻き込まれ…、
私が ある人に 匿名で中傷メールを送ったと、
その人が 日記に断定して書いた。
私は、命にかけて送ってないのに。

日記に、私の名前は 出してなかったけど、
その人の仲間に、私の名前を出したみたい。 その人のBBSを見てると。
その人の仲間から、私が匿名メールを出したっていう、メールも来たし。
メールの主に、いくら違うと言っても信用しない。
だいたい その人には、半年以上、一通もメールなんか出してない。
関わりたくないから。



そもそも、IPアドレスから 個人は特定できないのに、
その人は、特定できると 日記で言い切ってる。
その人の仲間も、それを そのまま信じてるみたい。
警察に調べてもらわない限り、無理なのに。
誤解を解きたくて、友人に助けてもらって、そのこと調べたもん。

それに、友人が PCに詳しい人に、わざわざ尋ねてくれた。
初期のパソコン通信といわれた頃から、ネットをやっていて、
PC関係の大手で仕事してる人に。
引用させてもらいます。 ごめんね。 (*- -)人

> IP はプロバイダと地区の特定はできますが、
> ADSL やダイヤルアップの場合は固定ではないので、
> 個人まで特定はできません。
> それに 悪いことする人は、他人の IP を
> 経由して自分の IP を隠す方法を知っているので
> 中継に利用されたんでしょう。
> IP でプロバイダを調べるサイトはありますが
> 言ったように理論上、個人の特定はできないです。
> たとえば自分でサーバをたてて、そこで固定 IP アドレスを
> 取ってる以外は・・・・。

私は、ダイヤルアップ接続。
もちろん、サーバーなんて立ててない。

それに、私が住んでる地域では、
そのプロバイダーを使ってる人が すごく多いの。 安いから。
実際、他のプロバイダーから、そこに変える友人も 結構いてるし。



ずっと 黙ってるつもりだったけど、重症の私にとったら、
症状に大影響するから、改めて悔しくなった…。


PM.10:47


●2004年01月08日(木)

… まぼろしの欠片 …




今朝、なんか不安感が強いなぁ〜って思ったら、たぶん 寒いからだー。
寒さで神経の緊張度は、すごく変わるよね。

本格強迫になってすぐの頃 は、それまでの延長で
なんとか 外に出れてたから、カウンセリングに行ってたんだけど、
そこのカウンセラーが、「冬は “こたつネコ” になってるくらいが、
ちょうどいいんですよー」 って言ってはったな…。
ほんとにそう。 冷やすとあかんー。



でも 当時は、 不安感が とんでもなく強かったから、外に出るたび、
その時に、着てた服、持ってた鞄、財布、履いてた靴…、
みんな 怖くて仕方なくなって、
洗っただけじゃ、どうしても安心できなくて、
どんどん、捨ててく羽目になった。 外に出るたび。 o(*- -)o

そして、とうとう、捨てる物もなくなって、
長〜い間、外に出れなくなりましたー。 o;T T)o
今も、め〜ったに 外に出れない。 捨てれる物なんてない。



今夜は 寒いし、せめて、がんばって 早よ寝よー。
がんばらないと、早く寝れないー。
強迫だと、何をするにも 時間かかるー。 o;T T)o


深夜 25:55


●2004年01月04日(日)

… 年末年始の不調 3 …




一昨日からの日記の続きの前に、軽くまとめ↓

31日は、疲れ切ってたし、風邪っぽかったから、
お風呂はやめとくつもりだった。
でも、母親が、 私が 擦れたくないと知ってる紙切れを、 わ〜ざ〜と、
私の髪と服に投げつけたので、 お風呂に入らずには いられなくなった。
疲れ切ってたから、お風呂に時間かかって、
寝れたのは、朝の7時を過ぎてから。 もちろん睡眠不足。
しかも風邪っぽいのに、体をかなり冷やしてしまった。

そんな悪条件の中で、正月の試練が始まることになる…。 o;T T)o



1日の 朝7時過ぎから、3〜4時間寝たのかな…。
目が覚めたら…、うー…、不安感が強い…。
ただでさえ、起きてしばらくは、不安感が強いのに、
あんな時間から、ちょびっと寝ただけだもんな…。 疲れてたのに。
いつもなら何でもないことにも、不安の針が大きく揺れる。
不安の針は、タコメーターの針のイメージ。

そして、正月は刺激の連続…。 家族の生活のパターンが
いつもと違うから、 その違いも、いちいち刺激になる。
それに寒いから、神経が こわばって過敏になる。
おまけに、大不調だから、小刺激ですまなくて、大刺激に。
だから、31日は、早く寝たかったのだー。 o;T T)o

それに 母親に頼まれて、早く寝たいのを我慢してやった朝の用事は、
結局不要だったから、ほんとなら、6時半までに寝れたのにー。 くやしー。

不安の針が振れては、なんとか鎮めて、…やれやれと思ったら、
また、すぐに、不安の針が振れては、なんとか鎮めて、…と ひっきりなし。
鎮めるのも、いつもより苦しいし、すごく時間かかるし。



特に 母親の金切り声を聞くと、
不安の針は一気に上昇、ピーク近くになる。
ひとりなら 簡単に振り切れる不安が、なかなか 振り切れなくなる。
それだけで 1時間 パーになるのは ザラ。
3時間 パーになることだってある。

母親の不機嫌な声に、一番、強迫が反応するってことは、
幼児期から、母親が いつも不機嫌だったことが、関係してるのかな〜。
母親は、厳しい祖母の監視と、共働きの店と家の何回もの往復と、
父親の作った 馬鹿げた多額の借金の返済で、
余裕がなく、いつも不機嫌だった。



強い不安感に、一日中、おびやかされ続けて、
年の始めから、もう生きてたくないって思った。
前日の年の終わりも、もう 次の年には行きたくないと思った。



2日は、風邪が ひどくなって、ダウン…。
風邪と、正月の刺激の、ダブルパンチ。 また不安の連続。



なんか対策を考えないとな…。

早く寝れたら、かなりマシなんだけど、
そっとしてもらえたら、かなりマシなんだけど、
暖かくできたら、かなりマシなんだけど、

不安を煽られてたら、なかなか そうできないし、
煽られないように先回りするのにも、人の行動だから よみきれずに
限界あるし。 今のやり方を なんとか 変えていかないと…。


PM.9:05


●2004年01月03日(土)

… 年末年始の不調 2 …




今日も、いっぱい 難関があったー。 o(*- -)o
でも、風邪がマシになってきて、ホッとした。
昨日の日記の続き ↓ お風呂シーンから…、なんちって。 o(*- -)ゞ



体を洗い終わって、湯船に入るけど…、
お湯は、まだ、ぬっる〜い と 冷た〜い の中間。
もう しばらく寒いのを我慢する。 o;T T)o

やっと、温かくくなってきても、ゆっくりはしてられない。 時間ないから。
もっと 温まりたいけど、髪と顔を洗う。
湯船につからないとこは、後から洗えるの。

その後から、お風呂で手洗いの洗濯。 私にとったら、メッチャ神経使う。
31日は、すでに疲れ切ってたから、洗濯中、すぐに不安になって、
服を20回くらい、洗い直した。 服を絞ってから、
服に ティッシュを挟みながら たたんでいくんだけど、
その途中で、寒さで 体がすごく震えてきて、止まらなかった。

ティッシュ、もったいないでしょ…。 タオルを使うのが不安なの。
そのタオルが大丈夫かどうかも、気になるから。

後は1分くらい、湯船につかって 急いで上がる。
安心して使えるタオルが、みんな破れてしまってからは、
ティッシュで体を拭く。 もったいないから、サッとだけ。
あー、タオルで 髪や体を拭きたいー。



お風呂で洗濯した日は、脱衣所で服を着てる途中に、
不安になったら嫌だから、何も着ず 服を持って、数を数えながら、
真剣に2階に上がる。 他人が見たら、馬鹿でしかない。
途中で、私が寄り道をせずに、お風呂場から2階に行けたっていう
証拠のために、数を数える。 サッとしか、体を拭いてないから寒い。

でも、昔は服を持って、移動することができなかった。
途中で、自分が 寄り道しそうで不安で。



火の気のない2階の部屋で、ドライヤーで、服と髪を乾かす。
服を早く乾かさないと 心配になるから、服が先。
時々、髪が冷たくて我慢できなくなったら、
途中で30秒ほど、髪にドライヤーの温風を当てる。

冬は、結構 乾かすのに 時間かかる。 当たり前。 寒い。
ここに ストーブがあれば、早く乾くし、体も冷えないのに…。
31日は、髪を乾かしてる途中、ドライヤーをつけたまま、
何度も寝そうになった。 危な〜。

2階から降りる前に、2階の部屋用の確認行為を数分する。
さらに冷える。



台所に降りたら、真っ先に ガスコンロを 内緒で点ける。
寒くて仕方ないから。
で、31日は、時間を見たら、朝の6時を過ぎてたー。 最悪記録。
夜中の2時半からだから、3時間半以上もかかったー。 o;T T)o
その後、母親から、1日の朝までにしろと言われてた用事があったから、
それをしてたら、寝るのが朝の7時を過ぎちゃったー。o;T T)o

1日も 試練の連続なのに、こんな時間に寝て 耐えられるんだろうかー。
もともと風邪っぽい日に、長い間、洗濯して冷えたし…。

…長くなるので、続きは、明日か あさって。


深夜 24:37


●2004年01月02日(金)

… 年末年始の不調 1 …




年末年始は、生活パターンが変わるから、強迫に すごく影響する。
年末年始は、毎年、一日一日を なんとか生き延びる感じ。



バタバタした年末…、不安の種は、いつもより い〜っぱい。
膨らみそうになる不安に 必死に耐えながら、
いつもより、多めの用事をしてた。

12月31日…、もう 限界近い。 今日こそ早く寝ないと…。
風邪っぽかったし、お風呂をサボって 早く寝ようと思ってた。
正月も、強迫には試練だらけだから、睡眠不足だと耐えきれないし。

でも、年末で機嫌の悪い母親が、
私が擦れたくないと知ってる紙切れを、 わ〜ざ〜と、
私の髪に投げつけた。 いきなりで 避けられなかった。
くそーっ、お風呂に 入らなあかんーっ、寝るのが遅くなるーっ、
でも、洗濯を止めといたら、まだマシか…、って思ってたら、

母親がまた、今度は 私の服に
擦れたくない紙切れを、 わ〜ざ〜と、投げつけた。
あー…、洗濯まで せなあかんやんかーっ、くっそぉーっ。

それからも、不安感が膨らみそうになっては 必死で鎮めて…、
を何度も繰り返し、 もう 次の年に行きたくない、と思った。



ずっと母親の機嫌が悪く、不安を刺激されてばかりで、用事が進まず、
お風呂を沸かし始めるのが、真夜中の2時半になった。
どんなに早くても、お風呂から上がれるのは 5時半だ…。 o(*- -)o

お風呂の沸かし方、入り方は、強迫の間に かなり変わってきたけど、
今の私のお風呂は… ↓



まず、水で湯船を洗う。 お湯は出ない。 シャワーもない。
強迫になってから、お風呂に入る直前に 湯船を洗わないと不安。
不潔恐怖じゃなくなっても、確認恐怖のせいで不安。
ここ数年、妹は 朝風呂。 親は ダラダラしてて?昼前風呂。

湯船を洗うのって、神経使う。 冷たい水で、何回も洗い直す。
2回ですめば、大ラッキー。 裸足の足が、冷たいタイルで冷える。
タイルの床に 冷水が流れてくると、足はもっと冷たくなる。
まず、これで神経使うし 時間をくう。

お風呂に水を入れながら、ゆっくり 服を脱ぐ。
沸かし口 ギリギリの水量で、水を止め、沸かし始める。
まだ、風呂場も寒いまま、表面だけ ぬるま湯になった頃に、
寒いのを我慢しながら、石けんを泡立て始める。

お風呂を洗い始めてから 沸くまでの間も、寒い風呂場から出ない。
途中で出ると 不安になるから、

で、昔はタオルで 体を洗ってたけど、
そのタオルが 破れて使えなくなってからは、
手を泡立て器のように 激しく動かして、手動で細かい泡を作る。
2分で 細かい泡が作れる機械は 売ってるけどね、私は手動。
これで かなり筋肉ついたと思う。

まだ寒い風呂場で、体を洗い始める。
強迫になってからは、どんなに寒くても、
体を石けんで洗ってからでないと、湯船に入れない。
それは、ずっと変わってない。

…長くなるから、続きは、明日かあさって。


PM.11:58



WebDiary CGI-LAND